ししもとのAC回復ノート

親の呪いを解いて自分の人生を生きる

ブログ整備中につき、一時的に非表示にしている記事がございます。少しずつ再更新してまいりますので、またご訪問いただけますと幸いです

〈AC回顧録・20代前半〉具合が悪くなると困るので食べること自体が怖い

過去の痛みを成仏させるため、自分の育った家庭を改めて客観視する作業をしています。(関連記事>>>【もくじ】いかにして私はアダルトチルドレンになっていったのか【体験談】)。

不潔恐怖・疾病恐怖が悪化していき、食べること自体が怖くなりました。
明らかな栄養不足でさらに調子が悪化しましたし、「誰にもわかってもらえない」という思い込みを強めてしまって、孤独でした。

 

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具合が悪くなると困るので食べることが怖い

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感染性胃腸炎の流行をきっかけに、不潔恐怖・疾病恐怖に本格的に悩みはじめた20代前半。

人前で体調を崩さない(=粗相しない)ためにはどうしたらいいか。
そのことばかり考えるようになりました。

「もしこの食事にウイルスがついていたら……」と考えてしまい、しだいに、食事を摂ることが怖くなっていきました。

とくに、衛生観念が破壊した母の手に触れたものは私にとって「危険」という認識が幼少のころからあり、ますますダメでした。
(母は料理が苦手なので、「出すだけ」「焼いただけ」系のものが多かったですが、それでもお皿に触れたりはするので)

かといって、外食もできませんでした。
飲食店のことも疑っていたからです。
ニュースなどで、飲食店での集団感染が報道されると「ほらね!やっぱり!」と思っていましたし(珍しいからこそニュースになるのであって、確率を考えたらかなり低いのですが)

「厨房のバイトさんのなかに、うちの母みたいに衛生観念が破壊している人が混ざっていたら……」と思ってしまうのです。

実際、汚部屋&衛生観念ゼロのうちの母も、実際にお弁当屋さんのパートをしていたことがあるのです。パート先ではマニュアル通りにやっていたようですが……でも、集中力が異常に散漫なので、いろいろミスしていただろうと思います。

外食もダメとなると、自分で作るしかないのですが、帰宅が夜中になることも多く、そんな気力もありませんでした。

結果的に、私が唯一食べられたのがコンビニのおにぎりやパン、お菓子類でした。

当時の私の観測範囲では、これらの食べ物が原因であたったという例を見たり聞いたりしたことがなかったからです(ゼロではなかろうと思いますが)。

おかげで、エネルギー補給はできたので、骨皮レベルまでやせ細るようなことはなく、まだよかったのですが、栄養不足は明らかでした。

その証拠に、吹き出物で顔中がかゆかったです。
栄養状態は、うつなどの精神疾患に影響するケースもあるようなので、不潔恐怖の症状にもますますよくなかったでしょう。
ひどい片頭痛に悩まされていたのですが、これにも栄養状態がかかわっていたかもしれません。

だれかに吹き出物を指摘されると「きちんと食べられないおまえはおかしい」と責められているように感じてしまい、これまた傷ついてしまうという、負のスパイラルにいました。

「誰にもわかってもらえない」思い込みをさらに強めてしまった

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当時は、ここまで詳細に気持ちを言語化できておらず「ウイルス性胃腸炎がこわい」程度の表現しかできませんでした。

すると当然、周囲の人からすれば「そりゃそうだよ、みんなかかりたくないよー」程度の返答になります。

ですが私としては非常に思い詰めていたので、「こんなに、こんなにも苦悩しているのに、わかってもらえなかった」とショックを受けてしまいました。

子どものころから、親とのコミュニケーションを通して「わかってもらえない」という悲しみを構築してしまっていたので、それをさらに増強していったような感じです。

孤独で孤独で、胸が張り裂けそうでした。

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この体験から学ぶこと

頭のなかで考えるだけでなくて、こうして気持ちを書いてみればよかった

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できれば精神科やカウンセリングに行くべきでしたが、当時はハードルも高く。
学生でしたから保険証問題もありましたし(→「嫁に行けなくなるから精神科に行くのは許さない」と保険証を隠される


じゃあ、あのときの私は、私のために何ができたんだろう、と考えてみると、この記事のように、恐怖感・不安・気持ちなどを書き出してみればよかった、と思います。

もちろん、一回や二回ですっきり解決するわけはありませんが、書いているうちに、冷静になれる部分があるからです。

頭のなかだけで同じことをひたすらぐるぐると考えていたからこそ、恐怖の車輪が止まらず、悪化していったのだろうと思いますので。

しかし、当時は「書くこと」にすらストッパーがありました。
母が日記などを勝手に盗み見るような人だったから。

それでも、図書館に行って書いて、帰りに紙を捨てるなど、工夫すれば書くことくらいはできたはず、と今は思います。

ということは、私はきっと、諦めてしまっていたのですね。
苦しいことを、ただただ耐える癖がついてしまっていたのだと思います。

小さな子どものころはただ耐えるしかなかったから。

それは不幸だったなと思います。
けれど、その習慣に引きずられ、成人してもなお「サーカスの象」状態に陥っていたことは反省というか。

いや、でもまあ、それくらい思考能力を奪われていたこともまた事実なので、「あれはあれで精一杯だったのだから、今後の教訓に生かそう」という気持ちですかね。

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