過干渉型の毒親あるある、人間関係への口出しについて。
小学生になってもなお、母の自転車の後ろに乗せられるときの無力感について。
だれかに許してもらっても、罪悪感はなくなりません。自分で自分をゆるすには?
たかが天然パーマですが、「私は汚い」という自己評価を持っていた私にとっては、「ますますキモくなってしまう」という恐怖感との闘いでした。
何か問題が生じたとき、自分は悪くないと固定すると、相手や状況をコントロールしたくなってしまいます。でもそれは難しいのでものすごく辛くなります。
きらいな母をなかなか突き放せないのは、大人の自分と子ども時代の自分が分離しているから。
毒親エピソードでよくある「下着を買ってもらえない」件。 私の場合は「メガネ」でした。
子どもの頃はめったにお風呂に入れなかったこと、そこから「私は汚い」という観念を強めてしまった、という話
無意識のうちに、相手の感情の面倒をみようとしていたからこそ、人間関係が面倒・億劫に感じていたのだと気づきました。
私にとっては 「汚部屋=母に汚染された私の象徴」 でした。