ここのところ、すぐやる系の本とか時間術の本とかを読んでいて、改めて思ったのです。
私の、行動やら決断の遅さの根本的原因には「不安」がある、と。
不安が強いこと、その自覚はずっとありました。
なので、不安とうまく共存するというか、少なくとも不安が暴走しないような生き方を心がけています。
それでもなお、不安は大きく、その大きな不安のせいで私は人生を小さくしていると思うのです。
この大元にある「不安」にテコ入れしなければ、いくら時間術の本を読もうが、失敗をおそれるまいと決意しようが、現状からあまり変わらないのではないか。
というわけで、引き続き不安に関する本を読んでいこう、と思った矢先、kindle Unlimitedで発見した本です。
斎藤茂太『図解版 心配ぐせをなおせばすべてが思いどおりになる』ゴマブックスkindle版(2017)

【無料小冊子】図解版 心配ぐせをなおせばすべてが思いどおりになる
- 作者: 斎藤茂太
- 出版社/メーカー: ゴマブックス株式会社
- 発売日: 2017/07/31
- メディア: Kindle版
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どんな本?
著者は精神科医の斎藤茂太さん。
(父は歌人の斉藤茂吉さん、弟は作家の北杜夫さん、というすごい一家ですよね)
著作も膨大なので、ご存じの方も多いと思います。
文章からおおらかさが漂っていますし、(お会いしたことはありませんが)安心感を与える人だったのだろうな、と想像します。
心配症には良いもの(心配のしがいがあった、と思えるもの)と悪いもの(ただ心身を消耗させるだけ)がある。
全体としては、悪い心配をなくし(エネルギーの方向性を変える)、良い心配はうまく使っていこう、というスタンスかな、と思います。
(精神科のお医者さんが書かれた本はこのスタンスが多いですね)
臨床経験を元に、具体的なケースも随所で取り扱われています。
よかったところ
他人にどう思われるか心配問題
最近はそれなりに「自分の本心」を大切にできるようになり、以前ほど外部の出来事に影響されなくなってきた私ですが、それでもまだ他者の反応が心配になることはしょっちゅうあります。
ここで自分の意見を言ったら「わがまま」「非常識」と思われるのではないか、とか。
相手の気持ちを考えることも大事ではありますが、「どう思われるか」ばかりにウェイトを置くと、自分の気持ちをないがしろにしてしまうので、自分らしく生きることから離れてしまいます。
さんざん他人に迎合して痛い目に遭ってきたので、「私は私の本心を大切にするんだ!」と決意したにも関わらず、結局「どう思われるだろうか」は、正直ゼロにはなっていないです。
他人の反応が気になってしまう時は、「どう思われるか」から「自分はどうしたいか」に切り替えることが大事、とのこと。
だいたい、感性も価値観も性格もまったく違う別人が、他人の頭の中を、ああでもないこうでもないといくらマジメに考えたって、わかりっこない。
斎藤茂太『図解版 心配ぐせをなおせばすべてが思いどおりになる』ゴマブックス(2017)Kindle版 位置No.564
そうなんですよね。
以前の職場に、ものすごくハッキリものを言う人がいて、私は「そ、そんなキツイ言い方しなくても……」と傷ついたりしていたのですが、その一方で「あの人はわかりやすくていい」「本音を言ってくれているということは自分は信頼されているのだ」と捉える人もいて、本当に捉え方って人それぞれなんだな、と驚いたことがあります。
だからこそ、事前に心配してもあまり意味がない、というのは一理あるなと思っていて。
全員に好かれるなんてことはまずありませんから、良いほうに取られるときも、悪いほうに取られるときも、絶対にありますしね。
自分のことを肯定してくれる人と親しくなればいいだけなんですよね。
根拠なく人の反応を心配する前に、自分の行動によって得られる周囲の反応を、「よりよい人間関係のための情報」としてどんどんインプットしていく作業が必要だ。
斎藤茂太『図解版 心配ぐせをなおせばすべてが思いどおりになる』ゴマブックス(2017)Kindle版 位置No.571
自分がどうしたいか、に基づいて行動するうちに、人の気持ちを予測する能力が磨かれる、というふうに捉えることもできる、というわけですね。
しかしながら、長年、周囲の顔色を伺って生きていると、自分がどうしたいのか、わからなくなっていたりします。
そんなときも「自分はどうしたいのか」ということをひたすら自分に問いかけるしかないのですよね。
自分のほんとうの声を聞き取るコツは
最初に「私は」を主語にしてイエスかノーかを明確にすることにある。そのうえで、理由を考える。さらに、自分としては望んでいないけれど、やむを得ず思い通りに行動できない事情があるならば、自分の望みが拒否されたらどうするかを考える。
斎藤茂太『図解版 心配ぐせをなおせばすべてが思いどおりになる』ゴマブックス(2017)Kindle版 位置No.641
やむを得ず思い通りに行動できない場合にどうするかまで考えておく、というのはいいなと思いました。
実際問題、そんな場面のほうが多いですからね。特に仕事がらみとか。
プライベートでも、ここは自分が折れないとどうにもならない、ということもよくありますしね。
「絶対これでないと!」と思っていると、やむを得ずその選択肢を選べない場合に「キー!」となってしまいますからね。
次善の策をあらかじめ考えておくのは大事だな、と思いました。
色眼鏡は捨てる
本書では、カメラマンの人の話が出てくるのですが、
「初対面の人でも、何度か会って苦手だなあと感じた人でも、会うときはいつもその人に関する”色眼鏡”を捨てるようにしている」
斎藤茂太『図解版 心配ぐせをなおせばすべてが思いどおりになる』ゴマブックス(2017)Kindle版 位置No.1176
とのこと。
苦手と感じても、それ以降接する機会がないのであれば、苦手のままで問題ないですが、どうしても顔を合わせる必要があるとなると……。
「苦手」と思いながら会ったら、「苦手」はどんどん増加していきますよね。
しかし、「苦手と思ってはいけない」とまで自分を追い込むと、それはもう抑圧ですから、逆によくないですよね。
だから「色眼鏡を捨てる」というのがしっくりくるなぁ、と思いました。
実際にやろうとすると、とても難しいのですが。
いま困ってもしょうがないことは、あとで困る
老後に2000万必要とか叫ばれているこの時代、将来のことを考えると不安でいっぱい、という方もいると思います。
私は、基本的に不安の強い人間なのですが、なぜか老後の心配はあまりしておらず、「まぁ困ったらそのとき本気でやればなんとかなるだろう」と思っている節があります。
(この件に関しては信じられないくらいのほほんとしているな、と自分でも思います。なぜかと考えてみると、「無力な子ども時代に比べれば、今は大人なんだからまぁなんとかなるわ」と思っているような……)。
一方、私の友人は、私のような日常的な不安は少ないのに、将来に対する不安はものすごく大きい、という人がいます。会うといつも「将来が不安」と嘆いています。
(人それぞれ、不安ポイントが全く違うのも、ある意味おもしろいですよね。これまでの経験によるのだろうと思いますが)
将来のことは、詳細はそのときになってみないとわからないので、「今できることをやる」ということしかないのですよね。
リスクに重きを置きすぎて、「将来のために」ばかりで現在がつぶされたら、もったいない。
とかいいつつ、老後の不安は少ないのに、近未来的な不安は多い私。
たとえば、大事な予定を控えていると「当日体調を崩したらどうしよう」と思ってしまうとか。
老後よりは近い将来、というだけのことで、未来が不安であることには変わらないんですよね(汗)
いま困ってもしょうがないことは、あとで困る
斎藤茂太『図解版 心配ぐせをなおせばすべてが思いどおりになる』ゴマブックス(2017)Kindle版 位置No.1650
今できることをやったか→Yes
ならば、今は「困らない(心配しない)!」
とあえて意識していくことが大事なのでしょう。
心配してトクすることは?
心配してトクすることがあると思っているから、心配してしまう、という部分もあるのでしょうね。
心配したおかげで失敗を回避できた(と思っている)→あーよかった、的な。
しかし、失敗を回避しようとして、なんでもかんでも回避、となると、それはそれで困る。すべてを回避することによって結局失敗しているわけですからね。
やっぱりバランスが必要なんだろうなと思います。
とはいえ、心配が暴走しているときって、もう止められないというか、どうしようもなくて泣き出しそうな感じになりますよね。
そんなとき、自分を冷静な状態に持っていくのに、有効そうだと思った問いかけ。
「心配してトクすることは何かある?」と問いかけてみる
斎藤茂太『図解版 心配ぐせをなおせばすべてが思いどおりになる』ゴマブックス(2017)Kindle版 位置No.1658
ただただ何時間も心配している、という状態であれば、時間を無駄にしていますし、心もすり減るし、正直おトクな感じはあまりないですよね。
こうして冷静になった後、
「じゃあ、トクするにはどうすればいい?」と尋ねる。
斎藤茂太『図解版 心配ぐせをなおせばすべてが思いどおりになる』ゴマブックス(2017)Kindle版 位置No.1670
こうすると、「ただの心配」が「心配対応モード」に切り替わるので、行動モードになるのだそうです。
以下は、この記事をまとめながら思ったことですが、
「トータルで最大にトクするにはどうしたらいいか」
と考えてみるのもいいかな、と思いました。
私もそうですが、心配症の人が心配を全くしない、というのは無理なので、心配にかける時間と心配対応にかける時間をある程度ゆるく決めておくとか。
心配にかける時間も大事ですよね。
「なぜ私はこのことが心配なのか」「隠れている願望は何か」と分析できたりすることもありますので。
ただ、それが長くなりすぎても、堂々巡りになるようなところがありますので、「これが原因かもな」くらいまでわかればよし。
たとえ原因がわかったって、心配なものは心配ですから、リスク回避のための対策はしっかりとる。
対策したら、もう気にしないと決める(ここだけは意志の力を使って頑張る)。
といったところでしょうか。
おわりに
自分の人生を向上させるにあたり、一つひとつ課題をほどいていたら、大元にある「不安」が出てきてしまいました。
不安については、私はまだまだ向き合い方が足りないな、と実感しました。
まぁ、よほど行動力のある人以外は、本を何冊か読んだくらいでは、変わりませんよね(そもそも行動力がなくて悩んでいるのだし)。
自分のなかで、ある程度すでに折り合いのついた悩みのことを考えてみると、本から吸収した知識も、自分の頭で考えた時間も、それなりに膨大であることに気づきます。
不安問題も「もう考えられるだけのことは考え尽くした」となれば、そのときにいわゆる「寛解」のような状態になるのかもしれないな、と思いました。
(まぁ、その時々で新たな不安が出てくるので、イタチごっこなのかもしれませんね)
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