ししもとのAC回復ノート

親の呪いを解いて自分の人生を生きる

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愛情不足を克服するポイント3つ |感想『愛着障害 子ども時代を引きずる人々』

自分の生きづらさには育った家庭環境が関与しているのではないか、と気づいてから、関連の本をたくさん読んできました。

今日紹介するのもそのうちの一冊。
久々に読み直したので、感想を記しておきます。

岡田尊司『愛着障害 子ども時代を引きずる人々』光文社新書(2011)

愛着障害 子ども時代を引きずる人々 (光文社新書)

愛着障害 子ども時代を引きずる人々 (光文社新書)

 

 

 

 

どんな本?

まず、「愛着」とは何かというと、「人格の土台」「人間関係を築く能力」。
その人の心理や行動を支配しているもの、とも言えそうです。

愛着は母親との関係性によって形成されるもの。

安定した愛着を築けていれば、諸々にうまく適応していけるのですが、不安定な愛着だと、生きづらさを感じてしまいます。

自分の愛着がどんなものかをふまえ、もっと生きやすくなるにはどうしたらいいかという観点でヒントをくれる本です。

精神科のお医者さんが書かれていますので、専門性が高く、視点は客観的です。

 


愛着障害の原因は主に養育環境

愛着障害は、もともとは戦争孤児の研究から発覚したそうです。

愛着を脅かす大きな要因は、愛着形成の時期に
・母親がいなくなる(死別、離婚など)
・虐待を受ける

これは誰の目から見ても、子に良い影響を与えないのは明らかですね。

川端康成、ルソー、夏目漱石も愛着障害だったそうです。
川端は2歳半までに両親を亡くし、ルソーは生後すぐ母を亡くし、漱石は里子に出されその後たらいまわし、と人生の始まりから壮絶です。


しかし、一見普通に見える家庭で育った人でも、その三分の一くらい人は、(重度でなくても)愛着に問題を抱えているそうなのです。

それはなぜかというと、親(特に母親)やそのまわりの人の愛着スタイルが伝達されるから。

不安定型の愛着スタイルを生む重要な要因の一つは、親から否定的な扱いや評価を受けて育つことである。

岡田尊司『愛着障害 子ども時代を引きずる人々』光文社新書(2011)p.97

 

母親のうつや病気も影響します。
遺伝的要素もありますが、養育環境のほうが大きい(7~8割)そうです。

 

愛着障害の特徴

詳しくは本書をご覧いただきたいのですが、私があてはまったのは以下。

・親と確執を抱えるか、過度に従順になりやすい
→20代までは過度に従順にしていましたが、そのストレスが爆発して、現在は母と疎遠にしています。

・(人間関係において)ほどよい距離がとれない
→私の場合は、他人を信用できず、「だまされるのではないか」とどうしても距離をとってしまいます。逆に「この人は大丈夫」と思うと近くなりすぎて、向こうが引いてしまうことも。
(誰彼かまわず近くなってしまう人もいるそうです)

・傷つきやすく、ネガティブな反応を起こしやすい
→基本的に人の言動をネガティブに解釈してしまいます。そのストレスを自分の内面に向けてしまいます(自分責め、罪悪感など)。
ストレスを他者に向ける人や、自傷という形をとる人もいるそうです。

・ストレスに脆く、うつや心身症になりやすい
→神経過敏で自律神経系のトラブルに見舞われやすいそうです。
私は子どもの頃から「神経質」と言われ、いつも胃腸の調子が悪かったです。小学生のうちから胃薬が手放せませんでした。

・怒りが建設的でない
(問題を解決するための怒りではなく、ただ相手に対する敵意や憎しみとして発せられる)
→むしろ、「安定した人は、問題解決のために怒るのか!」と驚きました。私は「怒り=憎しみ」と捉えていたから、他人が怒っているところを目撃するのも嫌だったんですね。

・過去にとらわれたり、過剰反応しやすい
→傷つけられたことを何年も覚えていたり、恨みに思っていたりします。
これは私よりも、私の母がひどかったです。
常に過去のことをグチグチ言っていました。
母の姿を見て、あまり過去の恨みなどは口にしないよう心がけていますが、心の中には「一生許さない人リスト」的なものがあったりします(自分でも怖い)。

・「全か無か」になりやすい
例えば嫌いな人にも良い点があるということを認められない。
完璧な人はいませんから、「好き」と思える人が少なく、人間関係がどんどん縮小していきます(自分のことは完全に棚上げ……反省)。

・自分を活かすのが下手
→不安、無気力、諦めがベースにあるので、じっくり取り組めない傾向があるそうです。私もまさにこれ。

・キャリアの積み方も場当たり的
→親や親戚にどう思われるかばかり気にして、あまり考えずに決めてしまい、選択ミスした経験あり。
ズルズルと進路を決められずそのまま……という人もいるそうです。

・青年期につまずきやすい
→まさに。10代後半、死にたくて仕方がなかったです。

・子をもつこと、子育てに困難
→一度も子をもちたいと思ったことがないです。

・安住の地を求めてさまよう(出家・遁世・放浪)
→常に「ここではないどこか」を求めているふしが。
一つの場所に長くいると飽きたような感覚に陥って、引っ越したくなります。


他にも様々な特徴がありますので、「自分もあてはまるかも」と思った方は本書をごらんいただければ、と思います。

なお、愛着といっても、いくつかのタイプがあり、それによって、表れ方が異なるようです。

大人の場合、ベースとなるのは
・安定型(健全な愛着が形成されているタイプ)
・不安型(親しくしていても不安、より完全な関係を求める)
・回避型(親密な人間関係を避ける)
の3タイプ。
複数が混ざっている場合もありますので、計8タイプに分類されます。

本書では、巻末に愛着スタイル自己診断用のテストが載っていて、質問に答えていけば自分がどのタイプかわかるようになっていました。

やってみたところ、私は「恐れー回避型」でした。

愛着不安、愛着回避ともに強く、傷つくことに敏感で、疑り深くなりやすいタイプ

岡田尊司『愛着障害 子ども時代を引きずる人々』光文社新書(2011)p.307 

 

不安型と回避型がばっちり混濁しているタイプです。
点数的には不安型のほうが少し強いようです。

対人関係を避けて、ひきこもろうとする人間嫌いの面と、人の反応に敏感で、見捨てられ不安が強い面の両方を抱えているため、対人関係はより錯綜し、不安定なものになりやすい。

岡田尊司『愛着障害 子ども時代を引きずる人々』光文社新書(2011)p.236

 

まさに、そんな感じでして。

人といると楽しいことも多いのですが、顔色をうかがいすぎてヘトヘトになってしまうことがあります(不安型)。
その結果、人といると疲れるので、あんまり人に会いたくなくなります(回避型)。

さて、自分の愛着スタイルを把握するところまできました。
どうしたら克服していけるのでしょうか。

 


愛着障害を克服するには

ポイントは3つ。
※理解しやすくするために、私の言葉で言い換えていますので、正確な記述は本書でご確認ください。

(1)何でも話せる人をもつ
(2)幼い頃やりたかったことをやり直す
(3)否定的に捉えすぎるのをやめる

(1)何でも話せる人をもつ

安全基地をもつ、ということですね。
克服の第一歩なのですが、ここが一番難しいかもな、と個人的には思います。
「何でも話せる人」の選定を謝ると、台無しどころか、さらに傷が深まりますので。

何でも話せる人の条件とは
・傷つけるようなことを言ってこない
・共感してくれる
・応答性(求めているときに応じてくれる。ただし、主体性を侵害しない)
・安定性(一貫した対応をとってくれる)

これら4つが揃って始めて、「何でも話せる」となるわけです。

正直、何でも話せるほどの人って、滅多に見つからない気がします。
とりわけ、愛着障害を抱えている人は、幼い頃「何でも話せるような人」が周りにいなかったわけです。
親や親族、困った人ばっかりです。
実際、私の親は上の条件を一つも持っていませんでした。

だから、社会で生活していくうちに見つけるしかないのですけど(※)そもそも人を信用していなかったり、先に書いたように人間関係に回避的だったりして、まあ難しいと思います。
※親が考えを改めてくれるタイプであれば、親との関係をやり直すのが一番良いそうです。が、現実的に難しいですよね。そんな考えを改めてくれるような親ならここまでこじれていませんから。

何でも話せるパートナーがいれば最もよいですが、そう簡単に見つかるものでもありません。なんたって、親に似た人が寄ってきますからね。

となると、治療者やカウンセラーといった人たちになるでしょうか。
これまた相手も人間ですので、合う合わないがありますから、何件も回る覚悟が必要かもしれませんね。

(2)幼い頃やりたかったことをやり直す

子どもの頃足りなかったものを補い、成長の偏りを修正する、ことも大事です。

本書の例では、20歳の青年が幼児雑誌を欲しがった例が載っていました。
「めばえ」→「よいこ」→「幼稚園」→「小学一年生」と段階を経ていくうちに満足していったそうです。

お恥ずかしながら私も、30代になってもなお、「子ども服のようなかわいいデザイン(キャラクターがプリントされていたりとか)」の服を選んでしまっていました(会う人がたまに明らかに「ギョッ」としていたので、実年齢とズレているのだろうと思います)。

あー、またギョッとされちゃったな、、、と思いつつもやめられなくて着続けていたら、最近は少し落ち着いてて、年齢相応の服を選べるようになってきました。
(今思うと、子どもっぽい服は別に我慢しなくても家で着ればよかったのに、と思うのですが、どうしても外に着ていきたかったんですよね)。


幼児期をやり直す、というプロセスとは別に、傷ついた体験を語り尽くしたり、書き尽くす、ということも有効だそうです。

言語化されずにモヤモヤしたり疼いていた傷が、行動を支配したりネガティブな方向に引っ張ったりするので、そういった膿を外に出してやるのですね。

書くという行為は、ある意味、愛着障害の自己治癒の試みと言えるかもしれない。

岡田尊司『愛着障害 子ども時代を引きずる人々』光文社新書(2011)p.284

 

私がこうしてブログを書いているのも、自己治癒の一つなのでしょう。

大作家には、ひどい愛着障害を抱えていた人が多いのも、納得がいきます。
彼らは全身全霊で、命と引きかえというほどの熱量で、書かずにはおれないほどの、傷を負っていたのでしょう。

逆に、愛着障害が癒されると、書く才能(というかモチベーション)が失われていくケースもあるようです。

(3)否定的に捉えすぎるのをやめる

愛着に問題があると、自分のことも他人のことも否定的に見てしまうわけですから、この否定的認知を脱する必要がある、と著者はいいます。

周囲に認めれ、受け入れられる、ということが人生の初期にできなかったからこそ、自分に対して「自分はこれでいいんだ」と思えないわけです。

具体的にどうしたらいいかというと、社会的あるいは職業的に「役割と責任」をもつことなのだそうです。

大事なのは、どんな小さなことでもいいから、自分なりの役割をもち、それを果たしていくということである。自分にできること、自分の得意なこと、人が嫌がってやらないことなど、何でもいいからやってみることである。

岡田尊司『愛着障害 子ども時代を引きずる人々』光文社新書(2011)p.296 

 

人のためになるようなことだとより良いとのこと。
ただし、「~すべき」とか「義務」からは一旦離れ、気軽に考えることが大事なのだそうです。

これ以外でも「いいところ探しをする」といったことも、否定的認知を脱するのに有効とのことでした。

私は「とにかくネガティブな面に注目してしまう」自覚がバリバリあるので、「いいところ探し」が今後のキーポイントになりそうだな、と思いました。


おわりに

久々に読み直して、自分が回復過程のどこにあるか、確認することができました。
おかげさまでかなり終盤まで来れていると実感しました。

私は基本的には乱読派ですが、「これだ」という本はやはり何度か読み返すと、効果が上がりますね。

本書はお医者さんが書いていますので、比較的客観的な視点で展開されています。
一般向けに書かれた本ではありますが、ちょっと読むのに気合いがいる感じかもしれません(親子関係の本として初めて読むには向かないかも)。

とはいえ、ところどころに偉人のエピソードが書かれていることもあり、興味を維持したまま読むことができます。
あの偉人も、えっ、この偉人も愛着障害!? といった感じで。
偉人ゆえ、その壮絶ぶりも半端なく、「まぁまだ自分はマシだったかな」とさえ思えてくるという効果もあります。

気になった方はぜひ。

なお、当事者目線で書かれた本としては、加藤諦三さんの著作がおすすめです。 

www.shishimoto-yuima.work

 

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