過去の痛みを成仏させるため、自分の育った家庭を改めて客観視する作業をしています。(関連記事一覧はこちら>>>【もくじ】いかにして私はアダルトチルドレンになっていったのか【体験談】)。
私の母は「場当たり的なウソをついてしまう」傾向がありました。
しかもそれがあまりに稚拙であるため、周囲も不信感を抱き、揉め事に発展していきました。
「場当たり的なウソをつき続けると信頼を失う」ということを、母が身をもって教えてくれたのだ、と思うことにします。
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明らかにウソとわかるウソをついてしまう母
たとえば。
私の母は片付ける能力が皆無のため、ゴミもそこらへんに放置してしまうのですが、そのことを指摘されると必ず「私じゃありませんっ!!」と反論します。
まあ、ゴミに限らず、何か指摘されると全部「私じゃありません!」です。
「いやいや、そうは言ってもこれ使うの、あなただけでしょう」と反論されると、「私のじゃないって言ってるでしょうっ! 人のことをバカにしてからに!」と瞬間湯沸かし器のようにカッカカッカと怒りだすのです。
こうなるともう、手がつけられません。
母が場当たり的についた嘘が発端となっているのですが、母にとっては「馬鹿にされた」「いわれのないことで責められた」という絶対的被害者モードが発動しており、何年経っても「ひどい目に遭わされた」という記憶として定着してしまいます。
もしかすると、嘘をついた自覚がないくらい、直前のことを覚えていないのかもしれません。あるいはどうしても「謝る」ということをしたくなかったのか。
こういった被害者性・易怒性などは、何らかの障害(ADHDなど)かもしれないと感じるのですが、ひと昔前にそのような概念は一般家庭にはありませんでした。
ですので、父や私をはじめ、周囲の人間は戸惑うばかりでした。
揉めごとに発展する
特に父は「理屈としての正しさ」にこだわる人なので、母と全くかみ合いません。
父からすれば、「明らかにウソとわかるような内容なのにわざわざ言ってくる=バカにされている・攻撃されている」という認識だったのでしょう。
こうしてまた夫婦喧嘩コースです。
私としても、「どうしておかあさんはこんなにすぐにバレるウソをつき続けるのだろう?」と不思議で不思議でたまらなかったです。
同時に、何を信じたらいいのかわからなくなりそうで、とても不安で嫌でした。
自分の母親を疑うことは、子どもながらにとても辛いことだったのです。
仮に、「あなたのお母さんには生まれつきこういう困りごとがあってね……云々」などという説明があれば、少しは楽だったかもしれない、割り切れたのかもしれない、と思います。
そういう意味では、発達障害や精神疾患などの概念が確立されたことにより、救われる人もいるのだろうと思います。
時代は少しずつ進んでいるな、と思います。
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【親を反面教師に】
重ねた嘘は、本人に戻ってくる
おそらく母は、場当たり的な嘘をつくことで、母自身を守っていたのだと思います。
小さな子どもが、イタズラをしても「ぼくやってないよ」と言うのと同じ種類のやつですから、それほど精神が未発達ということであり、気の毒ではあります。
おそらく子どもの頃から怒られる機会が多かったのでしょう。
怒られたくないがあまり、その場をしのぐということをずっとやってきたのだと思います。
しかし、重ねたウソは形を変えて、本人に戻っていきます。
「あの人ウソついたり大げさに言うから話半分に聞いておこう」となったり。
また、「この程度の嘘をついてもアンタにはバレない」と思われているとも受け取れますから、嘘をつかれた側としてはどこか軽く見られているような感じして嫌ですよね(まあ、母の場合はそこまで気が回っていないと思いますが)。
そうして、話を聞いてくれる人がどんどんいなくなります。
最終的に、信頼を失うのです。
信頼できない人のところに人は寄ってくるでしょうか……離れていきますよね。
残るのは、せいぜい顔見知り程度の関係性と、「利用してやろう」とか何か魂胆のある人ばかり。
すると、ますます人生が低迷していきます。
母を見ていて、そう思います。
「場当たり的なウソをつき続けると信頼を失う」ということを、母は身をもって教えてくれたのだ、と思うことにします。
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