優位に立ちたい人。上から目線の人。
家庭で、学校で、職場で……誰しもが遭遇したことがあるのではないでしょうか。
私の父も母も強烈な「優位に立ちたい人」でした。
そんな親に育てられた私もまた、いつの間にか「優位に立ちたい人」になっていた時期があります。
自分のほうが優れていそうなことを見つけると、心のなかで「あの人よりはマシ」と思って安心してみるとか。
言動や態度に表れてしまったことも、きっとたくさんあったと思います。
振り返るととても恥ずかしく、反省するばかりです。
いろいろあって、生き方を修正した結果、今は「優位に立ちたい」気持ちはほとんどなくなりました。
ですが、改めて「優位に立ちたい人」に遭遇すると、(かつての自分のことは棚に上げて)モヤモヤすることもありますので、まだ完全には「優位に立ちたい」成分が抜け切っていないのかもしれません。
周りの「優位に立ちたい人」に巻き込まれないためにも、自分が「優位に立ちたい人」に戻らないためにも、とこの本を手に取りました。
石原加受子『「とにかく優位に立ちたい人」を軽くかわすコツ』学研プラス(2017)
「優位に立ちたい人」の心理
「優位に立ちたい人」はやけに上から目線だったり、態度が大きかったり、自信たっぷりに見えるかもしれません。
しかし、実際のところは「自分は劣っている」と感じているのです。
そこを他人に指摘されるのが怖くて、先に攻撃を仕掛けているだけ。
今現在、「優位に立ちたい人」から被害をこうむっている方は、彼らが劣等感の塊なんて信じられないかもしれません。
ですが、「優位に立ちたい人」出身の私からすると、当時切実な劣等感があったのは間違いないといえます。
勉強ができたり、仕事ができたり、周囲からは恵まれているように見えても、劣等感があるのです。
劣等感を別の言葉で言い換えると「傷ついてきた」ということ。
「優位に立ちたい人」はほぼ例外なく、子供のころに、自分の親や家庭の誰かに見下されたり、自尊心を打ち砕かれた経験がある人たちである
引用元:石原加受子『「とにかく優位に立ちたい人」を軽くかわすコツ』学研プラス(2017)P.49,50
傷ついている人がなぜ「優位に立つ」というやり方をするかというと、それは「我慢の末の欲求の噴出」なのだそうです。
我々は子供の頃から「円満」を強いられています。
学校生活でも「みんなと仲良く」は当たり前のように言われてきましたよね。
家庭も円満であるに越したことはない。
でも実際は、それぞれ感性や意見やら育った環境が異なり、どうしても合わない人はいるものです。
ですが、ケンカばかりするわけにもいきませんし、我慢することになります。
この「我慢する」とは、感情が出口を失っている状態であり、それが攻撃性となって「優位に立つ」という手法をとるようになるわけです。
「人間関係を円滑に」という規則を真面目に守る人ほど、そうした「思考の我慢」を続けることによって、生きづらさや不安を感じてしまうのです。
引用元:石原加受子『「とにかく優位に立ちたい人」を軽くかわすコツ』学研プラス(2017)P.32
私も「人間関係を円滑に」には、かなり囚われてきました。
家庭に諍いが絶えなかったので、争うこと自体がものすごく嫌だったんです。
「怒り」がそこにあると、見えないナイフで刺され続けているような気がして、傷ついて仕方がないのです。
それは家庭に限らず、学校でも職場でもそうでした。
だから表面だけでも「円滑に」を第一優先で選んできました。
ただ、それはやはり「自分が我慢すればいい」といったような自己犠牲を伴っていたのも事実で、それがいつの間にか「優位に立ちたい」に変化し、ほぼ無意識のうちに、自分よりも弱い、他の誰かを傷つけていたと思います。
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「優位に立ちたい人」への対処法
「優位に立ちたい人」にも4つのタイプがあり、具体的な対処法のコツはそれぞれで変わってきますが、基本となる大元の考え方は同じ。
まず、「優位に立ちたい人」自体をなんとかしようとするのは無理。
相手を変えることは難しい(というか、現実的には無理だと思う)ですからね。
となると、「自分がつらくならないようにするにはどうしたらいいか」という視点になります。
そこでキーポイントになるのが「自己中心」という捉え方。
これは決して、いわゆる、「世界は私を中心に回っているのだから誰彼かまわず傷つけようが何をしようがかまわない」の「自己チュー」ではなくて、
自分の感情や気持ち、欲求を優先するという捉え方
引用元:石原加受子『「とにかく優位に立ちたい人」を軽くかわすコツ』学研プラス(2017)P.32
相手が挑発してきたり、無理難題を押し付けようとしてきたときも、そのペースに乗らなくてよい、ということです。
巻き込まれやすい人は、ついうっかり顔色を伺ってしまったりもするでしょうが、本当はそんなふうに気を遣う必要はないのです。
相手が上から目線でこようが、自分自身がどうしたいか、で選択・行動していい。
このとき、毅然と対応することもポイントのようです。
慣れてないと難しいんですけどね。
優位に立ちたい人ほど、相手の毅然とした態度によって、自分の中に押し込めている”恐怖”が引き出されて、ひるむことになるでしょう。
引用元:石原加受子『「とにかく優位に立ちたい人」を軽くかわすコツ』学研プラス(2017)P.143
具体例を考えてみた
私が以前、実際に体験したケースで「優位に立ちたい人をかわす」を考えてみます(※詳細は変えてあります)。
日ごろから上から目線だった知人に、「明日用事ある?」と聞かれたので素直に「ないよ」と答えてしまったところ、「じゃあ私の地域の草むしり当番やっといて」と言われたことがあります。
何か特別な事情(冠婚葬祭とか)があるのかと思いきや、よくよく聞いてみると、「趣味のサークルに行くから」とのこと。
(え…絶対嫌だ…なんて図々しいんだろう…)と思いつつも、「円満」を第一としていた当時の私は(でも、ここで断ったら、空気が悪くなるよな…今後ずっと顔を合わせる機会があるのだから、気まずくはなりたくない…)と悩んでしまいました。
すると知人は「何で? だって明日暇なんでしょ?」と追いつめてきて……結局、当時の私は断れませんでした。
こんなとき、自分中心の捉え方をするならば。
(え…絶対嫌だ…)と思っているので、これを大事にします。
「私にとって休日は身体を休めることが大事で、自分の義務でもない草むしりはとても負担に感じるので、他の人にお願いしてください」
などと毅然と言えばよい、ということになるでしょうか。
まあ、理由などつけなくても、「すまん、断る」だけでもいいかもしれませんね。
理由を言ってしまうと、揚げ足とってくる人もいますので。
少しでも申し訳なさそうにしたり、オドオドすると、相手は圧を強めてきたりするので、あくまで毅然と(でも攻撃性は出さずに)言うことが大事だと思います(当時はとてもできませんでしたが…)。
とはいえ、現実的には、恐怖心もありますし、習慣になってしまっている部分もありますし、なかなかすぐに「毅然とした態度で」 というのは正直難しいと思います。
ですので、まずは日常生活の小さなところから、「自分の気持ちを自覚しておく、そしてそれを大切にする」を心がけていくのが大事なのかな、と個人的には思っています。
自分の気持ちをしっかり見つめるのを繰り返す
↓
次第に自分の素直な気持ちがすぐにわかるようになってくる
↓
素直な気持ちをきちんと自分で掬う
↓
自尊心が育ってくる
のではないかな、と今は思っています。
ある程度自分の気持ちを優先できるようになってから、いわば応用問題として「優位に立ちたい人を毅然とかわす」があるのかな、と思います。
何事も、わずかな一歩から、ですね。
おわりに
本記事では触れていませんが、本書では「優位に立ちたい人」を4タイプに分類して、各タイプへの具体的な対処法が書かれています。
「優位に立ちたい人」を思い浮かべながら、彼はこのタイプだな、彼女はこっちのタイプかな、と読んでいくと(あー、それじゃ仕方ないよなぁ)と納得できるところもあるかもしれません。
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「自己中心」の重要性は他の本でも述べられています。