親の呪いを解いて自分の人生を生きる

アダルトチルドレン回復の記録

〈AC回顧録・小学生〉「ブサイクになるから」とメガネをかけさせてもらえない


過去の痛みを成仏させるため、自分の育った家庭を改めて客観視する作業をしています。
(関連記事一覧はこちら>>>【もくじ】いかにして私はアダルトチルドレンになっていったのか【体験談】)。


毒親エピソードでよくある「下着を買ってもらえない」案件。
私の場合は「メガネ」でした。


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小学校入学前の検査ですでに近視

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ほとんど外で遊ばせてもらなかったためか(あるいは元々の体質なのか)。

小学校の入学前検診ですでに視力が0.4~0.5程度でした。

再検査のお知らせが来て、眼科に行ったところ、やはり近視ということで、メガネを勧められました。

が、メガネを作ることはできませんでした。

このときは「まだ幼いから様子見ってことなのかな?」と思っていましたが……。

一番後ろの席だとすでに黒板が見えない

一番後ろの席からだと、すでに黒板の文字が見えませんでした。

先生にお願いして、基本的に前のほうの席にしてもらっていましたが、グループ学習などで後ろのほうの席に行くと、もう全然見えないのです。

同じグループ内に親切な子がいれば、黒板の文字を読み上げたりしてくれて、なんとかなりましたが……
でも、その子の機嫌が悪かったりすると読み上げてくれないので、なかなかノートを取ることができませんでした。

当時は理科とか社会でなくて『せいかつか』という科目だったと思いますが、『せいかつか』のノートだけは数ページしか書けなかったのをよく覚えています。

みんなは見えるのに、自分だけ(遠くから)黒板の文字が見えない。

「黒板の文字が満足に見えないわたしはダメだ」と自分にがっかりするような気持ちでした。

再検査もスルー

もちろん、毎年の健康診断で視力が必ずひっかかります。

そのたびに眼科に行くように言われるのですが、「またメガネって言われるだけでしょ」という感じで、二年生以降は連れて行ってももらえませんでした。

見えないので、つい目を細めたり、本に目を近づけてしまうのですが、そうすると母に「目つきが悪い!」「目が近い!」などと言われます。

自分の力ではどうすることもできないのに、そこを責められるのはつらく、本当にどうしようもないような、途方に暮れるような気持ちでした。

メガネは「ブサイクになるから」ダメ

母がどうして私にメガネをかけさせなかったかというと、「ブサイクになるから」。

「メガネをかけたらブサイク」、これは呪文のように何度も聞かされました。

今でこそ、伊達メガネが流行ったりして、メガネはおしゃれアイテム的なイメージもありますが、母が若かった頃は「メガネ=ブサイク」というイメージも多少世の中的にはあったのかもしれません。

母自身もメガネをかけており、母は容姿にコンプレックスを抱えていましたから、なおさらメガネを嫌悪していたのかもしれません。

そうは言っても、当時の私、小学生ですよ……。
ブサイク云々よりも、一生使う目のほうが大事ではないかと思うのですけれどもね。

一番前の席でも怪しくなってきて、やっとメガネ

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小学校高学年になる頃には、近視が相当に進んでおり、一番前の席からでも黒板の文字を見るのが怪しくなってきていました。

正面の文字は平気でも、例えば一番窓側の最前列だと、廊下側の文字は距離があって見えづらいのです。

それよりも困ったのは、体育とか、外で何か作業する場面でした。

近視自体には慣れていたので、普通に運動することはできましたが、球技などで遠くの同級生の動きが見えにくかったり、明らかに不便さがありました。

今思うとあの視力でよくぞケガしなかったな、と思います。

またこの頃になると、他に近視の子もちらほら出てくるので、「メガネは恥ずかしいことじゃない」、「〇〇ちゃんもかけてる」などと訴えることができました。

「このままでは勉学にも差し障る」と主張してようやく、小学校5年のときにメガネを作らせてもらえました。

その時点ですでに視力が0.03未満、そこからさらに近視が進みまして、現在は超のつくド近眼(-10Dに近い)です。

小学校低学年のうちから、ちゃんと視力に合ったメガネをかけていれば、ここまで悪化することもなかったのではないか、と恨めしく思ってしまいます。

最近は小学生でもコンタクトレンズをするそうですが、私たちの頃はそういう選択肢はほぼなかったので、時代は進んでいるなあ、と思います。


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【毒親を反面教師に】他人の困りごとを自分の価値観だけで判断しない

母としては「娘がメガネをかけて「ブサイク」と言われたらかわいそう」と思ったのでしょう。

たしかに、もしも「メガネでブスになった」と言われたら私も傷つきます。

ですが、視界がよく見えないこと、見えにくいことによる不安を常に感じ続けなければならないこともまた、辛いことでした。

でも母にとっては「ブサイク」よりも「見えづらい」のほうが圧倒的にマシという価値観だったわけですね。

母自身の近視はそこまでひどくなかったので、私の見えづらさを正しく理解していなかったこともあると思います。

だからこそ、誰かの困りごとは、「なーんだそんなことか」とか「それくらい我慢できるでしょ」と自分の価値観だけで判断せずにいたいと思います。

たとえば「腰が痛い」とひとことに言っても、いろんなレベルがありますからね。
自分が想像できないレベルの痛みかもしれませんから。

解決するのは無理だとしても、せめて相手の大変さを想像することくらいはしたいとは思います。

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