親に愛されないと、あるところで心理的な成長が止まるので、実年齢は大人でも心は5才のまま。
まだ5才なのに、働いたり、家事育児をしたりするのはとても負担が大きく、大人として責任を果たすことがとてもつらいことになりがち。
親に愛されなかったら、一生地獄で生きて死んでいくしかないのか……。
否、愛情不足で育っても幸せに生きている人はいるので、その人を参考にしてみよう、というのが前回の記事でした(→愛情不足で育っても幸せに生きている人の特徴3つ:才能をつかう、信じる、楽しく何かをする)
でも、この3つは長期的に取り組む話なので、人生がすぐにラクになる感じでもないですよね。
ということで、本記事では「すぐにできることは?」という視点で考えていきます。
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不毛な家庭で育った人はどう生きていったらよいのか
人生を改善するためにすぐにできること3つ
1 周囲の人の好意を期待しない
親から愛情をもらえずに育つと、あまりにも孤独が強すぎて、誰からも好かれたい状態になるものです。
だから、ちょっと気がすすまないことであっても「断ったら嫌われるかも」と不安になって、迎合してしまいがち。
特に、親の期待に沿わないとひどい目に遭う(無視、怒鳴られる、叩かれるなど)という経験をしていると、心身とも自動的に防衛モードになってしまって、考える間すらなしに従ってしまうんですよ。強い口調や圧で言われたりすると特に。
しかし、そうやって生きていると、いつのまにか、「あいつは何でも言うこと聞くから利用してやろう」という人が寄ってくるようになる……。
悪意というほどではなくとも、「嫌だとハッキリ断らないのだから、良いってことなんだろう」と都合よく解釈され、要求がエスカレートしていく場合も。
そうしてイヤな思いを重ねていくと、どんどん周りの人のことが嫌いになっていってしまいます。
最終的には「このフロアにいる奴全員嫌い」みたいになる。
これでは生きるのが辛くて当たり前ですよね。
だからこそ大事なのが「周囲の人の好意を期待しない」ということ。
周囲の人から好意を期待している限り、あなたはますます周囲の人が嫌いになる。あなたの期待したようには周囲は動かない。その結果、また周囲への憎しみを増すことになる。そうした体験の積み重ねの結果、ますます生きることが辛くなる。
わ……わかりすぎる。
好かれたい気持ちはもちろん誰にでもあると思いますが、あまりにもそれが大きすぎて「嫌いな人にも好かれたい」という状態になっているのが問題なのですよね。
そもそも「嫌い」なんだから、合わないんですよ性格的に。考え方も違うし。
だから、好かれようとするなら、合わせるにもかなりの労力が必要→ストレスが溜まる→余計に嫌いになる。
相手からしても「いやべつに合わせてくれって頼んでいないのだが……」かもしれないし、”気を遣ったんだから認めてよね”という感じが透けて見えるのは重いかもしれない。
仮に、相手に合わせたことによって、相手がこちらに好感を持ってくれたとしても、そもそもが「嫌い」なので、「まあ、別に、そこまで嬉しくない」んですよね……。
私自身も若い頃は、嫌いな人にすら好かれようと本当に必死でしたが、こうして書いてみると、実にムダなことをしていたんだな……と実感します。
2 嫌いな人からは距離をとる
嫌いなら近づかなければいいのに、「嫌いな人からも好かれなければならない」と機嫌を取りにいくからトラブルになってしまう。
でも、子どもの頃はたとえ親が嫌いでも、現実的に距離を取ることができませんから、「ひどい目に遭わないように親の機嫌をとる」のは生き抜く手段でもあったのですよね。
ただ、その生き方が、親に対してだけじゃなくて友人や同僚など対象を広げつつ、大人になっても続いてしまっているのが問題ということ。
あるいは「みんななかよく」みたいな教訓を学校で叩き込まれてきたので、「嫌いな人から距離をとることは、悪いことのような感じがしてしまうのもありますよね。
(※もちろん、あえて仲間外れにしたりするのはダメですけど。用事がないときにわざわざ近寄らなくても、気の合う人と親しくすればいいのにね)
けれどおそらく、こちらが「嫌い」と思っている以上、相手もそうなんですよ。
グイグイ近寄ってくる人は一見こちらを好いているように感じますが、「他に相手にしてくれる人がいないから仕方なく」とか「言うこと聞いてくれるからラク」とかで、心の底ではこちらを甘く見ているだけだったりするんですよね。
憂鬱な人、ノイローゼの人、不幸な人、重苦しい人、暗い人は、嫌いな人と拘(かか)わりすぎたのである。煽てにのってその人たちのために尽くしすぎた。好かれたくてその人とつき合いすぎた。淋しさを紛らわすために誰でも彼でも大盤振る舞いをしすぎた。
まさにこれ……。
私も母のことを疎ましく思いながらも、愛されたくて仕方がなくて。母の機嫌をとるような選択ばかりして。けれど、まったく報われることはありませんでした(具体例→〈AC回顧録・29歳〉堪忍袋の緒が切れた日のこと:「母に認められること・愛されることはこの先も一生ない」とやっとわかった)。
私はこれを実感として理解するのに丸29年もかかってしまいました。
孤独になってもいいから、自分をただ利用するだけの人間とは離れる、と決意することは本当に大事だと実感しています。
嫌いな人に尽くしている暇があるのだったら、自分で自分にやさしくしたほうが良いですよね。
孤独を恐れてしまう気持ちもあるかもしれませんが、嫌いな人とつき合う”マイナス”より孤独である”ゼロ”のほうがよっぽど平和でした、私の場合は。
と、まあ、わかっていてもなお、いまだに他人に好かれようとするクセ自体は私も抜けきっていません……。
でも、「嫌いな人」にまで好かれようとはしなくなってきたので、ずいぶんと楽にはなりました。
3 ずるい人の言いなりになってきたことを反省する
少し厳しいように感じるかもしれませんが、嫌いな人にすら好かれようとした自分の愚かさを反省する必要もあります。
不遇な環境だったとはいえ、自分に執着してしまって、冷静にものを見れていなかった、と考えることもできるからです。
「こんなずるい人たちからよく思ってもらうために、自分は無理をして生きてきたのか」という自分の愚かさを反省することである。
引用元:加藤諦三『「大人になりきれない人」の心理』(PHP出版・2008)p.173
とはいえ、自分を利用する人のことを「ずるい人」とはっきり認識するのもまた、けっこう難しいものですよね。
認めてしまうと、今までの自分は何だったんだろうとものすごい虚しさに襲われたり傷ついたりするので、無意識のうちに見て見ぬフリをしていることもあるでしょう。
そこまでヘビーでなくても、「この人のこと苦手だけど……でも、こないだ親切にしてくれたし」みたいなのはよくある。
でも、やっぱり「なんか嫌だな」というのは拭いきれなくて、後にハッキリと露呈してしまうもの。
だったら、傷が浅いうち(関係が浅いうち、違和感が小さめのうち)に自分の判断ミスを反省しつつ、うまく距離をとれるといいのかなと思います(別に絶縁とまでいかなくても「年1回会うくらいならいいかな」とかそれぞれ適度な距離があると思いますので)。
自分のためでもあり、相手のためでもありますからね。
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まとめ
自分が愛情不足で育ったことに気づいたら……
【まずやるとよいこと】
・周囲の人の好意を期待しない
・利用してくる人や嫌いな人から離れる
・嫌いな人にすら好かれようとした自分の愚かさを反省する
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参考文献