過去の痛みを成仏させるため、自分の育った家庭を改めて客観視する作業をしています。(【もくじ】いかにして私はアダルトチルドレンになっていったのか【体験談】)。
皮膚むしり症など、強迫性障害の気配は子供のころからあったものの。
不潔恐怖・疾病恐怖に本格的に悩みだしたのが20代前半のころでした。
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恐怖症とのたたかい
母は、私の体調不良をあからさまに面倒がったり、あるいはパニックに陥るようなところがあり。
そこから夫婦喧嘩に発展したりして、体調不良のときこそ追い詰められるという環境にありました。
自分の身は自分で守るしかないと決意したのが幼稚園児のころでした。
頭のどこかで常に体調不良を恐れているようなふしがあり、何をやっていても楽しみきれないような感じがありました。
危険そうなもの、生ものは食べないとか、子どもなりの対策もしていました。
(今思うと、汚部屋&風呂にも入れなかったので、そっちのほうが危なかったのではと思うのですが)
神経質とはいえ、著しく日常生活に支障が出るほどではなかったのです。
(せいぜい皮膚むしり症くらいのものでした)
ところが、20代前半で一気に恐怖症が悪化し、その後10年以上戦うことになります。
感染性胃腸炎の流行におびえる
きっかけは、2006年ころ、ウイルス性の胃腸炎が大流行したこと。
昔は「おなかの風邪」程度に扱われていただけかもしれませんが、やたら大々的に報道されるようになったのがこのころだったと思います。
はじめは「まあ、若年層の私にはそこまで関係ないだろう」程度だったのですが……。
あまりにもニュースで報道するし、かかってしまった人の壮絶な体験談を目にするうちに、ものすごく恐怖を感じるようになってしまいました。
「なんとかかからない方法はないだろうか」と必死になって調べていたところ、余計に不安になってしまう情報をどんどん発見してしまいます。
・ホテルのカーペットについたウイルスが掃除機を経由して空間に舞って感染拡大した例がある
・トイレの蓋を閉じて流さないと、空間にウイルスが飛散→次に使う人にうつる
などなど。
そんな程度で感染するなら、これはもう、自分ではどうしようもないというか、運次第ではないか、と愕然としました。
そこからはもう、悪いイメージがどんどん膨らんでしまい、「やばいやばいやばい」と恐怖の車輪が勝手に回りだして、止まらないような感じでした。
万が一、突然人前で体調が悪くなったら……と思うと、子ども時代のこと(母が体調不良の私を見てドン引きしていたこと)を思い出して、「またあんなふうに周囲に引かれてしまう、嫌われてしまう、この世から弾き飛ばされてしまうのだ」と焦ってしまうのでした。
運の悪さも重なって悪化
運の悪さも重なりました。
ちょうどまさに流行ピークの真冬、電車に乗ろうとしたその瞬間、降りてきた人のそういう場面に遭遇(病気だったのかお酒に酔っていた人なのかは不明)してしまい、靴やズボンに被害を受けまして……(その人は何事もなかったかのように去っていってしまったので謝罪もクリーニング代もなし)。
明らかに目立つほどベッタリ……ではなかったのでまだマシだったのですが、見知らぬ他人の汚物をつけたまま移動するのは死にそうでした(真冬だったので裸足で帰るわけにもいかず……半泣きで帰宅し、玄関前で靴とズボンは脱いで処分しました)。
しかもその翌日は、どうしても休めない用事があったので、「万が一、ウイルス性胃腸炎の人だったらどうしよう」と、怖くて死にそうでした。
(結局、発症はしなかったので、違ったのだろうと思いますが……いまでもあの瞬間を忘れられず、思い出すと死にそうな気分です。10年以上前の話ですから、被害に遭ったときはマスクもしていませんでした)
この不運をキッカケに「もしあの人が感染性の病気だったら、私はほぼ間違いなく感染してた……」とよりリアルに想像できるようになってしまい、恐怖心がますます増強していきました。
電車がこわい、冬場はマスクが手放せなくなる
「(今回はたまたま発症せずに済んだけれど)いつまた被害に遭うかわからない」と思うようになりました。
当然、電車に乗るのも怖くなりました。
しかし、学校に行かないわけにもいきません(しかも通学時間長い)。
となると、「万が一のときに、少しでもガードしたい」という気持ちで、マスクが手放せなくなりました。
コロナ禍を経て、マスクもそこまで不自然ではなくなりましたが、当時は「なんでいつもマスクしてるの?」と訝しがられることも多々あり、それもまた「おまえはおかしい」とつきつけられているように感じてしまい、苦しかったです。
外出先のトイレがこわい
健全な思考なら「気を付けるところは気を付けて、あとは気にしないようにしよう」と考えられるのだろうと思いますが、私は「なんとしてでもかかるまい」とますます思いつめるようになっていきました。
となるとやはり危険度が高いのはトイレ。
(確率的には低いはずですが)万が一、自分が入る直前に具合の悪い人が入っていたら……空間にウイルスが浮遊しているに違いない!それを吸い込んでしまったら罹ってしまう!と思ってしまったんですね。
そして、外出先のトイレを徹底的に避けるようになっていきました。
しかし私は、もともとお手洗いが近いほう。
となると、外出しても、用事は最短で済ませ、速攻で帰宅するしかありません。
休日の買い物なども、「あーまだあれ見たいけど、そろそろ帰らないとトイレが……」と思うようになり、全く楽しめなくなっていきました。
当時通っていた学校のトイレは、使う人が限られている環境だったので、なんとか大丈夫だった(具合の悪そうな人がいなければ一応大丈夫と思うことにするしかなかった)ので、そこだけは不幸中の幸いというべきでしょうか。
今になって思うこと
不潔恐怖・疾病恐怖との戦いは、この後さらに悪化しながら10年以上続くことになります。
今思えば、早めに精神科に行くべき案件なのですが、浪人生時代に「嫁に行けなくなるから精神科に行くのは許さない」と保険証を隠されるということがあったため、「精神科」という選択肢自体が私から抜け落ちていました。
若くて楽しいはずの時期、頭の中の9割を恐怖感が占めていました。
そもそも、私が勉強にこだわって無理を重ねていなければ、こうはならなかったのかもしれません(症状の悪化にストレスも関係していると思うので)。
こじらせてしまったのは私自身ですが、大元には母の教育が関与していると思うので、やはり複雑な思いがあります。
うまくいかないときは「そっちじゃないよ」というメッセ―ジだ、という捉え方があるようですが、あながち嘘でもないのかもしれません。
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