加藤諦三さんの本
初めて加藤諦三さんの本を読んだのは20代半ばだったかと。
『「大人になりきれない人」の心理』という本でした。
私はずっと「どうしてこんなに生きるのが辛いのだろう」という思いを抱えて生きていたのですが、その問いに対する答えが、その本に書いてありました。
もちろん、本を読んだだけで簡単に人生が変わるわけではありません。
でも、長年の問いの答えが見つかっただけでも、扉が開くような感覚がありました。
それから少しずつ少しずつ、本来の自分が求めていた人生に向けて修正できつつあるように思います。
それ以来、加藤諦三さんの本は見つける度に手に取り、読んでいます。
切り口は違えど、おっしゃりたいことの本質は同じだと思うので、どの本にも共通する部分はあるのですが、それでも毎回、没頭して読んでしまいます。
「読む」でなくて「(どうしても)読んでしまう」といった表現がしっくりくるほど、私にはフィットしているようです。
今回はこちら。
加藤諦三『人生を後悔することになる人・ならない人』(PHP研究所・2018)
人生を後悔することになる人・ならない人 パラダイムシフトの心理学
- 作者: 加藤諦三
- 出版社/メーカー: PHP研究所
- 発売日: 2018/01/26
- メディア: 単行本(ソフトカバー)
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本の概要
この本では、人生を後悔しないために「苦しみ(心の葛藤)から逃げるな」ということを、先哲(アドラー、カレン・ホルナイ、フランクル、マズローなど)たちの言葉も交えながらひたすら訴えています。
なんでもかんでも逃げるなと言いたいのではなくて、「心の葛藤」から逃げるなということです。
別の言い方をすると「等身大の自分に向き合うことが大切である」ということかと思います。
パワポでポイント整理
これらのポイントをふまえつつ、感想を記していきます。
苦しみから逃げるな、とは
本書における「苦しみ」について著者は
苦しみとは、自分の現実を認めることである。
自分の誤りを認めることである。
何よりも苦しいのは自分が自分に失望していることを認めることである。
引用元:『人生を後悔することになる人・ならない人』(p.51)
と解説しています。
よって、「苦しみから逃げる」とは
劣等感と向き合うことなく、優越感を持つことで、劣等感を癒そうとするのが「苦しみから逃げる」ということである。
引用元:『人生を後悔することになる人・ならない人』(p.273)
ギクリ。
若い頃を思い返すと、身に覚えがありすぎて冷や汗が出ます。
劣等感を埋めるために特別な何かを身につけよう(でも努力はあんまりしたくない)としたり、劣等感をごまかすために「あの人よりはマシ」と誰かを見下して安心してみたり。
挙げればキリがないですが、これ、ほとんど無意識の状態でやっていたというか、思考回路の癖になっていたように思います。
でも心の奥底でなんとなく嫌な感じがするのです。
何か間違っているとは思う、でもどうしたらいいかわからない。
その先まで考える思考力もなく、まさに現実から、等身大の自分から、目をそらしていました。
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現実を認められない理由
では、なぜ、なかなか現実を認められないかというと、
小さい頃、愛されなければ愛されないほど、現実を認めることは難しい。なぜなら基本的不安感が深刻だからである。
しかし、それにもかかわらず、人生の選択とは、「現実を認めて自己実現するか、現実から逃げるか」である。
引用元:『人生を後悔することになる人・ならない人』(p.62)
私も親(とくに母)からの愛情を感じることが出来ずに育ちました(母なりに精一杯やってくれたのだとは思いますが……母はものすごく劣等感の強い人でした)。
両親はいつも罵り合っていたし、「私は生まれてきてしまって良かったんだろうか」という罪悪感みたいなものを今でも抱えています。
身体的な虐待など含め、もっと辛い環境の人もたくさんいるでしょう。
でも、家庭環境って、自分で選べないのですよね。
親は選べないし、子も選べない(自ら親を選んで生まれてきたのだ、なんてたまに聞きますが、その考え方で楽になるのであればアリだとは思いますが、個人的には取り入れていません)。
生まれたときの環境が劣悪だった場合、本人に非はなくても劣等感を植え付けられてしまうわけです。
しかしそれでもなお、現実を認めて自己実現するか、現実から逃げるか(現実から逃げると行きつくのは神経症)なのだと先哲や著者はいいます。
よって、幸せになりたいのなら、現実を認めるしかない。
例えばこんなふうに。
人を認めることができない人間に認めてもらおうとする努力ほど、惨めな努力はない。「苦しみは救済に通じる」とは、そのような時でも、「自分の親は人を愛することが出来ない人間である」という運命を受け入れることである。
引用元:『人生を後悔することになる人・ならない人』(p.236)
「自分の親は人を愛することが出来ない人間である」と思うのは苦しかったです。
親のことをできれば肯定したいというのが子供心だと思うので。
また、自分の子供をコントロールしたり、洗脳することに長けている親もいると思います。
「お母さんはこんなにしてやってるのに、あんたはお母さんに何もしてくれない」「この親不孝者め」などと毎日のように言われれば、子供は自分に問題があるのだと思い込んでしまいます。
言葉は悪いですが、洗脳されているのですよね。
本当は、親の都合に振り回されているだけなのですが。
私はこの事実に気付くまで、親に認められるためにあらゆる努力をしてきました。
世間的に申し分ない肩書も手に入れました。
それでも親は粗探しをしてくるし、全く幸せじゃない。
むしろ劣等感がますますつのっていく。
一方、心理的に成長できない環境で生まれても、成長していける人もいるそうです。
彼らはまず、自分はどういう環境で成長したかをハッキリと自覚する。そして自分の中には、成長を阻害する強力な力が働いていることを理解する。それをしっかりと理解できれば、そういう自分が成長するためには、どういう人と付き合えばいいのか、どういう会社にいく努力をすればいいのか、今誰から離れようと努力すればいいのか、自分は何を頼りに生きる努力をすれば良いのかなど、いろいろなことがわかってくる。
引用元:『人生を後悔することになる人・ならない人』(p.137)
自分が少々問題のある環境で育った等、現状を認識できれば、そこから道が開けるというわけです。
私がこれを認められたのは三十歳手前でようやく、でした。
冷静に受け止めるまで、罪悪感やら、恨みつらみやら、いろんな感情が噴出して、苦しかったです。
でも、この苦しみに向き合うことが大事なわけです。
時間はかかりましたが、今は比較的フラットな気持ちで過去を見つめています。
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誰かに認めてもらおうとするのはムダ
さて、ようやく現実に向き合い始める段階にきた。
でも、それだけではまだまだ解決とは言えません。
劣等感の強い人は、誰かに認めてもらうことで、自分を保とうとします。
それを長い間続けていれば、習慣になってもいますし、どうしても劣等感を動機として行動してしまいがちです。
人は小さい頃からさまざまな屈辱を味わう。多くの人は劣等感で心が傷ついている。その心の傷を癒したい。そのために、社会的に成功して世の中を見返そうとする。
その劣等感を動機とした努力は、残念ながら人を救わない。
引用元:『人生を後悔することになる人・ならない人』(p.174)
ではどうしたらいいのかというと
「他人に認められる」を少しずつで良いから「他人ではなく、神様に認められる」という考え方に変えていくことである。
神様といっても宗教のことをいっているのではない。
自分の心の中の神のことである。自分の「心の砦」である。
自分の心の中にある核に頼ることである。
引用元:『人生を後悔することになる人・ならない人』(p.177)
他人に認められることを目指すのは不毛だとわかってはいるんです。
各人の都合によって、良い悪いは変わるものですから。
人によって感じ方が違うのだから、全員から認められることも絶対にない。
つまり、他人に認められようとするということは、ただでさえ劣等感で弱っている心に批判という名のパンチをお見舞いするようなもので、余計に辛くなってしまうのですよね。
頭では理解しているのですが、いまだに認められようとしてしまうときもあります。
だから、全然大したことでなくても「まぁまぁ、よくやったほうだよ」と意識的に思うように心がけています(ここだけは努力!)。
最初の頃は「いやいや、こんなのできて当たり前でしょ」と、なかなか自分を認められませんでしたが、無理やりにでも「まあまあ、よしとしよう」とか「まあこれくらいできれば十分じゃない?」と自分に声をかけていると、少しずつ心が緩んできました(時間はかかります)。
また、認められたいということは、相手に失望されたくないということでもあります。
批判されたり、否定されたりすることは、ものすごく恐怖ですよね。
私の場合は、「失望される=見捨てられる=死」という、幼少期における親との関係をベースに、人間関係を構築する癖があったので、相手の一挙手一投足に完全に踊らされていました。
本当は、自分が自分に失望しているから「相手の失望が恐い」。だから、自分に対する自分の態度を変えれば「相手の失望が恐くなくなる」はずである。
引用元:『人生を後悔することになる人・ならない人』(p.183)
そうなんです、よくよく心の中を観察すると、自分が自分に失望しているんです。
自分がダメだと思っている上に、だれかに批判されると、傷口をえぐられるというか、腫れているところを針でつつかれるというか、「あああああ、やっぱりそうなんだ」と、ダメさを眼前につきつけられたようですごく傷ついてしまいます。
傷口や腫れ物って、気になるからと触ったりしていると、悪化するものですよね。
治すには、丁寧に、優しく扱うことが大切です。
これって、心の傷にも言えることなのだと思います。
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自分に対する自分の態度を変える
個人的にはここが一番グッときました。
自分に対する自分の態度を変えるには、まず今までの人間関係を反省する。
小さい頃、「お前はつまらない人間だ」という破壊的メッセージを、誰かから与えられた。そして、その不当なメッセージを真に受けた。
その不当なメッセージを真に受けた自分の受け身の態度を反省するとともに、そのメッセージの発信者を乗り越える。
人に破壊的メッセージを与え、人を失望させる人間は、実はその人自身が自分に失望しているのである。
自分に失望した人間の最も卑怯な心の癒やし方は、身近な弱い人を失望させることである。つまり弱い人を破壊することである。
自分からすすんで卑怯な人間の餌食になることはない。
引用元:『人生を後悔することになる人・ならない人』(p.183)
簡単にまとめると
まず、不当なメッセージ(ダメ出し・否定など)を真に受けてしまったことを反省する。
そのメッセージ(ダメ出し・否定など)の発信者は卑怯な人間であることを理解する。
そんな卑怯な人間の餌食にはならないと決心する。
といったプロセスになるでしょうか。
子供に破壊的メッセージを与える(つまり否定する)ことって、しつけと混同されがち。
親が「しつけです」と言い張れば、子供はそれを受け入れるしかない。
「しつけ=正しい行い」なのだから、しつけとして「あんたはダメね」と言われたのならば、素直な子供は直そうとしてしまう。
ダメなところが明確なら直せますが、「あんたはダメ」という包括的な否定だと、直しようがありません。それこそ自分が存在してよいのか、それ自体があやふやになってくる。直そうとすればするほど、破壊的メッセージを取り込んでいってしまう。
そしてそれらはいつの間にか強固な劣等感を形成してしまうのですね。
しつけとして叱るのであれば、その対象は言動であって、子供自体をやみくもに否定する必要はないはずです(まぁ、実際に人を育てるとなると、そんな悠長なことを言っていられないのかもしれませんが…)。
今になって自分の子供時代を思い返してみると、しつけとして怒られている、という状態と、八つ当たりをベースにした相手の感情によって怒られている、という状態は、なんとなく区別がついていたような気がします。
というか、怒られる云々の前に、日頃の態度で愛されているかどうか、子供は無意識のうちに感じ取っているのだろうと思います。
ともあれ、破壊的メッセージを真に受けたことを反省はするものの、子供だった自分にとっては、精一杯の行動だったのですよね。なんとか生き延びるためだったのですよね。
だからそれ自体は仕方ないかもな、と思います。
今後、どう生きていくかが大事。
親が、自分の思い通りにならないからといって投げつけてきた呪いの言葉に縛られるなんて馬鹿らしい。
そう思えるようになれば、「私はダメな人間」ベースであらゆる現象を捉えていたのが、「人間だから常に完璧にできるわけじゃないよね」とか「ダメ人間のわりにはよくやったほうかも」などと少しずつ客観的に捉えられるようになるのだろうと思います。それを積み重ねていくうちに劣等感も和らいでいくのかもしれません。
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おわりに
この本の主張は、目の前の現実に向き合うことが大事、ということです。
「目の前の現実に向き合う」をもう一度確認しておくと
自分と正面から向き合うとは、たとえば悔しい時に「何でこんなに悔しいのか?」とその原因を考えることである。
するとそこに自分が見えてくる。
引用元:『人生を後悔することになる人・ならない人』(p.208)
もう一つ。
苦しいことがあったときに、「この苦しみには何か意味がある。自分に何を教えているのか?」と考える。
引用元:『人生を後悔することになる人・ならない人』(p.238)
この作業はやっぱり苦しいと思います。
考えるのを中断してしまうかもしれません。
それでもまた考える、自分なりの答えがわかるまで、納得するまで。
苦しいときにはこう思いましょう。
今の悩みは今までの生き方のツケだと認識できれば、今の苦しみは半減する。
引用元:『人生を後悔することになる人・ならない人』(p.252)
その都度苦しみに向き合って、人生を修正していくうちに少しずつ生きづらさが解消していくのでしょう。
それは幸せに向かうということでもあります。
そう思うと、少し前向きな気持ちになってきました。
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