親の呪いを解いて自分の人生を生きる

10年かかったけどなんとか回復してきた

〈3才ころ〉人生で最初の記憶 - 自分の体調不良よりも親の機嫌を優先

 

過去の痛みを成仏させるため、自分の育った家庭を改めて客観視する作業をしています。(記事一覧>>>【もくじ】いかにして私はアダルトチルドレンになっていったのか【体験談】)。

本記事は人生最初の記憶について。
母のエピソードというよりは父の話がメインです。
(父に対しても思うところはあるのですが、父なりに子を思う気持ち自体があることは成長過程で理解したので、連絡はとっています)

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人生で一番最初の記憶はなあに?

さすがに中年ともなると「人生で一番最初の記憶は?」なんて問われることはなくなりましたが、若い頃は友達同士でよく問い合ったりしたものです(まあ、「記憶力の競争」みたいなものでしょうか)。

悲しい思いをした子どもほど、幼い頃の記憶がある、なんて聞いたことがありますが、私自身も最初の記憶は3才頃、幼稚園に入る前のことです。

具合が悪くてしゃがんだら激怒される@3才

物心ついたときには、すでに両親不仲だったので、家族旅行なんぞ、片手で数えられる程度しか行った記憶がありませんが。

数少ない旅行うちの一回が、3才頃に行った京都でした。

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私は、旅行中に熱を出してしまったのですが、(緊急事態というほどでもなかったらしく)翌日も観光を続けていました。

とはいえ、発熱中の身。
移動の路線バスの中、熱があるので立っているのも辛くなり、無意識のうちにその場にしゃがみこんでしまいました。
すると父に「行儀が悪い!!!バスの中でしゃがむなんてどうかしている!」と、まあー怒られる怒られる怒られる。

私としては、行儀を悪くするつもりなどなく、単に身体がきつくて無意識的にしゃがんでしまっただけなんです。
身体がきついので、反抗したり泣いたりするような気力もありませんでした。

立ち上がらないと怒られ続けるので、「この世はなんてつらいところなんだ」と思いながら、ひざに手をついて立ち上がったあの瞬間を、今でもとてもよく覚えています。

ちなみに、母も一緒にいましたが、かばってくれることはありませんでした(まあ、ヘタするとバスの中で大喧嘩になるので仕方がなかったのかもしれませんが)。
目的地に着くまで朦朧としながら立ち続けたことを忘れることができません。

普通の子どもなら、泣くなり言葉にするなり、何らかの形で「体調が悪い」ということを訴えることができるのでしょう(あるいはまっとうな家庭なら親のほうが気づくのかもしれません)。

でも私は、「体調が悪い」こと自体を表現できなかったのです。

親に「体調が悪い」ことすら伝えられなかった理由

後年、父に「京都のバスでしゃがんだときに怒られたのはきつかった」と話したことがあります(成長とともに、父には多少気持ちを話せるようになったので、雑談のついでに)。

すると父はキョトンとして「だって、バスで良いって言ったじゃない」と。
「体調悪いならタクシーにするけど、どうする? って聞いたら、自分でバスでいいって言ったんだよ」と。
(3才の子どもの言葉を鵜呑みにせずに様子を見るのが一般的な親なんだろうと思うのですが。私の両親はそのような「察する」能力が欠けている人々です)

そのあたりの記憶は全くなかったものの。
たしかに「どうする?」と聞かれたら、3才当時の私は「バスでいい」と言っただろうな、とは思います。

なぜかというと、日常的に親の機嫌をうかがっていたから。
とりわけ父のことが怖くて怖くてたまらなかったのです。

父は、「3才までは記憶に残らないから、しつけとして叩いてOK」という謎の理論(まあ、昔は叩くくらいのことはよくあった)を信じており、結構手が出る人だったのです(詳しく>>>平手打ちする父のことが怖くてたまらない )。

 

www.shishimoto-yuima.work

 

いま思うこと

もしも今の私が、路線バスで同じような情景(よそのお子さんとかで)を見たとしたら。
さすがにちょっと胸が痛むというか……「そこまで厳しい怒り方しなくても……別にギャーギャー泣いて迷惑かけているわけでもないのだし」とは思いますね。

まあでも、公共交通機関でのことですから、父からすると、「強く怒ることが正しい」ということだったのでしょう。

親は親で若かったのだろうとは思いますが、子どもの気持ち云々という概念がなくて、「正しさ」にこだわっていたのでしょうね。

【親を反面教師に】この体験から学べること

当時は幼稚園にもまだ通っていない3才の子どもでしたから、あれ以上怒られないようにするのが精いっぱいで、「こうすればよかった」みたいなものはないのですが。

一般的な教訓として学べるところもある、と思うようにしたいと思います。

・世の中には(私の父のように)、はっきりと「言語化」しないと、伝わらない人がいる(ちなみに母は言語化しても全く伝わらないことが多々ある)

・相手がピンと来ていない(伝わっていない)ようなら、そこで「あーわかってもらえなかった」とあきらめるのではなく、再度言語化する(※)

(※ 常に「はっきり言いすぎる」と、察することのできるタイプの人に対しては角が立つことがあるので、相手に合わせて変えていきたい、と思っています。難しいけれど。)

記事作成日:2021年3月10日

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