幼少期に親から愛情をもらえなかった(ありのままで生きていけなかった)人は、あるところで心理的な成長が止まってしまう。
実年齢は大人なのに、心は五歳なので、大人としての責任を果たすことがつらい、ということでした。(→深刻な生きづらさは愛情不足のせいかもしれない |感想①『「大人になりきれない人」の心理』)
では、自分が五歳児の大人だと気づいたら、今後どう生きていけばよいのでしょうか。
加藤諦三氏の「大人になりきれない人」の心理 (PHP文庫)から引き続き学んでいきます。
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五歳児の大人はどう生きていったらよいのか
私は誓って言うが、人の幸せは絶対に財産や名誉ではない。人の幸せの原点は、情緒的に成熟した親を持つことである。
引用元:加藤諦三『「大人になりきれない人」の心理』(PHP出版・2008)p.140
幸せの原点は情緒的に成熟した親を持つこと。
このように言われると、不毛な家庭に生まれた人間としては、絶望的な感じがしますよね…。
しかしながら、不毛な家庭で育ったにも関わらず、幸せな人というのが存在するらしいのです。
それにはもちろん、本人の気質が関係しているのですが、彼らから学べることがある、と著者は言います。
不毛な家で育っても幸せな人の特徴3つ
① 持っている才能を使っている
→特別な才能が必要といっているのではなく、持っている才能(得意なこと、気質なども含めて)を効果的に使う、ということ。
ただ、ここで注意しなければならないことがある。自分の才能を効果的に使うというと、すぐに自分にフィットしたものすごいことをすると考える人がいる。実業家になろうとか、画家が自分の天職だろうとか、考える。
そうではない。今日一日をきちんと生きる、ということが出発点である。
「自分にフィットしたものすごいことをすると考える人がいる」
→グサァッ(悶絶……わしやないか!!!)
お恥ずかしながら私も、会社員を辞めた後、ビッグな小説家になるつもりだった時期がありました(※小説家志望の人を否定しているわけではなくて、私の場合は小説すら書いたことがなかったのに、いきなり売れっ子になるつもりでいた笑)。
自分なりには理由があって、子どもの頃を振り返ってみて、一番得意だったのが”作文”だったからなんですよね。
勉強も苦手ではなかったけれど「まあ、ほめられるからやっとくか(ぶっちゃけ気は重い)」みたいな感じだったのに対し、作文は「適当に書いても広報誌とかに掲載されるし、なんなら賞とかもらえちゃってラッキー」みたいな軽やかさで。
だから、「さほど好きじゃない勉強も頑張ればそこそこいけたのだから、得意な作文を頑張れば、けっこうイケるのでは?」と。
でも、ですねえ。
「作文」と「小説」って、全然別物なんですよ!(当たり前だけど)
文章から構成されるのは同じなので、なんとなく同カテゴリーな気がしていましたが、義務教育における作文って、どっちかというと「エッセイ」、いやさらにどっちかというと「日記」「感想文」のほうが近いんですよね。
だから、文章を書くこと自体は好きなはずなのに、「小説」を書こうとすると、ものすごく苦しかったんです。嘘ばっかりついて、つじつまを合わせるためにさらに嘘で塗り固める感じがしてしまって(それこそが小説の醍醐味なのに)。
最初に書いてみた長編が奇跡的に一次選考を通過してしまったりで、若干勘違いして数年続けてみましたが、あまりの苦しさに小説を書くのはやめてしまいました。
でも、文章を書くこと自体が好きなのは変わっていなくて、結局楽しく続いているのがブログなんですね(当ブログ以外にもいくつか運営しています)。
当ブログに至っては、最近はほとんどアクセスがありませんが、それでも、「書くこと」は楽しみだし、私を支えています。
たぶん、著者のいう「持っている才能を使う」ということは、まさにこういうことなんじゃないかな、と思います。
② 精神的なよりどころをもつ(信仰や祈りなど)
彼ら(不毛な家庭で育ったにも関わらず打たれ強い人々)は精神的拠り所を家族以外の学校、仲のいい友人、そして教会に求め続けた。三分の一近くが、信仰と祈りが大きな内的、個人的心の支えであり、外での人との関係を補うと言った。
「大人になりきれない人」の心理 (PHP文庫)p.153 ※()内は本記事執筆者が加筆
日本人だと、どうしても「信仰・祈り」はピンときづらいですよね。
著者によれば、必ずしも○○教といった宗教が必要ということではなく、自分の信じたいことを信じる、祈る、ということだそう。
「教会」は、日本でいえば「お寺・神社」が該当するのかなと思うので、散歩ついでに近所の寺社に寄ってみるのもいいのかもしれないですね。
かくいう私も、とくに仏教徒というわけでもないのですが、お寺が好きで、むしゃくしゃしたらお寺に出かけて心を鎮めることにしています。
仏像に向かって「こんなことで悩んでます」と気持ちを吐露し、「なにかアドバイスあればこれからおみくじを引くのでそこで教えてください」と伝えておみくじを引く。
大吉とか小吉とかを見て終わり、ではなくて、書かれている文章のどこかに、「今の私に必要なものはあるかな」という目線で読んだりします。
そういった心持ちでいると、不思議と「ハッ!」となる文章が目に留まったりして、意外と侮れないものです。
お寺に限らず、山でも川でも建築物でも「いざとなったらあそこにいけばいい」という場所があると、すこし安心できるのかなと思います。
③ 趣味をもつ
「趣味」といっても、大層なものである必要はなくて、楽しく何かをするということ。
ただしこれも注意点があって、「趣味は大事だから!」と無理に趣味を持とうとするのではなくて、「楽しく何かをする」ということ。
私は趣味としてなんとなく音楽を続けてきたのですが、常に「プロになれるわけでもないのに、やっても意味ないんだよなあ」みたいな思考が頭をもたげていて。
でも今思うと、この「プロになれるでもないのに……」という考えこそが、せっかくの趣味の楽しさを半減させてしまっていたな、と思うのです。
今は「ザ・趣味」と完全に割り切って、心から楽しむことにしているのですが、そうしてみたら、本当に楽しくて仕方がないのです。
もう中年だし、今からどうにもなるわけでもないけれど、レッスンに通って「とにかくこの時間を味わい尽くす」みたいな気持ち。
そういうスタンスでいると、レッスンも一瞬で過ぎ去っていって、あとにものすごい満足感が残るし、先生に対する感謝も止まらない、みたいな(これ、過去の、「愚痴垂れ魔人」だった私とは大違いなんですよ…自分で自分の変化に驚くんですが)。
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まとめ
機能不全家族で育っても、幸せになるために意識すること3つ
①持っている才能を使う(1日をきちんと生きる)
②精神的なよりどころをもつ(寺社や自然など)
③趣味を持つ(楽しく何かをする)
ただし、この三点は、長期的といいますか、生きる姿勢ですので、いきなり満たそうと思っても、なかなかピンときづらいかもしれません。
もっと手っ取り早く、というか、具体的にできることはないの?という方に向けて、次の記事にまとめています。
★愛情不足で育ったことに気づいたらーまずやるとよいこと3つ |感想③『「大人になりきれない人」の心理』 - ししもとのAC回復ノート