(2021年に執筆した記事ですが、ブログ再構築に伴い、加筆修正のうえ、再更新しています)
母に関する悩み解消への第一歩は、母を客観視すること
「うちのお母さん、なんかおかしくない?」
私が子どもの頃からなんとなく感じていたことです。
しかし、それと同時に
「いや、でも、お母さんは私のためにすべてのことをやってくれている(と母は主張している)のだし……おかしいとか言ったら気の毒なのかな……」
という思いが湧いてきて、母のことを客観視することがなかなかできませんでした。
今の私が当時の私に声をかけるとしたら「いやいや、母が気の毒とか言ってないで、さっさと現実を見て。あなた(昔の私)のほうがよっぽど気の毒だよ」ですね。
とはいえ、「母を客観視」といっても、たくさんの母親像を傍で見ているわけでないので、自分の母がズレているのかどうか判断がつかなかったのですよね。
とりわけ、親に支配されてきた人は「あんたがおかしい!」などと日常的に言われ、ある意味洗脳されていますからね。
そういう方のために、信田さよ子氏の母が重くてたまらない 墓守娘の嘆きでは「重い母」を6タイプに分類しています。
【1】独裁者としての母ー従者としての娘
【2】殉教者としての母ー永遠の罪悪感にさいなまれる娘
【3】同志としての母ー絆から離脱不能な娘
【4】騎手としての母ー代理走者としての娘
【5】嫉妬する母―芽を摘まれる娘
【6】スポンサーとしての母ー自立を奪われる娘
信田さよ子『母が重くてたまらない 墓守娘の嘆き』春秋社(2008)
「うちのお母さん、これだ!」となれば、「私が間違っているのかも? 私がひどいのかも?」疑惑から少しは解き放たれるのでは、と思います。
母娘関係の悩み解消に向けての第一歩となるわけですね。
各タイプについて詳しくみていきましょう。
(私自身の思考整理のため、少し省略したり、言い換えたりしています。正しい記述は本書でご確認ください)
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重い母 6タイプ
独裁者タイプ
「独裁者」と聞くと、強権的なイメージですが、必ずしも声を荒げたりするとは限りません。弱さを前面に出して、周囲をコントロールするタイプの母です。
具体的な特徴としては、母の言う通りにしないと、不機嫌になる、家事をしなくなる、などですね。
私の母もこの傾向が大ありでして、下手すると夜中まで怒っていたり、明らかにむくれたり、私を無視したりするような人でした。
日常を送るには母の言う通りにする以外の選択肢が現実的に存在しないので、現実的な「独裁者」です。
殉教者タイプ
「お母さんは自分のことは全部犠牲にして家族のために我慢してきたの」などと言うタイプですね。
「全部我慢してきた」という母に対して、「好きにやればよかったじゃない」などと言おうものなら(言えませんが)、「アンタのためを思って必死でやってきたのに! 私の人生何だったの!?」と泣くフリをしたり、「そんな子に育てた覚えはない!!!」などと大騒ぎになるので、飲み込むしかありません。
私の母も「お母さんは髪振り乱してあんたを育ててやったんだからね」「あんたのために離婚しないであげたんだからね」などが決まり文句でした。
同志タイプ
同志タイプとして一番わかりやすいのは「中学受験を一緒に乗り越える母」のイメージでしょうか。
塾の送迎、健康管理、模試の付き添い、間違えたところノートをつくるなど、まさに「同志」な母。
母の細やかなサポートによって確かに結果は得られたりするので、むげにできないところがより厄介ですね。
「あくまで娘の意志を尊重している」風を装い、しかも、年齢に応じて「指揮官」から「伴走者」にうまいことシフトしていくので、気づきにくいタイプなのでは、と思います。
騎手タイプ
騎手タイプは同志タイプの巧妙版。
同志タイプは母自身も労力を割いているのですが、騎手タイプの母は何もせず、ただただ成果だけをかすめ取っていきます。
私の母の例でいうと、私が何か結果を出したり、褒められたときなどは「お母さんの育て方が良かったのよ」「小さい頃から〇〇を習わせてやったんだから」とドヤ顔&同級生のお母さんにマウントを取ったりしていました。
その一方で、私が何か不得意なことがあると「あんたはお父さんに似て●●」などとディスってくる。
あらゆる事柄において、「良いこと→母のおかげ、悪いこと→娘本人(あるいは父)のせい」という構造が母の世界では疑いもなく成り立っているんです。
自分は努力してもかなわなかった高校での好成績、自分には望むこともできなかった医学部進学、一度も経験したことのない模試の成績上位ランクイン。娘がそれらを達成するたびに、彼女たちは有頂天になる。まるで人生を生き直すかのような、めくるめく快感を味わうに違いない。しかしその快感は、ある地点で満たされて「これでいい」というゴールにたどりつくわけではない。どこかとどまることを知らない車輪の回転のように、もっともっとと快感をむさぼり続ける。
信田さよ子『母が重くてたまらない 墓守娘の嘆き』春秋社(2008)P.107-108
嫉妬タイプ
娘の若さや美しさ、あるいは社会的達成に対して嫉妬するタイプです。
私の母の例でいうと、かなり太っていて容姿コンプレックスをこじらせていたので、私に対して「いいよね、あんたは(+ため息)」「お母さんがあんたをスタイルよく生んでやったのよ」というのが口癖でした。
「スタイルよく生んでやった」と言う割には、私が女性らしい格好をしたりすると「色気づいて気持ちがわるい」と言うのも定番でした。
このように、若さ・美しさへの嫉妬に関しては想像がつきやすいですが、社会的達成への嫉妬のほうがはるかに大きいと著者はいいます。
母たちが若かった頃は、男尊女卑がまだまだ蔓延っていた(まあ、いまも暗黙的にはありますが)ので、就職や進学で明らかな差別を経験しています。
だからこそ、娘がやすやすと大学に進学したり、一流企業でバリバリ働いているのを見ると、「私は許されなかったのにずるい」と嫉妬してしまうようです。
スポンサータイプ
何もかも先回りして援助したり、与えるタイプの母。
一見、面倒見がいいようにも見えるのですが、娘の自立を阻むタイプです。
娘自身が「これが欲しい」「こうしたい」と自覚するまえに与えてくるので、「こうしたい」という欲求を自覚できなくなってしまうんですね。
知らず知らずのうちに、娘を無力化していきます。
私の伯母(母の姉)がこのタイプです。
伯母には子どもがいないので、私の母が伯母にとっての「娘」ポジションに相当しています。
ぱっと見は、「世話焼きの姉とダメな妹」というふうに見えるのですが、「無意識のうちに伯母は母をスポイル(台無しに)したのだな」と最近はわかるようになりました。
私の母は、末っ子で、子どもの頃から「ちょっと足りない子」と言われていたこともあり、伯母があれこれと世話を焼いてきたようです。
その結果、母には「自力でなんとかする」という概念がこれっぽっちもなく、着ていく洋服さえも自分で決められないほどに。
「自分で問題を解決する」という概念自体がないので、何か問題が起こるとそれはすなわち「周りが悪い」ということになり、「他人がなんとかする話であり、自分は無関係」という開き直った態度になってしまいます。
また、伯母のスポンサー気質は私にも向けられました。
小さい頃は助かる場面も多々あった(母が気が回らない人なので)のですが、成人してからは「ありがた迷惑」になってしまいましたね……。
私の趣味に合わぬ服やカバンを送ってくるので、やんわり「自分で選びたい」とにおわせると「若い人はこれを持つべき!」と強く押し付けてんですよね。
そこで「えー」とか言おうものなら「これが趣味じゃないなんて、あんたの感性がおかしい!」となるんです。
伯母からすれば「私(伯母)の善意を受け取れないというのか!(=私(伯母)を否定するというのか!)」ってことなんだろうと思うんですが。
しかも、それらはたいてい高価なもので、勝手に買っては「お金がない、かしてくれ」と言ってくるのでもう訳がわからなかったです。
スポンサータイプは、やる気も行動力もあり、「圧」も強いので、なかなか侮れない存在です。
しかも、外から見れば「面倒見のいい親切な人」にも見えるので、他の人に理解してもらうのも難しいと思います。
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いろんなタイプが混在していることも
上で書いたように、私の母の場合、独裁・殉教・騎手・嫉妬タイプが混合していました。
同志タイプとスポンサータイプも「おかまいなしに与えてくる」「先回り感がすごい」ところが似ていますよね。
様々な具体例が本書には登場しますので、もっと知りたいという方は本書をお手にとってみるといいかも。
「私が悪いのでは」と思わなくてよい
ここまで読んでくださった方はおそらく「うちのお母さん、これだ……」というのが多かれ少なかれあったのではないでしょうか。
ついつい「お母さんにやさしくできない私はダメだ」とか「期待に応えられないのがふがいない」と思ってしまいますが、そもそも先に問題があったのはお母さんのほうですからね(大人対子どもという権力勾配がまず最初にあり、子の方が親に合わせざるを得なかった結果、ひずみが生じているからです)。
ただ、母のほうに必ずしも悪気があるというわけでもなく(むしろ「よかれ」と思い込んでいることが多い)、そんな母を疎ましく思うことは、余計に罪悪感を感じてしまいますよね。
では、どうしてこんな「重い母」が生じるのか、引き続き『母が重くてたまらない』を参考に次の記事で考えてみたいと思います。
>>>娘にのしかかる「重い母」はいかにしてつくられたか
とりあえず対処法を先に知りたい、という方はこちら
>>>「重い母」から逃れるためには丁寧な言葉で「お断り」
参考文献