ししもとの読書ノート

生きづらさの軽減をめざして

子どもがほしくない理由を改めて考えてみた |感想『わたしが子どもをもたない理由』下重暁子

はじめに

ブログというある意味公な場で、こういうことを表明するのは少し怖いですが、私は子供をもちたいと思えない人間です。

そのことに関しては自分のなかでは折り合いがついていますし、人それぞれの考えがありますから、産む産まないは各人の考えに従えば良いと思っているのですが、他者に「どうして子どもいらないの?」と問われた際に、どう説明したらいいのか困ってしまうことがあります(独身なので、普通に生きているぶんには、子どもについて聞かれることもほぼないのですが)。

表面的な人間関係であれば、その場その場で適切に対処すればよいですが、親戚とか、大切な友人とか、とりわけ、自分との交際を望んでくれた人に対して、どう説明するか、に頭を悩ませています。


大切な人には言葉を尽くして説明するようにはしますし、相手も理解しようとしてくれる(ことも多い)のですが、やはり相手には相手の価値観があり、なかなか理解し合いきれないというのが現状では多い気がします。選択肢が増えてきたとはいえ、やっぱりまだまだ「子供はもつもの」という考えが一般的ですから、まあ仕方ないのですけど。


そこで、他者に説明する際にしっくりくる表現とか考え方とか態度とかはないだろうか、と思って、こちらの本を手に取りました。

 

下重暁子『わたしが子どもをもたない理由』かんき出版(2017)

わたしが子どもをもたない理由(わけ)

わたしが子どもをもたない理由(わけ)

 

 

 

作者は下重暁子さん。
『家族という病』なども書かれていて、有名な方です。
下重さんもまた、子をもたない選択をした方。

下重さんは子供の頃病身であり、またお母さんが「娘、命」であり、戦後お父さんの仕事の関係で家族がゴタゴタしたり、といろいろあり、さらにはご本人の感性が人一倍繊細だったりして、

生まれてきたことにずっと感謝できなかった

 
引用元:下重暁子『わたしが子どもをもたない理由』かんき出版(2017)p.23

 

といいます。

自分が納得してない命の連鎖を続けていくことはできない、と思ったそうです。


これ、私にも少しわかるのです。

例えばテレビ番組などで、子供が母親に向かって「おかあさん、ぼく(わたし)を生んでくれてありがとう」などと言う場面が放映されることがあります。しかもそれは感動的な場面として扱われたりします。

が、その度に私はいつも首をかしげていました。
生まれたことをどうして感謝できるのだろう、と。
本当に感謝している、といえるのか?

感謝するものだという固定観念から言っているだけではないのか? そうだとすると、それは一種の思考停止なのではないか?


ひねくれていると感じる方もいらっしゃるでしょう。
でも、自分自身が生まれてきたこと自体を手放しに喜べたことがないから、そのように思ってしまうのです。


どうして喜べないのだろう、と考えてみると、とにかくずっと苦しかったから、生まれてきたこと自体を肯定できないという状態が長く続いた、ということなのかな、と思います。

子供の頃は身体が丈夫なほうではなかったし、母親自身が様々な問題を抱えていて健全な関係を築けなかったし、周りには常に争いごとがあって(両親不仲、嫁姑舅問題)、本当に生きている心地がしなかったのです。


要するに、子供らしく毎日を楽しむという環境にありませんでした。

成長してからもなお、母親の干渉やコントロールがひどく、選び取るものはいつも、「母が気に入るもの」でした。

自分の気持ちをないがしろにし続けているわけなので、そりゃ人生楽しいわけがない。


29歳のときに母と距離をとり(なかなか大変でしたが)、罪悪感と戦いながらやっと、自分の本心に沿った選択をできるようになってきました。

そのあたりからやっと、自分の人生が始まった、という感じです。

せっかく取り戻した自分の人生を、自分のペースで生きたい、という気持ちがとても強いです、今は。

親や家族からの影響は大きい

私もそうですが、自分の育った環境が悪くてトラウマになっているということは、子どもをもたない大きな理由でしょう。

下重さんの本では次のように述べられています。

 トラウマといってもさまざまあるが、大きく分けると二つあって、子ども時代に親からの虐待やいじめを受けたなどの負の経験の場合と、もう一つは、あまりに親から愛され、さまざまな干渉を受けたという場合。

引用元:下重暁子『わたしが子どもをもたない理由』かんき出版(2017)p.82

 

私事で恐縮ですが、周りの大人たちからの理不尽な仕打ち、母による干渉、両方ともあてはまります。

私の母は「あんたのためを思って」と、すべての言動を愛情からくるものであると主張していましたが、実質的にやっていたことは、脅しや八つ当たり、ネグレクトといった、精神的虐待だったと思います。
(一度、父が母に向かって「あなたのやっていることはいじめだ」と言ってくれたことがありました。妻からすれば夫としてはNGな発言ですし、母は母で気の毒でもあるのですが、私としてはどこか胸がスッとしたのも事実でした。とはいえ、すんなり反省するような母でもなく、余計に八つ当たりがひどくなったりしたのですが…)


著者の下重さんも(虐待のようなことはなかったようですが)、お母さんに干渉され、尽くされること、期待されることがしんどくてたまらなかったそうです。

親からの干渉を受けた者がどのような思考に至りがちであるかというと、

母の生き方を見、批判し、自分の個を型作ってきた私にとって、一番恐れるのは、子どもを持つことによって母と同じになってしまうことだ。

引用元:下重暁子『わたしが子どもをもたない理由』かんき出版(2017)p.36

 

これもすごく共感します。
私もやはり、「母が私にしたのと同じことを子にしてしまう」のがとても怖いです。

そのように言うと、「それがわかっているなら、同じようにしなきゃいいだけでは?」とよく言われるのですが、とても制御しきれるとも思えないのです。

制御できたとしても、ものすごく理性の力を使うので、ヘトヘトになってしまいそうで、自分自身がもたない気がしてならないのです。


そうまでして子どもをもちたいと思えないし、もし、自分を犠牲にしてでも子供を、と思うのであれば、それはもう干渉の域に足を突っ込んでいるのではないかと思うのです。


「お母さんは自分を犠牲にしてあんたを産んでやったんだからね」という圧力が、口に出さずとも、全身から染み出してしまうのではないかと私は思うのです。

 

責任など持てない

子どもをもつ、ということにはどうしても責任がつきまといます。
その責任の重さに躊躇してしまう、というのも、子をもたない一つの理由でしょう。

下重さんによれば、

子どもを持つという責任は重い。自分の人生ではなく子どもの人生まで背負い込むことになるのだから。何も考えずに産む人にとっては、子どもは分身、自分の一部、という思いがあるのだろう。

引用元:下重暁子『わたしが子どもをもたない理由』かんき出版(2017)p.69


何の悪気もなく、子どもは自分の分身、と思えたらどんなに楽だろう、と思います。

母の分身として扱われることは、少なくとも私にとっては、とても辛いものでした。

分身として扱われることの苦しさを痛いほどわかっているので、自分の子に同じことをしたくありません。

したくないけれど、しない自信もないのです、「別の人間」として扱ってもらった経験がないので。

※子どもを抵抗なく産んだ方を否定しているわけではありません。子どもを「分身」ではなく、一人の「個」として尊重できる方なら、全く問題ないと思います。


また、下重さんはこのようにもおっしゃっています。

私は自分の身ですら、扱いかねている。自分のやったこと考えたことは自分に戻ってくるから、やむを得ず責任をとらねばならないが、それ以外は無理だ。

引用元:下重暁子『わたしが子どもをもたない理由』かんき出版(2017)p.70

 
これも本当に同意します。

自分が生きることに精一杯なのに、他の存在にまで責任を持てるわけがない、と思ってしまいます。

誰かの面倒を見る、ということを想像するだけで疲れて疲れて仕方ないのです。


この「育てる自信がない、責任を持てない」という考えに対し、「配偶者によって変わるのでは?」と言われたことがあります。

つまり、「夫が子の面倒をよく見る人だったりすれば大丈夫なのでは?」ということでしょう。

もちろん全く何もしない人よりは子育てに積極的な人のほうが絶対に良いですが、だからといって、子供に対してノータッチというわけには現実的にはいかないでしょう。

100歩譲って、夫に主夫となってもらい、子育てをしてもらうという選択肢もあるかもしれません。ですが、私にはもう、がむしゃらに働くという気持ちはなく(かつてがむしゃらに働いた時期があり、それで体調崩したりして懲りた)、誰かを養える力もありません。

そもそも、産んだ子に対して、ノータッチでいたいと思ってしまう時点で、産まない方が自分のためにも子供のためにも良いのは明らかなのではないか、と思います。

f:id:shishi-book:20181108131732j:plain

 

切れない縁をわざわざ作りたくない(個人的意見)

※これは下重さんの本とは関係なく、私が個人的に思うことです。

子どもの頃から、「親とは縁を切れない」ということに絶望していました。
特に未成年のうちは、経済力もないですし、できることといったら「家出」くらいでしょうか。

私は「良い子」として生きていたので「家出」をする勇気もなく、また家出しても母に力技で引きずり戻されることがわかっていたので、ただひたすら悶々としていました。
成人した今でさえ、法的にいえば、親と縁を切ることはできないのです(物理的な距離を置けば実質的に疎遠にすることは可能ですが)。


「縁を切れない」という状態に苦しみすぎたためか、今となっては「切れない縁をわざわざ作りたくない」という考えになってしまいました。

相手が親ならまだ、実質的に疎遠にすることは可能ですが、自分の子となるとどうでしょう。

育てる義務がありますから、万が一、縁を切りたくなっても、まず切ることはできません。

離れられるとしたら、それこそ虐待をしたときなどに限るわけです。


誰かと「縁を切りたい」と思いながら生き続けるなんて、苦しみ以外の何ものでもないですし、相手(子)にも失礼だと思うのです。

他者から寄せられる疑問に対して思うこと(個人的意見)

産んでみたら変わる?

「産んでみたら自分の子はかわいいよ」という意見もあるかとは思います。

よく耳にしますから、そういう面もきっとあるのでしょう。

ですが、それはあくまでその方の感想であって、私がそう思うかどうかは不明だなあ、とも思います。


私の場合、もし我が子に母の面影を見い出してしまったら(目鼻口などのパーツ、体型、声、気質……あらゆるところで)、と想像すると、ゾッとしてしまうのです。

母の面影を自分の子から見つける度に、母のことを思い出して「うっ」となるでしょう(少なくとも母のことを許せない間は)。

「うっ」となったことを隠すのに必死になるでしょうし、子どもが憎らしく見えて冷たくあたってしまう可能性も高い。

だから「やっぱり子供は持てないな…」と思います。


全ては現時点における想像ですから、的を射ているとも言い切れませんが…。

老後問題(個人的意見)

「子供いなかったら老後どうするの? さみしいよ」とおっしゃる方もいます。
そういう意見があるのもよくわかります。孤独な人の方が寿命が短いなんてこともよく聞きますしね。

ただ、母と距離を置いた身としては、子どもがいたからって何かしてもらえるとは限らない、孤独でないとは限らない、ということを私自身がよく知っているのですよね。

それに、「こんだけしてやったんだから、将来面倒見てよね」という圧力は本当に本当に苦痛でした。

どこまで私の人生を邪魔する気なのだ(母を邪魔してくる存在だと思ってしまっている時点で健全な関係が築けていないわけですが)と。

だから、誰かにそんな思いをさせたくないです。


よって、なるべく他人様に迷惑をかけないように生きるのみです。
そのために体調管理や貯金はきちんとしておかねば、とは思います。

子を持たない理由を一言で表すとしたら

自分語りが長くなってしまいましたが、本の感想に戻りまして。
本書の終章には、いろいろな理由で子を持たなかった方のインタビューが載っています。

どれも共感というか、理解できるものです。
その中で、私の心情に一番しっくりきたのは、キャリアコンサルタントの44歳の女性のことば。

自分の人生を
生きたいから、
子どもは作らなかった 

引用元:下重暁子『わたしが子どもをもたない理由』かんき出版(2017)p.205

 

本心からこのように思っている者もいるのだ、と知っていただけると幸いです。


おわりに

このブログでは、読んだ本の感想を記すことにしているのですが、今回は本の感想というよりも、私の考えが全面に出まくってしまったかもしれません(汗)。

一個人の考え方が参考になる場合もあるとは思うのですが、私の考えなんかよりも本がどうだったか知りたい、という方もいらっしゃると思うので、公開するか迷いました。
ですが、現時点の考え方を残しておいて、たまに読み返すことは自分自身のためになると思うので、問題がなければ公開にしておこうと思います。

なお、子どもを持とうと思えない身としては、子どもを持ちたい、産みたい、育てたい、と自然に思える人は素晴らしいなと思っています(自分が思えないからこそ)。

ですので、子を産み育てている方や、これから持とうとしている方を否定するつもりは全くありません。


また、母のことを随分悪く書いてしまいましたが、母は母でたくさんの問題を抱えており、そのうちのいくつかは母自身にはどうしようもない生まれつきのものや、そこから二次的に生じたものでした。

そこまでは仕方ない部分もあるのだと思います。

母の誤ちは、母の問題の一部を私に背負わせようとしたことなのだろうと思います。
しかしそこまで考えを巡らせることもまた、母にはできず、これもまた結果的に、仕方のないことなのだろうと思います。

なんだか悲しいですが、せめて残りの人生を自分なりに楽しんでから死んでいこうと思います。


随分長くなってしまいましたが、こうして記事を書くことにより、自分の考えが今まで以上にクリアになりました。

本というものは、自分の思考の助けになってくれるものだなぁ、としみじみ思います。



ーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
子どもを持たないつもりですが、産んだ人が書いたエッセイも読んでみました。
考えが変わることはなかったけれど、意外といろんな発見がありました。