ししもとのAC回復ノート

親の呪いを解いて自分の人生を生きる

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〈AC回顧録・20代後半〉苦しさが当たり前すぎて異常さに気づけなかった

母への嫌悪感に気づいてから絶縁に至るまでの出来事を見つめなおしています(記事一覧はこちら)。

会社員になりたての研修でのこと。
「最近感動したこと」を問われ、思い浮かばず、無理やりひねり出そうとしたら10年もさかのぼってしまいました。

苦しみが当たり前すぎて、自分の異常さに気づけなかった。

一つ一つは「まあ、我慢すればいいか」程度の苦しみでも、何十年も積み重なって、身動きがとれなくなるのです。

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「最近、感動したことは?」と問われても……思い浮かばずに10年前までさかのぼってしまった

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就職してみたら、周囲の人々が意気揚々としていることに驚きつつも。
一応はまじめな新人として研修を受けていました。

ある日の研修の冒頭で、自己紹介的な意味合いも含め、「最近感動したことを一人ひとり話す」という流れになりました。

私とて基本的には真面目な人間ですから、素直に「ほう、最近感動したこと、ね」と頭の中を探索していきます。

ですが、まったく見つからないのです!!!

「あれ?どうしよ。あれ?全然思い浮かばない」と焦っているうちにほかのみんながそれぞれエピソードを語っていきます。
人の話を聞いているうちに何か思いつくかも、と期待しましたが、全然ダメでした。

とうとう話すことが見つからないまま、私の番になってしまいました。

「す、すみません、感動したことは、ない、です」
反抗したいとかではなくて、ほんとうに思い浮かばなかったのです。

研修担当の先輩社員の目の色が変わったのがわかりました。
「そんなことないでしょ、何か思い出してみて。楽しかったこととか」と言われました。

え、ええと、そう、ですよね、普通あるはずですよねー、と思いました。
なにか、、、なにか、、、ええと。
思い出そうとするほど、苦しいことばかりが出てきてしまいます。

そもそも就職したこと自体が私にとっては絶望でしたし、不潔恐怖・疾病恐怖とも戦っていたので、目の前には苦しみしかなかったのです。

いやいやでも、何か探さねば、と。

最近で探すとないから……少し過去にさかのぼってみるか……大学時代……ないな……浪人中も死んでたし……となると高校……そうだ、行きたかった高校に合格したことだ!あれは感動したといえる!
……え、でも待って、高校入学ってもう10年ちかく前のことだよね……そんな昔の話したらさすがにおかしいよな……こ、困った。

あーあ、ないって言っているのに、無理やりに言わされるの、嫌なんだよなあ。
結局、無理やり大きな力に従わされるのが世の中なんだよな。

とはいえ、この雰囲気、絶対に何か話さないと次に進まない感じだよね?

仕方ない、けっこう前のことだけど、友達がぬいぐるみをくれたのを最近の出来事という設定にしよう。まあ、正直言うとぬいぐるみって捨てづらいからうれしい気持ちよりもなんだか気が重かったのだけど……。でもまあ今はそんなこと言うてる場合じゃないわ。

という感じで、適切に脚色してその場をしのぎました。
先輩社員が微妙な表情をしておられたのをよく覚えています。

おそらく心配してくださったのでしょう、その先輩がお昼の時間にも声をかけてくださり、会社から支給されたお弁当を一緒に食べました。

ですが当時の私、具合が悪くなると困るので食べること自体が怖かったので、先輩と話しているようでいて、心の中では「このお弁当で体調崩したらどうしよう」など、(今思えば)非現実的な不安でいっぱいでした。

研修時にお弁当がでるなんて、非常に親切な会社なのですが、コンビニパンやお菓子しか信用していなかった当時の私にとって、仕出し弁当は恐怖だったのです。
先輩に対しても上の空でしたし、本当に失礼なことをしました……。

【今思うこと】

ポジティブなことが一切浮かばない状態を「おかしい」と思うべきだった

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当時は、「そりゃ、やりたくもない会社員やってるんだから、感動なんかあるわけないでしょ。でも働かないと親にやられる(※)から仕方ないでしょ」と思っていました。

(※)子ども時代の感覚を引きずっていて、なにかしらの”ひどい目”に遭う気がするのです。もういい大人なのに。

でも、今振り返ってみると、20代なかばであの閉塞感、けっこう異常な状態だったなと思います。

自分的に納得のいかない状態を選んでしまったことに加え、不潔恐怖・疾病恐怖の影響で、息抜きができなかったことも大きいのではないかと思います。

「絶対に安全なもの(※自分的に)」しか口にできず(それは自分自身が選んでいることなのですが)栄養不足でしたから、それが余計に頭の働きを鈍らせ、気持ちを落ち込ませた面もあるでしょう。

また、外出先のトイレに行けないので、休日も基本引きこもり、息抜きもできません。
会社や研修先のトイレは、仕方がないので行きはしますが、怖くて怖くてたまりませんでした。

トイレに行った後はしばらく「さっきのトイレに胃腸炎系のウイルスが浮遊していたらどうしよう」という疑念にさいなまれ、目の前のことに集中できない状態でした。

精神科に行くべきだったけれど……

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今となっては、「あんた就職してる場合じゃないよ、精神症状を軽くするのが先だよ」と当時の私に言いたい。

でも、当時の私的には、「苦しい気持ち」って、きわめて当たり前だったんですよ。
子どものころからずっとそうだったので。
むしろ、浪人時代などと比べるとまだマシだったので、「え、私? 全然普通というか、調子いいほうだけど、今」という感じでした。

苦しみがデフォルトになってしまって、おかしいとすら思えなかったのです。

食事が摂れないことも、まあ、子ども時代からありました(【体験談】自分の身は自分で守るしかないと決意したきっかけ)ので、それが少し悪化している程度にしか思いませんでした。

カウンセリングという選択肢がよぎっても、「親を悲しませるようなことはできない」と思っていましたから(【体験談】「嫁に行けなくなるから精神科に行くのは許さない」と保険証を隠される)。

ある意味、洗脳された状態にあった(&さらに自分でも悪化させてしまった)のだな、と思います。

苦しい気持ちは「そっちじゃないよ」ということだと思う

子どものころから「苦しい」「嫌だ」という気持ちを封じざるをえなかったので、苦しみが当たり前になってしまい、ある意味耐性がついてしまっていました。

一つ一つは、「このくらい我慢すればいいか」程度だったとしても、何重にも積み重なっていくと、気づいたときには身動きがとれないほどの弊害になりうるのだと実感しています。


私の苦しみはこの後もまだまだ続いていくのでした。

その後>>>〈AC回顧録・20代後半〉反抗期に反抗できないと社会人になっても引きずってしまう  

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