ししもとのAC回復ノート

親の呪いを解いて自分の人生を生きる

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母息子関係よりも母娘関係がこじれがちな理由を考える➁ - 息子のことは上に見るが娘は下に見る

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母と息子の関係よりも、母と娘の関係のほうがこじれやすい、と感じます。
(書籍でもそのような記述を見かけますし、私の周囲を見回してもそのような傾向があると感じています)

信田さよ子氏の『母が重くてたまらない 墓守娘の嘆き』を参考にしつつ、「どうして母と娘の関係のほうがこじれがちなのか」ということを考えています。
(本書の全体的な感想は>>>感想『母が重くてたまらない』

前回の記事では、母は娘にとって同性の先輩でもあるがゆえ、上から目線で批判したり価値観を押し付けたりすることが一因、と書きました。
(>>>母娘関係がこじれがちな理由を考えてみる① - 同性の先輩ゆえの上から目線



本記事では

母たちは見上げておもねる息子と、見下ろし支配する娘とを巧妙に使い分けている。息子に対しては庇護欲求を刺激するが、娘に対しては罪悪感を適度に刺激することで「母を支え続けなければならない」という義務感を植えつける。

信田さよ子『母が重くてたまらない 墓守娘の嘆き』春秋社(2008)P.47

を参考に、私の経験も踏まえながら考えてみたいと思います。


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息子に対しては庇護欲求を刺激

最近はかなり改善しているのだろうと思いますが、昭和の時代は「亭主関白な父」が多かったように思います。

家庭内暴力、お酒を飲みすぎるとか、ギャンブルで借金なども、決して珍しいことではありませんでした。
最近問題になりがちな「モラハラ」なんぞ、「まあ、どこの家庭にもあるよね」というレベルだったと感じます。

そういった「ワンマンな父」に困り果てる母の姿に、子どもは心を痛めながら成長します。
そして「僕(私)しかお母さんを守れる人はいない」と子は思うようになるわけですね。

とりわけ息子の場合、「男は強くあれ」という社会的圧力も強かったので、「強くなって父から母を守る」的な方向に行くことが多かったのではないかと思います。

さらに息子の場合は、体格や腕力なども明らかに母を超えますので、ある時点から「(少なくとも体力面では)息子にはかなわない」という立ち位置に切り替えざるを得なくなるのではないでしょうか。

別の見方をすると、「一人の男性として尊重する(せざるを得ない)」とも捉えられますね。「自分とは別の生き物だ」とはっきり認識するというか。
ここで少し、いい意味での「線」を引けるのかもしれません。

歳をとればますます息子のことが頼もしくなることでしょう。
となると、母サイドとしては「弱者アピール」が常套手段になるんですね。
息子の「弱き者を守る精神」を刺激し、「何かやってもらおう」という魂胆。

母自身が(何かしらの)得をするために、「息子を見上げる」ようになるわけですね。

息子側も「母を守れるのは自分しかいない!」と思いながら成長してきたわけですから、「母に頼りにされること」は達成感を伴う部分があるのかもしれません。

だとすると、母と息子の関係は、ある意味「win-win」なのかもしれません。

娘に対する「上から目線」は変わらない

母が息子の成長とともに息子を見上げるようになるのに対し、娘に対する「上から目線」は変わらないというケースが多いようです。

母と娘の場合は、体格・腕力差もそこまで顕著にあるわけでもないと思います(あったとしても、現実的にそれが有利に働くケースは少ない)。
つまり息子の場合に比べ、「娘は自分(母)と別の生き物だ」と認識する機会が少ないのでは、と感じました。

いつまで経っても「娘は自分(母)とは別の人間である」と認識できないからこそ、「娘は自分(母)の弟子・子分・部下」的なポジションと捉えてしまう人もいそうです。

以前の記事でも書いたように、結婚・妊娠・出産・子育てなどをはじめとする「経験の差」もありますから、「自分(母)のほうが知っている」と、実際に優位性を感じる場面も多々あるのでしょう。

時代が変わってきているので、母側がずれていることも多々あるのですが、そのあたりが認識できない人も多いように思います。

娘に対しては罪悪感を刺激

冒頭で引用したように、母は息子の庇護欲求を刺激するのに対し、娘の場合は罪悪感を刺激するそうです。

具体的にどういうことかといいますと。

たとえば私は、子どものころから母に「お母さんは大変な思いばっかりしてかわいそうなのよ(だから尽くして)」「お母さんは苦労ばっかりしているのよ(だから親孝行して)」という内容のことを嫌というほど聞かされてきました。

その結果、母の要求にこたえないと、ものすごい罪悪感に襲われるようになったのです。

「お母さんは”かわいそう”なのだから、せめて私くらいは言うことを聞いてあげなきゃ。私が言うことを聞いてあげないと、お母さんは世界一かわいそうな人になってしまう」みたいな気持ちでした。

しかし、私には私の意志があるわけなので、常に「自分の意志」と「母の要求」の間で揺れ、苦しかったです。
そして、自分の意志が強固なときほど、「親を大切にできないなんて、私はわがまま(※)な人間なんだ……」とますます罪悪感を膨らませててしまうのでした。

(※)「あんたは一人っ子だからわがまま」と毎日のように言われていましたので。 私が自ら一人っ子を選んだわけでもないのにね……。

このように、「母が娘の罪悪感を刺激することで支配する」という現象は、

① 「あんたはダメ」「あんたはここが足りない」等の否定的なメッセージを日常的に発することで娘に罪悪感を植え付ける
➁ 娘の内面に形成された罪悪感を(ここぞという場面で)刺激することで(母の都合の良いように)娘を動かす

という二段階の構造になっているのだと、この記事を書きながら改めて気づきました。

ただしこのやり方、一生通用するわけじゃないんですね。
娘もどんどん成長しますから。成人して以降でも。

娘側が「なんかおかしい」と一旦勘づいてしまえば、「あれもこれも、私のためと言いながら、全部母の良いようにさせられてたんだ!!!」と一気に違和感の正体が判明します。

「あれもこれも」が多ければ多いほど、それまで耐えてきた分、盛大にこじれるのではないかと、私は思います。


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本記事のまとめ

 母と息子の関係よりも、母と娘の関係のほうがこじれやすい理由を『母が重くてたまらない 墓守娘の嘆き』を参考に考えました。

・息子のことはある時点から「見上げる(尊重)」ようになる
・一方で、娘に対してはいつまでたっても「上から目線」
・娘側が支配のカラクリに気づくと、多くの場面でいかに都合よく扱われていたかわかる→盛大にこじれる

心理的な距離感が、やっぱり娘(同性)のほうが近いのですよね。
距離の近さゆえ、自分自身のことを大事にできない母は、娘のことも無自覚に軽んじてしまうのでしょうね。

次の記事では>>>母息子関係よりも母娘関係がこじれがちな理由を考える③ - 娘を支配していることに無自覚/息子の利用には自覚あり

ということを考えていきます。

参考文献

母が重くてたまらない 墓守娘の嘆き

母が重くてたまらない 墓守娘の嘆き

 

 
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