ししもとのAC回復ノート

親の呪いを解いて自分の人生を生きる

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モラハラの被害者にならないために加害者にとっての「めんどくさい奴」になるべし |感想『平気で他人を傷つける人』

以前からタイトルが気になっていた本

片田珠美『平気で他人を傷つける人』KADOKAWA(2015)

Kindle Unlimited(定額読み放題サービス)にラインナップされていたので、読んでみました。

平気で他人を傷つける人

平気で他人を傷つける人

 

 

 


どんな本?

最近はもう説明するまでもないくらいに広まった「モラハラ(モラルハラスメント)」という言葉。

「おまえはダメな人間だ」
「おまえには価値がない」

といったメッセージを言葉や行動や態度で伝えてくる、精神的嫌がらせです。
モラハラが成立するには、相手がどう感じるか、がポイントとなります。

直接「おまえはダメ」などと言わず(言う人もいるでしょうが)、巧妙に形を変えて攻撃するので、モラハラを受けているほうは「こんなことくらいで……」「私が悪いほうに考えているのかも」と思ってしまい、気づきにくいという面があります。

モラハラをしてしまう人の精神構造や、モラハラ被害者の特徴、モラハラにどう対処したらいいか、などを精神科のお医者さんが解説した本です。

モラハラしてしまうのは不全感があるから

モラハラには5タイプあるのですが(詳しくは本書をご覧ください)そのうちよく見かけるのは自己愛型でしょうか(あくまで私の印象ですが)。

自分が一番でいたいとか、自分に価値があると思いたいタイプの人ですね。
上から目線とも言えるかもしれません。
性別でどうこう言うのはナンセンスかもしれませんが、自己愛型は男性に多いような気がします。

一方、女性に多いのは「羨望型(他人の幸福が我慢ならない)」でしょうか。
有名ブロガーを徹底的に批判したり、自分より高いものを持っている友人を許せなかったり、というパターン。

どのタイプも、本質的には「不全感」があるからモラハラをしてしまうのだそうです。

不全感を言い換えると、「なんかうまくいっていない」「思うような評価を得られていない」「もっと○○であってほしいのに」など。
これらを他人に向けてしまう、というわけですね。

モラハラする人は、この「不全感から他人に当たっている」というやましさを隠したいので、「自分は正しいんだ」と思いこんでいるのだそう。

だから「(自分なりの)正しさ」という観点を持ち出して「おまえは間違っている」とか「非常識」などと批判する形になるのですね。

こうして「モラハラ」を解体してみると、「モラハラ」をしている人は「俺・私を認めてくれ」とか「うまくいかなくて辛い!」と叫んでいるような感じがしてきました。

そう捉えると、なんだか悲しい気持ちにもなりますね。
実際モラハラ被害を受けるほうはたまったもんじゃないですけど。

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よかったところ

「いつも遅れてくる」のもモラハラの可能性!?

モラハラ気質の人が周り(親、親戚)に多かったので、それがどんなものであるか、だいたい把握しているつもりでいました。

私自身、中学生の頃などは自己愛型で、「学業成績優秀でないと私は生きることを許されない」と思い込んでいましたから、「今考えるとあれはモラハラをしてしまっていたのだな」という苦い記憶も多々あります(反省)。

だからこそ「あー、この人モラハラ気質だな」というのはすぐわかるほうかも。
自己愛型であれば「すごいですね~」などと誉めつつ必要に応じて距離をとっていく、この方法でわりと乗り切ってこれることも多かったように思います。


そんな私が、「え、これもモラハラの可能性があるの?」と驚いたのが、「いつも忘れる」や「いつも遅れる」です。

普段、きっちりしている人がまれに忘れたり遅れたりするのであれば、「たまたま」と思いますが、それが「いつも」となると。
「あの人、いつも10分くらい遅れてくるけど……もしかしてわざと?」と思ったりしてしまいますよね。

どうしても片づけられない人がいるように、「どうしても時間の見積もりが苦手」という人もいますので、一概にはいえないのかもしれません。
けれど、たいていは「なんでいつも?」とか「もしかして私と会いたくなかったのかな?」となりますよね。

この「しない」「忘れる」「遅れる」などは受動的攻撃の一つです。
きっと多くの人が「この人、わざとやっているのかな?」と疑惑の目を向けたことがあると思いますが、それが「わざとなのか」「純粋なミスなのか」の判断がつかないだけに余計にイライラする。
 その「あいまいさ」も受動的攻撃の特徴なのです。

片田珠美『平気で他人を傷つける人』KADOKAWA(2015)Kindle版 位置No.598

 

「わざとなのか?」とイライラさせることも攻撃の可能性あり⁉

そういえば、知人でちょい遅刻魔がいます。
早いときでも10分くらい、ひどいときは1時間遅れて登場。
話しているときなどは、とても気を遣う人なので、ギャップがすごいです。

本人はおそらく無意識でしょうけど、もしかすると受動的攻撃だったのかもしれません(実際のところはわかりませんが)。

フロイトによれば「錯誤行為に無意識が表れる」(高橋義孝・下坂幸三訳「精神分析入門(上)」新潮文庫)わけですから、わざとであれ無意識であれ、
(中略)
「遅れたって、忘れたって、どうでもいいでしょ」と相手が思っている可能性は高いでしょう。端的にいえば、あなたが軽んじられているのです。

片田珠美『平気で他人を傷つける人』KADOKAWA(2015)Kindle版 位置No.604


ミス(錯誤行為)に無意識が表れるとな⁉

たしかに、その「ちょい遅刻魔」の知人の言葉の端々から「おや? ちょっとこちらをバカにしている……のかな?」と印象を受けるようなこともあるんですよね。
本人に自覚はないと思うのですが。

まぁ、こちらをバカにしているならしているで、その人なりの理由がある(おそらく自己肯定感が低いとか、自信がないとか)でしょうから、それも仕方ない(※ただし程度によります)のかな、と思うようにはなりましたが。


そして、人のフリ見て我が身も振り返ってみると。
かつて、私自身も「いつもちょっと遅れる」をしでかしていたことを思い出しました(基本的には心配性で5分前に着いていたいタイプなので、一時的にですが)。

そのときの心情を思い返してみると、仕事が忙しく、またストレスで少々自暴自棄になっていたような面があったと思います。
その一方で、「誘いを断るのはよくない」「嫌われたら困る」と思いこんでいましたので、「疲れているから本当は休みたいけど、相手に悪いから頑張って出かける」という気持ちがあったと思います。
つまり、「不満」だったわけですね。。。

「ほんとは休みたいのに」といった不満を「遅れる」という形で発散させていたのではないか、と思います。
確かに、不全感を相手にぶつけるという「モラハラ」に通じるものがありますよね……。

本心は「疲れている」なわけですから、「疲れているのに来ただけ偉い」「来てやった」というような奢りさえも生じていたかもしれません。
これは「上に立っていたい」という自己愛型モラハラにも通じそうです。

人間ってうまくできているというか、無理して繕ったつもりでいても、どこかでほころびが出てしまうんだなぁ、と改めて思います。


ちなみに、私の「ちょっと遅れる」、わりと早々に解決しました。

私の「ちょっと遅刻」に対して、いっさいの批判もせず「ゆっくりでいいよ~」と言ってくれた人がいました(表面的でなくて、本当にそう思っている様子だった)。
それで当時の私は「ハッ」となったんです。

なぜかというと、「遅れる自分を受け止めてもらえた」と思うと、それだけで満足というか、気持ちがスッとしたからです。
そのときに、「たとえ5分でも、たとえ気の置けない仲でも、遅刻はするまい」と思ったのです。

この心理的状況から考えてみても、モラハラって、何かしらの不満を解消したくてやっているのだな、と納得がいきました。
(かといって、相手を傷つけていいわけでは決してないですが)

感情を出すことは自分を守ることでもある

上で書いたような「遅刻」くらいならまだいいですが、暴言に近い言葉を投げつけられたり、あからさまに不機嫌な態度をとってこられたりすると、参ってしまいますよね。

そういったモラハラの被害者にならないためには、小さな落ち込みに気づくことがまずは大事なのだそうです。

精神的ダメージがあると、何かしらの変化(じんましん、眠れない、ドキドキするなど)ありますよね。
そういった変化を含め、自分で自分を観察すること。
事実と気持ちを書き出しておくのもよい、とのこと。

可能であれば、本人にどういうつもりか聞いてみる、という手もあり。

ただし、かなりハードルが高いと思いますので、「えっ!」とリアクションしてみることから始めてもよいそうです。

モラハラされやすい人とは、要するに「都合のいい人」なので、相手にとって「めんどくさい奴」になることが大事らしいです。

結局のところ「ただ我慢しているだけ」というのは、「私はそんなことで腹を立てる人間ではありません」とアピールしたい虚栄心か、「怒ることで面倒になるのは嫌だ」という怠惰が、「相手がどんな反応をするかわからない」という恐怖でしかない。

片田珠美『平気で他人を傷つける人』KADOKAWA(2015)Kindle版 位置No.1360 

 

かなりギクッとしました。

以前の私は「事を荒立てたくない」がゆえ、他者(とくに権力者や語気強い系の人)に迎合する傾向があったのですが、まさに、上記引用にあるような

・「私はそんなことで腹を立てるような小さい人間ではない」
・「言い返したら余計面倒なことになる」
・「相手がさらに怒り狂ったら耐えられない」

これら、本当に全部思っていました。

「(事を荒立てないための)我慢」はいいことだと思っていましたが、その実、虚勢心・怠惰・恐怖の三点セットだったんですね……。


モラハラ被害を避けるには、加害者に「めんどくさい奴」と思わせるのが大事ですから、感情を出すということは、自分を守ることでもあるわけですね。

まぁ、実際問題、言い返したら殴られそうだとか、いろいろ事情がありますから、本人に質問したり反論するのは難しいだろうと思います。

本人には言えなくても、誰かに話しておくことは大事だそうです(全く関係ない人がよい、一対一で)。

さらに、人によっていろんな捉え方や考え方がありますから、複数の人に意見を聞いておくと、客観視できるので理想的なようです。

これ以降の具体的な対処法は本書に詳しく載っていますので、必要な方はご確認ください。

おわりに

「いつも遅刻」が受動的攻撃かもしれないとは驚きでした。
「遅刻」の見方が変わりました。

また、心で思っていることは、隠しているつもりでも、無意識の行動やうっかりミスに表れてしまうのだな、と実感しました。

そう考えると、隠しても無駄なのかもしれないですね。
わかる人にはバレているのかも。

だからこそ、相手をゆがんだ形で攻撃するのではなく、言葉を使って要望を伝えたり、話し合えるとよいなあ、と思います。


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