あのときの私は、私のために何ができたんだろう、と考えてみると、この記事のように、恐怖感・不安・気持ちなどを書き出してみればよかった、と思います。
強迫性障害(不潔恐怖・疾病恐怖)に本格的に悩みだしたのが20代前半のころでした。
親に気持ちを抑圧され続けた結果、嫌なものを「嫌」と言えませんでした。 しかしストレスは溜まっていくので、相手のことを嫌いになり、気まずくなるという現象を、若いころは繰り返していました。
親に認められたいがために、たいして好きでもない勉強を頑張り続けた結果。理想の自分に近づくためにした努力のはずなのに、自分のことがさらに嫌いになっていきました。
本記事は、良い人ぶりたいがために、頼み事や誘いなどを断れずに苦悩したエピソードです。
苦手な人と適度に距離をとるのは決して悪いことではなく、長い目で見ると双方にとって大事なことだと実感しています
「力づくで理想の自分に近づける」ために努力していると、努力していない人のことを見下してしまうようになりました。 でもその本心は「楽しそうでうらやましい」でした。
死ねないので少しでも「マシな自分」になるしかないと思い、無理な努力を重ねるようになりました。一時的に結果は出ても、日常的に無理しているのでどこかで破綻します。
親に愛されたい、認められたい。それがすべての動機でした。そのためにすきではないことにばかり注力して、結局、自分を失っていきました。
死ぬこともできないが、起きていることもつらいので、できるだけ眠って、時がくるのを待ちました。