ししもとの読書ノート

生きづらさの軽減をめざして

自分の感情に寄り添って選択・行動する |感想『「つい悩んでしまう」がなくなるコツ』

若い頃は、親や世間のいう「こうするべき」にひたすら従って生きてきた私。
というか、それ以外に選択肢はないと思っていました。
自分の意志を持つこと、それは「わがまま」なのだと思っていました。

けれど、「こうするべき」ばかり優先して、自分の気持ちに蓋をし続けたところ……
苦しくて苦しくて、なぜかわからないけど怒りで頭がパンパン、という状態に。
しまいには強迫神経症のような症状も出て、人生を休まざる得なくなりました。

それ以来、いろんな本を読みすすめるうち、「こうするべき」にとらわれず、「自分の本心を大切にする」ことが大事だと思うようになりました。

かといって、急に変わることも難しいので、「こうするべき」一辺倒だったところを「ちょっと待って、私はどうしたいんだろう?」と立ち止まって考える、というのを意識的に少しずつやってきた感じです。

最近は「よし、かなり自分の気持ちを大事にできるようになってきたぞ」と思っていました。
実際、自分をひどく浸食するような人間関係から距離をとることもできましたし。


しかし、ですね。
ここ最近、「どうにも悩んでしまう」場面が多いのです。
人間関係で、というよりは、「何かを決めるとき」にです。

決めるまでに「Aがいいのか、Bがいいのか」とさんざん悩み、決めた後に「やっぱり間違っていたかも」と悶々とするのです。

少しでも解消したくて、「後悔しない選択」に関する本も読みました。

(過去記事)

www.shishimoto-yuima.work


上記記事内容を簡単にまとめると
合理的に選択して、それに満足することが大事。
そのために、長期的な視点を入れること、選択の結果によらずポジティブな面を見つける。

というわけで、選択したことのポジティブな面を見つけようとしてはみたのですが、どうにも「無理してる感」を自分で感じてしまい、現時点ではあまりうまくいきませんでした(ネガティブ面にフォーカスするクセがついているので、慣れが必要なのでしょう)。

そんなときに、自分の本棚を眺めていたら、このタイトルが目に留まりました。

石原加受子『「つい悩んでしまう」がなくなるコツ』すばる舎(2009)

「つい悩んでしまう」がなくなるコツ

「つい悩んでしまう」がなくなるコツ

 

 
当ブログでも何冊か紹介しています、石原加受子さんの本です。
ベースにある考えは「自分中心心理学(自分の気持ちを基準に選択・行動する)」。

この「自分の気持ちを基準に選択・行動する」という考え方、関連の本も何冊か読んでいますし、わりとマスターしているつもりでした。
が、本書を読んでいて、ほとんどできていなかったことに気づきました(汗)。

「同じような本ばかり読んで意味あるの?」と聞かれることもありますが、読むときの自分の状態によって、参考になるところが変わってくるので、個人的には「意味あるなあ」と思います。


どんな本?

悩みの大半は、実はシンプルだったり、軽いものが多い。
なのに、なかなか解決できないのは、「悩んでしまうクセ(思考グセ)」があるから。
思考グセを具体的にいうと、周りを気にしすぎるとか、本心を抑えるとか、「~ねばならない」に縛られているとか。

悩みを解決するには行動するのが一番なのに、行動せずにあれこれ考えることで悩みを解決しようとしているから、結局解決しないのだそうです。

実際に悩みを解決するためは、自分の気持ちに寄り添った選択・行動をすることが大事となってくるわけですね。

ただ、この「自分の気持ちに寄り添った選択・行動」って慣れていないととても難しい。

様々な場面において、自分の感じ方を大事にしながら、具体的にどう対処するか、といったことを教えてくれる本です。


よかったところ

本書では、人間関係における「自分の気持ちに寄り添った選択・行動」について詳しく解説されていますが、本記事では、「人間関係以外の悩み(何かを決める時の悩み)」に焦点を当てて考えてみます。

なお、何かを決めるときの悩みも、根っこは人間関係の悩みと同じだそうです。
つまり、自分の感情を大切にできていない、ということ。

読みながら、「え、ちょっと待てよ」と思いました。
冒頭にも書きましたが、私は「自分の気持ちを大切にすること」の重要性を理解しているし、悩むときは「本当は私はどうしたいのだろう」と立ち止まってもいる。
十分、自分の気持ちを大切にしてるはずなのだが……。

では、具体例を挙げて、考えていきます。

結局、自分の感情に気づいていなかった

ここのところ、私が頭を悩ませていたのが、「どの歯医者さんに行くか」ということ。

(えっ、そんなこと?と思った方もいらっしゃるでしょうが……。中学生の頃に放置した虫歯を起点に、あっちこっち悪くなり、20代の時点で健康な歯が残りわずか、という私にしてみると歯医者さん選びは死活問題なのです)

最近転居したばかりなので、「地元の評判・噂」のは全くわからない状態。

インターネットの口コミが頼りだけれど、あれってけっこう「ヤラセ」が混ざってますよね。
(頼まれて書いたアンケート内容が勝手に掲載されたことがあります。それだけなら別に良いのですが、良いところだけ載せて、悪いところは消されていたので)

ひとまず、目を皿のようにして各歯科医院のホームページを閲覧。
悩んだ末、「結局行ってみないとわからないから、とりあえず近いところに」とA歯科に電話しました。
が、予約をとれるのは二週間くらい先とのこと。
ここで自分の気持ちをチェック。
「歯茎が腫れているので、これをしばらく持ち越すのはちょっとなあ……」と。
無理を言えば、数日後にねじ込んでもらえるようでしたが、気がひけてしまったので、市内で有名らしいB歯科へ行くことに。

B歯科に行ってみると、これといって悪い要素はないはずなのに、なんとなく違和感。
その違和感をあえて言語化してみると「歯科衛生士さんがやけに高圧的」とか「先生がやたら忙しそう」とか「ホームページの写真よりも汚い(掃除が行き届いていない)」という感じ。
「違和感あるけど、どうする?」と自分に聞いてみる私。
「別に治療方針がおかしいわけじゃないし、歯科衛生士さんもクリーニングはきちっとやってくれたし、実質的には問題ないように思える。そもそも完璧なところなんてないよね。それに、ここまで診てもらって転院するのもちょっとアレだし、引き続き通おう」となりました。

しかし。
しかししかし。
自分で「今後もB歯科に通う」と決めたのに、十分な自分内会議をして決めたのに、悶々として仕方ないのです。

別のことをしていて「あ、〇日、歯科だ」と思い出すと、もう気が重くて重くて、「またあの高圧的な衛生士さんに何か言われるのではないか」とか「(治療方針のことで少し自分の意見を言ったりしたので)モンスター患者と思われてるのではないか」とか、「不安をあおるような言い方をされて嫌だったな」とか「マットがホコリだらけでなんとなく不快だった」とか、思ってしまうのです。

であれば、別の歯科に行ってみるという手もあるのですが、「B歯科よりももっと悪かったら労力が無駄になるなあ」とか「レントゲン撮り直したりするのも面倒だなぁ」などと考えてしまい、「まあB歯科でいいか」→「でもやっぱりなんか気が重い」という堂々巡りに陥りました。


そして思ったのです。
こんなに丁寧に考えているのに、悶々とするのはなぜか、と。
自分の気持ちを汲んで考えているはずなのに、堂々巡りに陥っているのはなぜか、と。

そうして本書を読んでいると、こんな小見出しが。

ほんとうに「感情レベル」で納得してる?

 石原加受子『「つい悩んでしまう」がなくなるコツ』すばる舎(2009)P.30

 

一瞬ギクッとなった私。

いやいや、ちゃんと自分内会議しましたよ。
しっかり考えて決めたことですよ。
と思いました。

「私にとって、どっちがいいだろうか」
 このつぶやきは、”思考”ですね。
「私は、これがしたい!(あるいはしたくない!)」
 これが”感情”です。
 両者を声に出して読んでみると、その違いが実感できるでしょう。
 あなたは、自分では、適切な判断をしようとしている”つもり”です。

石原加受子『「つい悩んでしまう」がなくなるコツ』すばる舎(2009)P.032

 

 
あわわわわわわわ。
気づいてしまいました。
私、「思考」と「感情」を完全にごっちゃにしているではないですか。
むしろ、「思考」ばかりを優先しているではないですか!
最初の「A歯科か、B歯科か」というところからすでに「私にとって、どっちがいいだろうか」という「思考」じゃないですか。
(まあ、「ここの歯科に行きたい♪」とはなかなかならないので、そこは仕方ないか)

自分の気持ちや感情を脇に追いやったままで、適切な判断をすることはできません。なぜなら、あなたの"感情"がそれに抵抗するからです。

石原加受子『「つい悩んでしまう」がなくなるコツ』すばる舎(2009)P.032

 
な、なるほど。
私は感情を脇に追いやっていたわけですね。
そういう観点で先に書いた自分内会議を見直してみると……。

いろんなポイントで「なんか嫌」と感じているのに、それを完全に無視していますね……。
この「なんか嫌」こそ、自分の感情・気持ちですよね。

一方「きちっとクリーニングしてはくれたし」とか「ここで転院するのはちょっと」といった、思考の類は存分に採用しています。

いやー、「感情」をくみ取っているつもりで、全然くみ取っていませんでした。

「なんとなく嫌」これを重視してよかったんですね。
「悪いところばかりに注目してはいけない」とか「病院(歯科ですが)に対して文句をつけるのはよくない」という思考が「なんとなく嫌」をねじふせようとしていたようです。

こうして書いていてもなお、「絶対嫌」ならまだしも、「なんとなく嫌」レベルのことを重視してよいのだろうか、という迷いが生じてしまっています。

でも、実際に「B歯科に通おう→なんか気が重い」を幾度も繰り返して、時間も精神的なエネルギーも消費していたわけですから、「なんとなく嫌」って、ないがしろにできないことなのかもしれませんね。

思考で決めようとしても、感情が納得しません。
どんなにその判断が正論だとしても、私たちは誰もが、感情が納得しなければ、動きません。

石原加受子『「つい悩んでしまう」がなくなるコツ』すばる舎(2009)P.34 

 

感情って、すごい力を持っているのですね。
ちょっと恐ろしく感じるほどです。


あなたがどんなに自分の感情を無視したり、抑えようとしたとしても、いずれは、「どんな策を講じてでも、自分の感情(願い)を、遂げようとする」
それが、"無意識の私"なのです。

石原加受子『「つい悩んでしまう」がなくなるコツ』すばる舎(2009)P.136

 

(歯科の話からはいったん逸れますが)
以前の私の生き方は、感情を抑圧するばかりでしたので、そりゃあ「苦しくて仕方ない」とか「怒りが噴き出しそう」になるわけですね。

苦しいと表現することや、怒ること自体も抑えていたので、感情が出口を失い、攻撃に変わり、それが自分に向かってしまった(うつ、強迫神経症など)のだろうと思います。


さて、歯科の話に戻りまして。

正しいか間違いか、良いか悪いか。
どっちがいいか、どの道がいいか。
これらを基準にして決めると、悩んでしまうのだそうです。

だからこそ「これがいい」「あれがしたい」といった感情で選ぶのが大事。

というわけで、今回は「B歯科はなんか嫌」を優先することにしました。

ほかの歯科に行ったところで、そこが自分に合うとは限りませんから、しばらく歯科ジプシーになる可能性もありますが……。
それでも「なんか嫌」をひきずるよりはいいですかね。
よく考えれば、先方のB歯科だって、「なんか嫌」と思われながら通われても気分よくないでしょうしね。

申し訳ないと思いつつも、丁重にキャンセルの電話を入れた(カドが立つのは本望でないので、あたりさわりのない理由をつけました)ところ、気分が晴れ晴れとして仕方なかったです。

晴れ晴れとした、ということは、「感情、本当の気持ち」に寄り添った証拠なのだろうと思います。


おわりに

「自分のほんとうの気持ちに沿った選択・行動ができた」と思うと、なかなか達成感があります。

このように「自分の感情に基づいて選択・行動」を繰り返していくうちに「自分(自己信頼)」が育ってくる、と著者はいいます。

私を守るために行動する。私を傷つけないために行動する

石原加受子『「つい悩んでしまう」がなくなるコツ』すばる舎(2009)P.126 

 

本記事には取り上げていませんが、人間関係に関する悩みに対してもかなり参考になる本です。

立ち止まってしまったとき、読み返せば、また新たな気づきがありそうだなと思いました。


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