ししもとのAC回復ノート

親の呪いを解いて自分の人生を生きる

ブログ整備中につき、一時的に非表示にしている記事がございます。少しずつ再更新してまいりますので、またご訪問いただけますと幸いです

「ワガママ」と「自分を大切にする」の違いを考える【1】 - 自分の気持ちに従うこと、そのすべてが「ワガママ」だと思い込んでいた

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「自分の気持ちを大切にする=ワガママ」 と思っていた

子どもの頃、自分の意見や気持ちを言おうものなら、「このワガママ娘が!」「あんたはお母さんの気持ちなんてこれっぽっちも考えてくれない!!」と言われてきました。

その結果、「自分の意見を言ったり、自分の気持ちに従って行動すること、そういった類のことはすべてワガママ」と思うようになってしまいました。

母が私に「あんたはワガママ」と言うとき、その顔はひどく歪んでいました。
母の目に私は、「たいへんに醜いもの」として映っているのだろう、と思いました。

だから、「ワガママ」であることは、とんでもなく汚らわしいことなんだ、と感じました。

嫌悪感のこもった顔で「ワガママ」と言われ、嫌われる。
そんなにもつらいこと、あるでしょうか。
だから、ワガママと言われることだけは絶対に避けたい、そう思いました。

すると、ワガママと言われないためにはどうしたらいいか、ばかりを考えるようになります。

進路選択など、たとえ他人に迷惑をかけないことであっても、「どの選択肢がもっともワガママと思われないか(全方位的に批判されなくて済むか)」ということを第一に考えてしまいました。

本心から選んだものではないので、いつも自分が自分でないような心もとなさがありました。

誰かからひどい扱いを受けたわけでなくても、常にこの世界の外へ外へと、追いやられているような気分でした。

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「ワガママ」に見える同級生がうらやましかった

友人たちと遊んでいるとき、カラッとしたトーンで「あたし〇〇がいい~」とかわいく主張できる同級生を見たときは、うらやましすぎて気が狂いそうでした。

「どうしてあの子はワガママを言っても許されるの??」と。

その子に何か明らかな長所や美点があればまだ(自分的には)納得できるんです。
「まあ、あの子は美人だもんな」とか。
「彼女は明るくて好かれているもんな」とか。
「才能あるからな」とか。

でも、そういった「理由」が見つからないとき、ひどく混乱しました。

あの子はワガママを言ってもいいのに、私は許されない。
同じ人間で、同じ性別で、似たような立ち位置なのに(→今考えるとこれはとても失礼なジャッジメントです、反省)なんで?

同じ条件であっても、私は「ワガママ」を許されてこなかった。
ということは……
私はそもそもの「人としての存在価値」が低いということか、と。

それ以上は、恐ろしすぎて、考え続けることができませんでした。

「価値がない」ことを認めたら、私は終わってしまうのではないか、という恐怖心があったからです。

だって、親にとって「価値がない」存在であるならば、私は見捨てられかねないのです。
見捨てられないために、小さい頃から必死に「価値」を作りだしてきたのです。
勉強、習い事、生活態度、お年寄りにやさしくする、先生に気に入られる……etc

そうやって、必死で価値を作ってきたにも関わらず、「私には価値がない」のだったら、「今までの努力は何だったのだろう」と虚しさが押し寄せてくるではありませんか。
押し寄せてきた波に、潰されてしまいます。

だからこそ、「私って、価値ないのかな」と強く怯えながらも、「私、自分のこと価値がないと思っているんだな」と自分自身の気持ちを受け止めることはできませんでした。

受け止めることができないということは、目を逸らすしかありません。
その代償でしょうか、私は、「心の中で人を見下して安心する、あるいは批判して溜飲を下げる」という状態になっていきました。

当時の私にしてみれば、言葉にしなければ人を見下していることは他人からはわかるまいと思っていました。
が、今思うと態度でモロバレだっただろうな、と思います。

「むちゃくちゃに、ということはないけれど、”微妙に”嫌われているな」というのは若い頃しばしば感じていましたから。

それがなぜか、今ならよくわかります。
心の中で人を批判したり見下していると、どうしても言動の端々ににじみ出たり、ふとしたときにポロっと表出してしまうから、なんですよね。

当時の私に必要だったのは、「自分には価値がないと思っていること自体(感情の存在)を自分で認める」だったのだろうと思います。

私に実質的な価値があるかどうかは関係なくて、「価値がないと自分では思っているんだな、と自分で認識する」ということです(これがいわゆる「自己受容」というやつですね)。

とはいっても、あのときはあのときで精一杯生きてきたことの結果でしたから、仕方ないなと思うことにします(これもまた今の自分が過去の自分を「自己受容」している、のかな)。

「ワガママ」と「自分を大切にする」は別物らしい

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最近になってようやく、「ワガママであることと、自分を大切にすることは別モノであるらしい」ということはわかるようになってきました。

ただ、その違いを明確に説明せよ、と言われると、ちょっとまだ自信がなかったりもします。

というわけで、「ワガママ」と「自分を大切にすること」の違いを、次の記事で考えていきたいと思います。
>>> 自分を満たすために他人を使うのが「ワガママ」 

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