ししもとのAC回復ノート

親の呪いを解いて自分の人生を生きる

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〈AC回顧録・20代後半〉職場の飲み会が苦痛でたまらない(のに人目を気にして嫌々行く)

母への嫌悪感に気づいてから絶縁に至るまでの出来事を見つめなおしています。>>>記事一覧)。


嫌々会社員になった結果、仕事も憂鬱でしたが、もっと苦痛だったのが職場の飲み会。
常に「査定されている」と思ってしまい、私にとっては完全に「仕事」でした。

そもそも、不潔恐怖・疾病恐怖に悩んでいたので、飲み会というシチュエーション自体が恐怖でしかありませんでした。

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職場の飲み会が憂鬱でたまらない

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どちらかといえば、飲み会はくだけた話をする機会のはずなのですが……「はやく認められたい」気持ちでいっぱいだった私にとって、職場の飲み会もまた「査定される場」でした。

「お酒を飲めない分、どこかで挽回しなければ」という気持ちもあり、普段の仕事以上に「仕事」と感じていました。大事なプレゼンよりもはるかに気が重かった。

飲み会の場で誰かの機嫌を損ねたりしたら、普段頑張っている本来の仕事の結果すらも台無しになると思っていたからです。

なぜそんな捉え方をしてしまったのかというと、おそらく「いい成績をとっても、何かの事情で母の機嫌を損ねたら、すべて台無しになる」ところから来ていたのだと思います。

また、飲み会で「過ごしやすい席」を取るのも下手でした。
優しい人や話しやすい人の近くって、(暗黙のうちに)争奪戦になりますからね。

「私も〇〇さんの隣がいいけど……あからさまにそういう態度をしたらちょっと大人げないかな」などと遠慮してしまい、結局、気難しい人やキツイことを言ってくる人の隣になってしまうのでした(そういう人からすると、私が言い返さないので、やりやすかったのでしょう、あちらから寄ってきがち)。

飲み会の間中、嫌いな人に気を遣い続けるという、まさに地獄の時間でした。

居酒屋という場所自体が恐怖

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また、学生のころから不潔恐怖・疾病恐怖に悩んでいたため、居酒屋やお酒を飲むというシチュエーション自体がすさまじい恐怖でもありました。

清潔に保たれたデパートや職場のトイレですら、「ウイルスが舞っていたらどうしよう」と不安でたまらず、行くのに相当な勇気が要るのです。

そんな私からすれば、居酒屋さんのトイレなんぞ、リスクが甚大で、自殺行為のように感じてしまいました(もちろん、きれいにされているお店がほとんどですが、途中で汚れる可能性はわりとありますから)。

できる限り我慢して、トイレに行かないようにはしていましたので、常に頭が「トイレ行きたくなったらどうしよう」か「トイレいきたい、家までもつかな」に支配されていました。

なんとかトイレを我慢できたとしても、店内で悪酔いしてしまった人に遭遇する可能性はあるし、コントロールできません。
職場の人々はマナーがよく、酔いつぶれるような人も滅多にいなかったのは幸運でしたが……。

ふつうはそんなこと一切気にならないのだろうと思いますが、当時の私は「悪酔いしている人に遭遇したらどうしよう」と本気の本気で不安に思っていました。

だからこそ、一刻も早くお店から出たくて出たくてたまりませんでした。

行かなきゃいいのに……それも人目を気にしてできなかった

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そんなにも苦痛なら行かなきゃいいのに、と今は思いますが……。
当時はそんなふうに全く思えなかったんですね。

誰かの歓迎会や送別会だったら、
「欠席したら歓迎していないと思われるのでは?」
「〇〇さんにお世話になったのに欠席なんて、感謝していないと思われるのでは?」
「〇〇さんのときは参加したのに、△△さんのときは欠席だと失礼かな?」
などと、ぐるぐる考えてしまってもうどうしたらいいかわからないのです。

今思うこと:どうすればよかったのか

今思えば、さっさと精神科に行って診断書をもらい、それを上司に提出して「こういう事情で通院していまして、飲み会は休ませてください」と言えばよかったのですが。

しかし、精神科に行くことは「悪」だと思い込まされていた(「嫁に行けなくなるから精神科に行くのは許さない」と保険証を隠されるため、できませんでした。

また、最近でこそ「会食恐怖」のような概念も出てきましたが、当時はとても周囲の人に理解されるような状況ではなく、「精神科のお医者さんにすらも理解されないだろう」と思い込んでいました。

親などに「そんなのあんたがおかしい!」と何年も否定され続けていると、この世でだれ一人として私のことをわかってくれる人はいないだろう、と思い込んでしまうのですよね。

当時はまだインターネット上の情報も充実していなかったので、「ハズレの病院に行ってしまって余計に悪化したらどうしよう」という不安もありました(ひと昔前って、やけに威張ってて、こちらが質問しただけで気分を害するような感じの医師もたまにいましたので)。

今はYoutubeなどで情報発信しているお医者さんも多く「この人なら相談できそう」「相性よさそう」みたいな判断がある程度つくので、良い時代になったなと思います。

結局私は、会社を辞めるまで、飲み会問題に悩まされ続けました。
飲み会がない日でも「あー、〇日飲み会、やだなー」と頭の片隅にありました。
飲み会のお知らせがメールできたら「うわあ、、、」とテンションが下がり、目の前の仕事がおそろかになっていました。

やりたくないことを嫌々やっていると、嫌なことがどんどん集まってきてしまい、いいことなかったな、と今は思います。

我慢すれば報われると思って生きてきましたが、我慢の先には我慢しかありませんでした

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