過去の痛みを成仏させるため、自分の育った家庭を改めて客観視する作業をしています。(関連記事一覧はこちら>>>【もくじ】いかにして私はアダルトチルドレンになっていったのか【体験談】)。
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子どもの頃、私が体調を崩すと、母の機嫌を損ねたり、夫婦喧嘩が始まったりして、「体調が悪いときこそ余計に追い込まれる」という状況にありました。
なので、「お腹が痛くなったらどうしよう」という恐怖心がとても強く、(元々食は細かったようですが)さらに食が進まなくなっていきました。
とはいえ、食べないとこれまた「好き嫌いが多すぎる!」「あんたはわがまま!」と母の機嫌を損ねるので、「イヤだなあ、食べたくないなぁ」と思いつつも、なんとか日々をしのいでいました。
しかしあるとき、「自分の身は自分で守るしかない」とかたくかたく決意することになります。
本記事では「自分の身は自分で守るしかない」と決意するに至ったキッカケの出来事二つを整理していきます。
気心の知れた人に話したこともなく、文字にすること自体も抵抗があり、書きながら心臓がバクバクしています。
(※客観的に見れば全然大した話ではないです。健全な方々にとっては「え? そんなことで?」というレベルのものです)
今も尾を引くトラウマ
お腹が痛くなると、明らかに面倒くさそうにしていた母。
その日も母は、腹痛を訴える私に対して、「いつものやつか」みたいに面倒くさそうでした。
普段ならお手洗いに行けば少し楽になるのですが、その日は夜中になっても腹痛がなかなか収まりませんでした。
ぐずる私を面倒に思ったのでしょう、母は「とにかく寝なさい」と言いました。
私を心配して言っているというよりは、「あー、はやくこの面倒ごとから解放されたい」というのが明らかに態度に出ていました(つらい)。
くさいものに蓋をするかのごとく、私を寝かそうと必死でした。
私は正直、お腹が痛いまま眠るのは不安だったのですが、母の言うことを聞くのが仕事でしたから、腹痛が軽くなったすきを見て目をつむりました。
眠りに落ちたかと思いきや、内臓が破裂したのかと思うような衝撃で目が覚めました。(書くのがつらいので詳細は省略しますが、ひどい食中毒のような症状です)
そして、私を見る母の顔は、これまでに見たことがないようなひきつり方をしていました。
明らかに「どん引き」でした(まあ、医療者でなければどん引きするような症状だったので、この場面に関しては母も驚いてしまっただけのことで、決して悪くはないのですが)。
どん引きしている母を見て、「終わった……」と思いました。
怒っている母の姿はいくらでも見てきましたが、どん引きしている母を見たのは初めてでした。
怒りのレベルをはるかに超すような、とてつもなく悪いことをしてしまったのだ、と当時の私は思いました(体調不良は仕方ないことのはずなのですが)。
すぐに父の車で病院に連れて行ってもらい、後遺症が残ることもなく、体調的には無事に回復しました。
しかし、思いのほか、私の心には大きな大きな傷ができてしまったようです。
あんなにも怒っていた母が、怒りを越えてどん引きしていた、それほどひどいこと、あってはならないことを私はしでかしてしまったのだ、と。
私はそれまで以上に、腹痛を恐れるようになっていきました。
消費期限切れに気づいてパニックになる母の姿を見て
それから1年くらい経ってからのことです。
夕食後、母がうろたえ始めました。
どうやら私に食べさせた「とびっこ」が消費期限切れだったことに気づいたようでした。
食べさせてから気づくなよ(しかも魚卵って)、とは思いますが、消費期限の概念を理解しただけ母にとっては進歩ではあります。
しかし母はちょっとしたパニック状態に陥り、親戚など、あちこちに「どうしようどうしよう」と電話を掛けたりしていました。
私を心配してパニックになっているわりに、肝心の私のことは視界に入っていないようでした。
私は空になった「とびっこ」のパックを前に、ぽつねんと、座っていました。
慌てふためく母の姿を見て、やけに冷静になっていきました。
「自分の身は、自分で守るしかないんだな」と。
「おかあさんはちょっと抜けてるから、わたしを守れるのはわたししかいないんだな」と強く感じました。
たしかそのとき5才でした。
ハンガーストライキ
そうして私は、母が素手で触ったものを口にできなくなりました。
皮をむいたりんごとかみかんとかもダメでした。
母が素手で触ったものは、実際に母の手のにおいがついているような気がしたのです。
ごくわずかでも、とても不快なにおいに感じました。
なんらかの毒素がいるような気がしました。
幾度も腹痛を繰り返し(かつ、面倒がられた)せいで、「母の作ったものはやばい」と脳が勝手にインプットしてしまったのかもしれません。
また、母はもともと衛生観念が破壊していて、手なども滅多に洗わないタイプの人だったので、「母=汚い」と認識していたせいもあると思います。
以前なら、母の機嫌を損ねたくない気持ちがありましたが、「自分の身は自分で守るしかない」と決意して以降は、「あやしげなものは食べない」ことだけは徹底しました。
もちろん母は気に入りません。
「近所の●●ちゃんの家なんか、残したら次のごはん抜きなんだからね? うちもそうするよ?」と言いました。
母の言いなりになっていた私ですが、「あやしげなものは食べない」だけは絶対に貫こうと思いました。
「食事抜きでけっこう」と思いました。
「体調崩してあんな辛い思いをするくらいなら、餓死するほうがマシ」と本気の本気で思っていたのです。
かかりつけの医師に母が相談に行ったところ「なあに、食べられるものを食べればいいよ。100%のりんごジュースだって栄養あるんだから」とおっしゃってくださったようで、それ以来母も必要以上には言わなくなりました。
(かかりつけのお医者さんには本当に幾度も命を助けてもらいました。あの先生がいなかったら本当に死んでたのでは、と思います)
常に「食べたくない子」ですから、外から見たら「扱いにくい子」に見えたでしょう。
でも、私にとっては命に関わるような、とても大事なことだったのです。
親を反面教師に
もっと自分を信じればよかった
子どもの体調不良、それも症状が重ければ、親として慌てふためていてしまうのは当然のことです。
このこと自体は、私の母にも非はありません。
問題は、日ごろから信頼関係が築けていなかったことだろうと思います。
ちょっとした体調不良のときに、「心配」よりも「面倒くさそうな感じ」が勝っていた(と私は感じた)ため、そもそも体調不良に対する恐怖心を大きくしすぎてしまったかなと思います。
恐怖心によって、ますます体調が悪化することも多かったように思います。
もしも母が、私が体調を崩しても、イヤな顔をせずに寄り添ってくれたら、私はひどい体調不良に襲われても、治ればすっかり忘れることができたのかもしれないと思います。
少なくとも、大人になっても引きずるようなトラウマ(いまだに不潔恐怖のようなところがあります)にはならなかったかもしれない、と。
とはいえ、親だからといって、人間的に余裕があるわけとは限りませんから、「寄り添ってほしかった」と求めるのは酷なことなのかもしれません。
むしろ、私にも反省すべきことがあると気づきました。
せっかく5歳の時点で「おかあさんはちょっと抜けてるから、わたしを守れるのはわたししかいないんだな」と気づけたのだから、そのルールを食事以外のことにも適用すべきだったな、と。
何をして遊ぶか、何を着るか、何を勉強するか、誰と友達になるか……。
私は私を信じればよかったのです。
それなのに、食事以外のことは母の言いなりになってしまいました(従うまで言ってくるので実質的には難しかったのですが)。
と考えると、私がひどく体調を壊したことで、母も「またあの状態になったら困る(母自身も大変)から、まあ食事は好きな物食べさせとけばいいか」と納得がいったのでしょう。
実際、あやしげなものを避けたおかげで、それ以来ひどくお腹を壊したことはありません。
ということは、「けがの功名」的な面もあるのかもしれない、と今これを書いていて思いました。
親の態度がトラウマになることもある
私は子どもの体調不良のときにやさしく接する自信がありません(だから子を持つつもりなし)。
なので、決して人様にどうこう言う資格はないないのですが……
もしも、子育て中の方で、「子の体調不良を面倒に感じてしまう」ことがあるなら、その態度が幾重にも積み重なって「子にとってとんでもないトラウマになる可能性もある」ということを思い出していただけると幸いです。
突然の体調不良に驚いてしまうこと自体は仕方がないし、当然のことですので、後で「お母さん(お父さん)もびっくりしちゃってごめんね……あなたのことを嫌いになったとかではなくて、ただ慌てちゃっただけだよ」と言葉などでフォローしていただけるとだいぶ違うのかなと思います。
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