過去の痛みを成仏させるため、自分の育った家庭を改めて客観視する作業をしています。(関連記事一覧はこちら>>>【もくじ】いかにして私はアダルトチルドレンになっていったのか【体験談】)。
同じ屋根の下で暮らす祖父母(父方)との接触を母から禁じられていたという話です。
一緒に暮らしている人と話すらしてはいけないという状態は、今振り返ると異常だったなと思います。
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母 vs 祖父母
小学校1年生の途中まで、父方の祖父母と同居していました。
ものごころついた頃から両親が不仲(>>>激しい夫婦喧嘩は子にとっては身を切られるような思い )でしたが、母は祖父母ともよく揉めていました。
まあ、母からすれば義理の親なので、そもそも息がつまる関係ということはよくわかります。
母だけ地方から嫁いできた身ですから、心細さもあったでしょう。
父とすでに不仲でしたからなおさらです。
また、母は、家事が壊滅的に苦手で、当時は「片付けられない女」のような概念も一般的でなかったので、「怠けている」と見なされがちでした。
その点に関しては母も気の毒だったと思います。
ただ、母が間違っていたのは、私を争いに巻き込んだことです。
不安から、誰かを味方につけたかった気持ち自体はわかります。
でも、母の「不機嫌で子をコントロールする」というやり方は、とても卑怯だったと思います。
祖母と話すと不機嫌になる母
二世帯住宅でもなく、ただの平屋に一緒に住んでいるのですから、もちろん祖父母とも顔を合わせる環境でした。
ですが基本的には、私はトイレ以外はあまり自由に行くことができませんでした。
母と共に暮らす6畳間から出ることはほぼ許されなかったのです。
そのうち、玄関も使わせてもらえなくなり、部屋の窓から出入りしていました。
それでも、同じ家に住んでいるのですから、祖母に遭遇することはありました。
祖母は祖母で、一応私も孫なわけですから、気を遣って「ヨーグルト食べるかい?」とか「バナナあるよ」と声をかけてくれるのですが、母はそれが気に入らないんですね。
遠くから私をにらみつけ、ぶるぶると顔を横に振ります(「断れ」の意)。
私も子どもでしたから、ヨーグルトもジュースも欲しかったのですけど、もらうと後でひどい目に遭う(>>>母の機嫌を損ねると「あんたを置いて出ていくんだからね」 )ので、苦虫をかみつぶしたような顔で「ううん、いいや……」と断るしかありませんでした。
母はこの件に関して「甘いものを食べさせたら太る」とか「虫歯になる」とか、いかにも正しそうな理由をつけていましたが、単純に私が祖母に懐いたら困る、というのが本音だったと思います。
祖母の顔を見に行ってしまった日のこと
母は年がら年中、祖父母や親戚のことを悪く言っていました。
子どもとしては、母の言うことを信じているつもりではありました。
祖父母はひどい人たちなんだ、と(確かに祖父はちょっと「あれ?」と思うようなところがありましたし)。
でも、無意識の部分では、何か別に感じるところがあったのだろうと思います。
ある日、私はどうしても祖母の顔が見たくなりました。
母が台所で用事をしている隙に、自室を抜け出し、祖母の部屋に遊びに行ってしまいました。
やってきた私を見て、祖母は驚き、とても慌ててこう言いました。
「おばあゃんのところ、来て大丈夫なのかい? お母さんに怒られないのかい?」
怒られるだろうなあとは思いましたが、そのときはどうしても、祖母と話がしたかったのです。
だから「うん、大丈夫」と答えました。
それから数分は、とてもとても楽しく会話したことを覚えています。
私の記憶の中では、祖母と過ごしたほぼ唯一の記憶です。
しかし、次の瞬間、母が鬼の形相で部屋の入口に立っていました。
「終わった……」と思いました。
血圧が下がるというか、視界が暗くなって血の気が引く思いでした。
自室に戻ると、その後はひたすら母のご機嫌伺いです。
私をにらみつけてからあからさまに「ふんっ」と目を逸らす母。
泣きながら「おかあさーん……」と媚び続けるしかありません。
こうなることが予想できていたのにも関わらず、うっかり祖母の部屋に行ってしまった自分を責めました(今思うと全然責めるようなことじゃないと思うのですが)。
そして母はいつもの確認行為をやります。
「あんた、お母さんがいなくなっていいってことなんだね?
お母さんいなくなったら、だれもアンタの面倒見てくれないんだからね。
継母にいじめられるんだよ?」と。
今なら、母の不安からくる試し行動だとわかりますが、当時は幼い子ども。
本当に私は捨てられて死ぬか、継母にいじめられるかだと思っていたのです。
童話にも、継母にいじめられるという話はよくありますから、むしろリアルに感じたのです。
実母にすら、これだけやられるのだから、継母なんてもっとひどいのだろうという予想もありましたし(今思うと、実母のほうがひどい可能性高いですけど)。
今になって祖母の気持ちが少しわかる気がした
この件以降、私はますます祖母と会話する機会を失いました。
しばらくして同居は解消。
トラブルメーカーな母との同居に耐えられなくなった祖父母に「出て行ってくれ」と言われました。
その後祖母に会ったのは、私が高校に入学したとき、お祝いを持って訪ねてきてくれた一瞬でした(母に気を遣っていたのでしょう、本当に一瞬で帰っていきました)。
当時は「単に私が進学校に入ったことが誇らしかったのだろう」と思っていましたが、ずっと心配してくれていたのではないか、と今は思います。
むしろ、「進学校にかこつけて」というほうが実情に近かったのかも、と思います。
実質的に、それが最後の会話でした。
私は母の手下のようなものだから、祖父母にも疎まれていたのだろう、と思っていましたが、今こうして振り返ってみると、心配してくれていたのだろうな、と思います。
母が「あんたが心配」を盾にコントロールしてくる人だったので、「心配」の概念を私ははき違えていました。
(祖母に限らず)本当に心配してくれる人、というのを見分けることができていませんでした。
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【この体験から学ぶこと】
言葉を鵜呑みにせず行動も見る
母は常に祖父母のことを「とんでもない悪者(だから接触禁止)」としていましたが、今振り返ってみると、祖父母も人間なので完璧でないにせよ、悪意のある人々ではなかったと思います。
少なくとも、心身とも、私に危害を加えるようなことはありませんでした(距離の近さもあるでしょうが、母のほうがよほど……)。
子どもだったので仕方ないですが、私はどちらかというと、母の言葉のほうを信じてしまっていました。
でも、母を信じ続けた結果、人生がうまくいかなくなりました。
母の言葉のほうが、間違っていたということです。
間違っているほうに引っ張られて、ずるい人に騙されたり、嫌な目にも遭ってきました。
「言葉ではなく行動を見よ」とはよく言われることです。
わかっていても、耳障りのよい言葉のほうに引っ張られてしまうこともありますよね。
でも、言葉を鵜呑みにせず、行動もきちんと見よう、と改めて思いました。
言葉では嘘をつけても、行動を偽るのは結構難しいので、本心が反映されやすいのだなあと思います。
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