ししもとのAC回復ノート

親の呪いを解いて自分の人生を生きる

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〈AC回顧録・小学生〉「お風呂に入れない私は汚い」に天然パーマが加わり「私はキモイ」と思うように


過去の痛みを成仏させるため、自分の育った家庭を改めて客観視する作業をしています。(関連記事一覧はこちら>>>【もくじ】いかにして私はアダルトチルドレンになっていったのか【体験談】)。


お風呂は2~3か月に一回入れればいいほうで、「私は汚い」という観念に悩んでいたところに、ひどい天然パーマが加わりました。

「ブサイクになるから」とメガネをかけさせてもらえなかったわりに、母は私が深刻に気にしていた天然パーマは放置でした。
私自身もどう整えたらよいかわからず、劣等感を募らせてしまった話です。

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天然パーマで自己嫌悪感が悪化

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元々細毛で広がる毛質ではあったのですが、小学校5~6年くらいから「ガチの天パ」という感じになりました。

ちょっとの「くせ毛」どころではなくて、頭が二倍くらいに膨らむチリチリボワボワのやつです。

こればっかりは遺伝なのでどうしようもないのですが、思春期の女子としては悩ましいことでした。

健全な自己肯定感がある人なら「まあ、天パはイヤだけどしょうがないか」程度でしょうけど、「私は汚い(>>>お風呂は2~3か月に一回入れればいいほう(シャワーもなし))」と自己評価をこじらせていた私にとっては、「ますます醜くなってしまう」という絶望感を伴うものでした。

もちろん、「ちょっとでもマシにする方法はないか」と母に何度も相談しました。
が、「アンタがお父さんに似たんだからしょうがないじゃない」とスルー。

美容院に行く機会もほとんどなかったので、髪は基本的に伸び放題、増え放題。
縮毛矯正なんて技があることも知りません。

当時はネットもありませんでしたから、ただただ、もじゃもじゃのフケだらけの髪の毛を晒しながら生きるしかありませんでした。

修学旅行や遠足の写真を見ては、「私、気持ち悪いよな、、、汚いよな」と常に悲しく思っていました。

もっと早く教えてほしかった

そして、ボンバーヘッドに耐え続けること1年、小学校卒業式の日の朝。

ひとつ上の近所の友人からお借りした高級ワンピースに着替えていると、
「あんた、服はいいのに、髪がおかしいね。ドライヤーかけたら?」と母が言うではありませんか。

いいいい、今更!?
髪がボバってるのは今に始まったことじゃないのに?
解決策があるならもっと早く教えてよ!
何度もスルーしたくせに!!!

ともあれ、ドライヤー……そ、そんな手があったのか、と。

汚部屋でしたし風呂に入る機会も少ないので、ドライヤーが家にあること自体、認識していなかったのです。

爆発した髪をドライヤーで伸ばすと、多少マシになって驚愕したのを覚えています。

なんでもっと早くに教えてくれなかったんだ!!!
髪型がもう少しマシだったら、もっと学校生活を楽しめたのに!

行事の写真を見るたびに「私、キモイ」と思わなくて済んだのに!

と、卒業式の朝、猛烈に悔しく思ったことをよく覚えています。

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いらんところで過干渉、必要なときはスルー

思春期ということもあり、私にはとても苦しかった思い出なのですが、この件に関しては母に悪気があったわけでもなさそうで、どうしてこんなことになってしまったのか、考えてみます。

母が困っていなければ、娘が困っていようとも「困っていない」ことになる

天パの件に限らず、「こんなことで困っている」と母に相談しても、トンチンカンな答えが返ってくる、というのはよくありました。

おそらく、娘が困っていようとも、母自身が困っていなければそれはすなわち「困っていない」ことになってしまっていたのだろうと思います(関連>>>「母の好きなもの=娘の好きなもの」という決めつけが辛い)。

まあ、要するに「人の気持ちがわからない」というやつですかね……。

認知のゆがみもあったのかもしれない

また母は、人の目を異常に気にするわりに、身だしなみには無頓着というアンバランスさがありました。

「ブサイクになるから」とメガネをかけさせてもらえないのに、もじゃもじゃ頭は放置、というのも「え、そこはだめでそっちはいいの」的な、どこかズレがあるように思います。

母は、何か認知のゆがみのようなものを抱えていたのかもしれません。
メガネは視界に入るけれど、髪の毛は全く目に入らない、というような。

自分で解決しようという概念自体がない

さらに母は、「自分で問題を解決する」という概念が一切ない人でした。
母にとっての「問題を解決する」とは「誰かになんとかしてもらう」ことです。

なので、「うちの子は主役がやりたいんです」とすぐ幼稚園に乗り込んで行ってしまうとか、誰かに問題をぶん投げるとか、権力のある人に取り入るとか、それが母にとっての「解決」なのです。

なんとかしてもらう「誰か」がいない、あるいは誰に頼ったらよいかわからない場合は、スルーとなります。

なので、私が悩みを相談しようとも、「しーらない、誰かに聞けば」というスタンスなのでした。

そのわりには、勉強や友人関係などは逐一監視されているので、干渉してほしくない部分で過干渉、助けが欲しい場面で無関心、という状態でした。

これは、子どもにとっては、困った場面で急にはしごを外されるような感覚で、堪えました。

【親を反面教師に】

人の相談事を軽く見ない・簡単にジャッジしない

母にとってはおそらく、お風呂に入らないことや、髪の毛がボサボサなことなどは、「気にならない」ことだったのでしょう。

でも、几帳面な性格の私からすると、「私って、汚い、キモイ」と非常に悩んでしまいました。

だからこそ思うのは、悩みというのは、一見「なーんだ、そんなこと?」と思うようなことであっても、その人にとっては、存在が危ぶまれるような切実なことかもしれない、ということです。

だからこそ、「そんなの気にしなくて大丈夫だよ」と言って終わらせるのではなく、少なくとも「あなたにとってはそこが気になっているんだね」と受け止めることくらいはしたいと思います。

まあ、話をよく聞く、ということに尽きるのですかね。

アドバイスが要るかどうかは状況によって異なるので、必要としているようだったら伝えようと思いますが、あくまで「受け止める」プロセスがあってこそだよな、と感じます。

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