「こんなに苦労したんだからちょっとくらい優遇してくれたっていいでしょ」は人のことを傷つけ、最終的には自分のことも傷つける、と実感している話。
自分の存在価値が危うくなり、その結果周囲の人を傷つけてしまっていました。
高校受験を控えた中学3年の2学期は生きた心地がしなかった。
過去の痛みを成仏させるため、自分の育った家庭を改めて客観視する作業をしています。(関連記事一覧はこちら>>>【もくじ】いかにして私はアダルトチルドレンになっていったのか【体験談】)。本記事は、模試や資格試験の前に不安になっていると、母がカ…
怒りをかうので言えなかったけれど、イヤなものは「嫌」「やめてほしい」と伝えるべきだったかもしれない。
母の味方をしないと「あんたもひどい目に遭うんだから」と呪いをかける母。「あんたのためにこんなにしてやった」と言うわりに、娘が不幸になるのを望んでいるのでは、と思うことがありました。
母が執拗に父に嫌がらせをしているのが辛かった話。 そんなに嫌なら離婚すればよいのに、離婚はプライドが許さない母なのでした。
何か不幸が降りかかったとして、それ自体はコントロールできないけれども、どういう態度をとるかは自分で選べるのだということを忘れないようにしたいと思います。
「なんとなく感じた」ことはけっこう当たっているので自分の感じ方を信じてよい(ただし被害妄想的にはならないよう注意)という話
思っていることは、想像以上に伝わってしまう(ことがある)ので、日頃から自分のことも人のことも、「OK」を出せる(せめて否定しない)状態でありたい、という話。