芸能人の方が母とのわだかまりを告白したりして、ようやく最近、「母娘関係」に対する、世間一般の理解が深まってきたように思います。
かつて私が母のことで悩み始めた頃、まだ「母娘問題」に特化した本はほとんどなく、血眼になって探したものでした。
当時、わざわざ取り寄せてまで読んだ本がこちら。
信田さよ子『母が重くてたまらない 墓守娘の嘆き』春秋社(2008)
タイトルがもう、ね。
「母が重い、まさにそれだわ!!!!!!!」と思いましたね。
当時はまだ「母の事を嫌いだと思ってはいけない」と、自分を抑圧していたので、「嫌い」じゃなくて「重い」というタイトルになっているのがありがたかった。
それでも、購入するときめっちゃビクビクしましたけどね。笑
「こ、こんな親に背く感じの本、買っていいの!?誰かに見られたらやばくない?」みたいな。
今となってはブログに堂々と親のアレコレを書いてしまうほどに成長しましたが。
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どんな本?
本書のサブタイトルにもなっている「墓守娘」とは、簡単に言いかえれば、母親からの干渉・支配・コントロールに頭を悩ませてきた娘のこと。
さんざん進路や結婚などに口出しされてうんざりしているところに、「私たちが死んだらお墓の管理をお願いね」と言われてガックリくる(→死してもなお私を縛る気なのか)エピソードからきています。
カウンセラーとして、墓守娘の話をたくさん聞いてきた著者の信田氏が、墓守娘たちにエールを送るために書かれた本です。
母親たちのしたたかな生存戦略に娘たちはなかなか対抗できないという現実と、どこまでもべったりと張りついて離れない彼女たちの罪悪感に直面した。それを何とかしたいというのが、本書を書く上での一番大きな動機になっている。
P.189
重い母に悩まされている娘たちの実例を挙げつつ、重い母を分類し、なぜ重い母が生じてしまうのか、解決するにはどうしたらいいのか、が書かれています。
「なんでそういう思考になるんだ??」という”お荷物母”の心理が丁寧に解説されているので、「母親を理解したい」という方にはよいかもしれません。
”敵”の心理の深いところまでわかれば、対応がとりやすいですしね。
一方で、「とにかく癒されたい」という方にとっては、やや客観的というか、まどろっこしく感じるかもしれないので、あまり即効性があるタイプの本ではないです(もし読むなら解決策が書いてある最後の章から始めてもいいかも)。
かくいう私も、発売当初に読んだときは、重い母の具体例に頷きながら「うわー、うちの母もこういう感じ!」とは思ったものの、それだけでグッタリしてしまって、解決策のところまできちんと読みこなせなかった記憶があります。
サラッと全体を読んだけれど、通り抜けていってしまったような。
逆に、10年以上経った今、読み返してみると、「まあたしかに、時代背景的に、面倒なことは全部女性に押し付けられていたのも一因ではあるな。母たちも抑圧されてきたからこそ、ゆがんだ形(娘を通して願望をかなえるなど)でそれを放出してしまったんだな」と冷静に理解できた面もありました。
この客観性は、著者ご自身のお母さんが「重い母」ではなかったからこそ、なのだろうと思います。
感想記事
タイプ別 「重い母」6種
カウンセラーとして話を聞いてきた著者が、さまざまなタイプの「重い母」を6タイプに分類(独裁者・殉教者・同志・騎手・嫉妬・スポンサータイプ)。
現実的には複数混ざっているケースが多いかもしれません。
自分の母親がどのタイプかわかれば、「お母さんは私のためにやってくれているのに、疎ましく思ってしまう私がおかしいのかな」とか思わずに済むし、同じように悩んでいる人がたくさんいることがわかるので、多少気が楽になるかなと思います。
詳しく>>>「うちの母、なんかおかしい?」と思ったら6タイプの「重い母」に該当するかチェック
かつては母も”娘”だったのに……「重い母」はなぜ生じるのか
ではどうして、そういう「重い母」が爆誕してしまうのか、というと、社会から「母性」を押し付けられてきたから。
女性だからといって、全員が家事や育児に向いているわけではないので、それぞれに合った選択肢があってよいはずですが、そのように考えられるようになってきたのってごく最近のことですよね。
「母性」には多かれ少なかれ「自己犠牲」が伴うので、母サイドが欲望を実現しようとすると「子どもを通して」になりがちだった、という話。
詳しく>>>娘を通して母自身の欲望を実現しようとするから”重く”なる
なぜ息子よりも、母娘の関係のほうがこじれやすいのか
同じく「子を通じて自己実現」するにしても、子どもが異性(息子)の場合よりも同性(娘)のほうが、よりこじれやすい気がする。
理由としてまず一つ目は、同性の先輩でもあるので、「お母さんはこうした(だからあんたもそうしなさい)」みたいな圧になりやすいということ。
とりわけ、妊娠や出産に関しては母を頼らざるを得ない場面が多いので、母サイドが優越を感じやすいわけですね。
一方で、子が息子の場合、ある時点で明らかに体格や腕力は叶わなくなるので、いい意味で「別の人間である」ことを認識せざるを得ない。
歳をとるほど息子が頼りになるので、「弱者アピール」で息子の「弱きものを守る精神」を刺激し、「何かやってもらおう」という戦略になります。
息子のほうも「母さんを守れるのは俺しかない」と思ったりしているので、ある意味win-winな面もある。
しかし娘に対する「上から目線」はいつまでも変わらず、「罪悪感を植え付けておいて、それを刺激」することで動かしてしまう。
しかも! そうやってコントロールしているという自覚がないからタチが悪い。
本当に良かれと思っているし、むしろ正しいことだと思い込んでいるので、娘が怒ってもまったくピンとこない。
その態度を見て娘の絶望はますます深くなり、元の関係に戻るのは極めて難しいという話。
自分の人生を生きるには→母からの無神経な要求を断るか逃げる必要がある
母の顔色をうかがい、気を遣って生きてきた人にとってはとても抵抗のあることだと思うのですが……
どこかの段階で、無理な要求には「お断り」するしかない。
そうでないと、いつまでも母の言いなりが続いてしまいます。
「罪悪感が凄まじすぎてできない」方がほとんどだと思う(だからこそ悩んでいる)のですが、その罪悪感という仕掛け装置をそもそも植え付けたのは母本人です。
そこを刺激すれば娘から引き出せるとわかっているから利用してくるわけです。
かといって、断れば泣いたり騒いだりするのも「重い母あるある」ですよね。
ここで動揺したり応戦してしまうと母の思うツボで、これまで通りうまく丸め込まれてしまうので、ポイントは「丁寧な言葉遣いで、必要最低限のことしか言わない(理由などを言うとまた揚げ足をとってくるから)」。
最悪の場合、断絶もあり。
詳しく:”重い母”に悩む娘が自分の人生を生きるためには…母からの 無神経な要求を断る必要がある
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おわりに
私自身の経験からも思うのですが、母に対する怒りを自覚してからがとても長いです。
1人で抱え込むのはけっこう大変というか、かなり難しいと思うので、「仲間をつくる」ことを著者はおすすめしています。
具体的にいうと、ACの自助グループへの参加や、カウンセリングに行ってみるなど。
私自身は会社員時代に体験したカウンセリングで不信感をもってしまった(→〈AC回顧録・20代後半〉メンタルヘルス系の面談で余計に追い詰められる )ので行かずじまいでしたが、今思えば単にその人と合わないだけだった可能性も高く(ACの専門家でもなかったので)、少し探してみてもよかったのかなと思っています。
結局、私の場合は、こうしてブログに書き連ねることで自己整理がつきましたが、たまたま書くのが得意だったからでもあります(しかも10年くらいかかりました)。
たぶん、人それぞれに、適したやり方があるのだろうと思うので、もがきながら進んでいくしかないのでしょうね。
カウンセリングや自助グループも抵抗あるという方は、このブログが少しでも参考になるといいなと思います。