過去の痛みを成仏させるため、自分の育った家庭を改めて客観視する作業をしています。(関連記事一覧はこちら>>>【もくじ】いかにして私はアダルトチルドレンになっていったのか【体験談】)。
同じ屋根の下で暮らす祖父母(父方)との接触を母から禁じられていたという話です。
一緒に暮らしている人と話すらしてはいけないという状態は、今振り返ると異常だったなと思います。
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祖母と話すと不機嫌になる母
基本的には、私はトイレ以外はあまり自由に行くことができませんでした。
母と共に暮らす6畳間から出ることはほぼ許されなかったのです。
しだいに玄関も使わせてもらえなくなり、部屋の窓から出入りしていました。
とはいえ、二世帯住宅でもないただの平屋に一緒に住んでいるのですから、祖母に遭遇することももちろんありました。
祖母は祖母で、一応私も孫なわけですから、気を遣って「ヨーグルト食べるかい?」とか「バナナあるよ」と声をかけてくれるのですが、母はそれが気に入らないんですね。
遠くから私をにらみつけ、ぶるぶると顔を横に振ります(「断れ」の意)。
子どもからすれば、ヨーグルトもジュースも欲しいところですが、もらうと後でひどい目に遭う(>>>母の機嫌を損ねると「あんたを置いて出ていくんだからね」 )ので、苦虫をかみつぶしたような顔で「ううん、いいや……」と断るしかありませんでした。
母はこの件に関して「甘いものを食べさせたら太る」とか「虫歯になる」とか、いかにも正しそうな理由をつけていましたが、娘が祖母に懐いたら困る、というのが本音だったと思います。
(ちなみに祖父との関係)
祖父は家庭内暴力をする人だったので、父と口をきかない期間も長かったようです。
それなのになんでわざわざ同居したのかというと、父曰く、母と私二人きりだと、母が私に虐待をするかもと恐れていたからだそうです……。
その配慮自体はありがたいのですが、母が「監視されている」と被害妄想でストレスを高め、結局私に八つ当たりしていたので、良かったんだか悪かったんだかわかりません。
祖父も子どもが嫌いだったのか、向こうから私に声をかけてくるようなことはほとんどなく。
唯一覚えているのが、鉛筆とか文房具をプレゼントしてもらったことがあるくらいで。(そのときも「おじいちゃんが物をくれるなんて珍しいな」と驚いた記憶が。母曰く、別のいとこに買った物が余ったんだろうとかなんとか)。
もちろんトラブルメーカーの母とも気が合うわけがありません。
むしろ祖父のほうが避けていたような気もします。
だから母に禁じられるまでもなく、祖父とは接点がほとんどありませんでした。
とはいえ、私がものごころつく前には一緒に動物園に行ってもらったりしていたみたい(写真が残っている)なので、まあやっぱり時間とともにこじれていったのかもしれません。
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【この体験から学ぶこと】
言葉を鵜呑みにせず行動も見る
母は常に祖父母のことを「とんでもない悪者(だから接触禁止)」としていましたが、今振り返ってみると、祖父母も人間なので完璧でないにせよ、悪意のある人々ではなかったと思います。
少なくとも、私に危害を加えるようなことはありませんでした(距離の近さもあるでしょうが、母のほうがよほど……)。
子どもだったので仕方ないですが、私はどちらかというと、母の言葉のほうを信じてしまっていました。
でも、母を信じ続けた結果、人生がうまくいかなくなりました。
母の言葉のほうが、間違っていたということです。
間違っているほうに引っ張られて、ずるい人に騙されたり、嫌な目にも遭ってきました。
「言葉ではなく行動を見よ」とはよく言われることです。
わかっていても、耳障りのよい言葉のほうに引っ張られてしまうこともありますよね。
言葉だけを鵜呑みにせず、行動もきちんと見よう、と改めて思いました。
言葉では嘘をつけても、行動を偽るのは結構難しいので、本心が反映されやすいのだなあと思います。
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