かつて所属していた組織に「超、上から目線」なAさんという人がいました。
私だけがそう感じているとか、悪い方に捉えているとかではなく、周囲の人ほぼ全員が「あいつは無礼者」と認識しているレベルの強者です。
しかしご本人は、自分が「上から目線」であることにまったく気づいていない様子でした。
上司や先輩に何度指摘されても、本当にケロっとしているタイプの人(それがいいところでもあるのでしょう)。
そしてあるとき、勇気のある人物が、飲み会の場でこの本をAさんにプレゼントしたのです。
榎本博明『「上から目線」の構造』日本経済新聞出版社(2011)
満場一致で「おおお、Aさんにピッタリの本じゃないか」と。
日々Aさんから繰り出される「上から目線」に参っていた私も
「読んでくれ!! 隅々まで!」
と心の中で叫びました。
(おこがましいことだと今は理解していますが、当時は私もストレス過多で参っていたので、つい。。。)
しかし残念ながら、Aさん的には「もー、またー、こんなネタ仕込みやがって」と本気にせず(飲み会の場だったということもあるでしょうが)、やっぱりケロっとしていました。
Aさんが本書を読んだかどうかは定かではありませんが……読んでいないでしょうね。
まぁ、本人が変えようと思っていない(気づいていない、あるいは、何が悪いか理解できない)のだから当然ではありますが。
Aさんの話はさておき。
あれから何年も経ちましたが、図書館を歩いていたら本書を久々に見かけ、「おお、懐かしい」となったので、読んでみました。
どんな本?
主に
・上から目線が気になる(気に障る)人
・つい上から目線になってしまう人
の心理を解説した本です。
他の本でも言われていることですが、どちらのタイプも劣等感が絡んでいます。
上から目線が気に障る人は、劣等感から他者の視線をネガティブに歪めがち。
見下され不安が強いので、相手のちょっとした言葉などにも過敏に反応してしまうんですね。
つい上から目線になってしまう人は、「勝ち負け」や「上下」でものごとを判断しているのだそうです。
あらゆる場面で100%勝ち続けることはできませんし、どこかで「負け」をつきつけられているんですよね。
根底には劣等感があるからこそ、「勝てること」や「自分のほうが上」と思えることがあると尊大な態度をとってしまうのでしょう。
また、このように「目線を気にする」ことは、日本人に特有らしく、本書後半で解説されています。
よかったところ
年長者からの「上から目線」は「山の上の様子」と考えてみる
やたら「上から目線」の先輩、上司、ご老人……だれしも一人くらいは覚えがあるのではないでしょうか。
著者によれば、年上の者が「上から目線」でモノを言うこと自体は、別に悪くない、とのとこと。
同年代であれば「上から目線」にイラっとするのもわかるが、年長者の「上から目線」は間違っていないそうです。
その部分を読んで、「上から目線」の親や親戚に悩まされてきた私は「えー」と思ってしまったんたんですが、後に続く解説で納得しました。
本書では、年長者の「上から目線」を「先に山の上の様子を見てきた下山者が教えてくれる情報」に例えていました。
これから頂上に向かうとするとき、その先の道がどうなっているか、危険なところはないか、天気はどうかなど、わからなくて不安なことは多々ありますよね。
そういった情報を、先に登ってきた人に教えてもらうと、すごく役に立つ場合があります。
どこそこの橋は崩落しているから、回り道しよう、とか。
年長者の「上から目線」も同じ。
年長者の年齢という地点だからこそ見える景色を教えてくれているのだ、と著者はいいます。
なるほど、そう考えてみると、確かに有用な情報だと捉えることもできますね。
ではなぜ聞かされるほうがイラっとするかというと、「言い方」のせい。
人間だれしも自分で動きたいので、押し付けられたりコントロールされるような言い方になると、「うわ、上から目線かよ」とげんなりするのですね。
「この経路でいくとこんな景色が楽しめるよ」というのであれば「情報」なので、聞くほうも「へー、そうなんですね、気が向いたら行ってみます」で済みますが
「この経路でいくと安泰だから絶対これにしなさい」となると「押しつけ」ですよね。
親や親戚、あるいは「上の世代」がよく言う、
「いい学校を出て、いい会社に入って、いい人と結婚して、子供をもうけて……」
という定番のやつも、彼らの過ごしてきた時代においては「安全で、かつ、そこそこ幸せになれるコース」だっただけなんですよね。
だからよかれと思っておすすめしてくるんですよね。
10年もすれば時代の空気ってずいぶん変わりますし、何が「良きもの・こと」とされるかも全然変わります。
たとえば、Youtuberなる「職業」が生まれ、しかもそれが子供たちのあこがれの職業になるなんて、(少なくとも10年前の私は)思っていませんでしたしね。
だからこそアドバイスを鵜呑みにせず「ああ、この人の時代はそれが良しとされていたんだなー」と思って参考にするくらいがいいんでしょうね。
ちなみに私の母、「上から目線」どころか「超高圧の押しつけ型」でした。
押し付けるだけならまだしも、気に入らないと無視したり何時間も怒り続けたりする人なので、子供の頃は本当にどうしようもありませんでした。
母としては単純に、「娘を通じて自分(母)が褒められたかった」だけなので、そりゃ娘がどう思おうがどうでもよかったんですよね。
父は父で、ものごとを「勝ち負け・上下」で判断するタイプの「上から目線」。
必要以上に押し付けてくることはないので、母ほどの嫌悪感はないですが、それでもそれなりに気を遣ってきました。
母や親戚の意向を汲み、「安泰コース」をひた走っていたこともありますが、私自身は全く幸せではなかったです。
だからこそ、今となっては「押し付けてくる人」や「上から目線」が超苦手です。
彼らに操作されるとロクなことがない、と身体に染みついているんですね。
少しでも「上から目線」の片鱗が見えると「うわー、この人と人間関係構築するのは無理」とシャッターが降りてしまいます。
本書でいうところの「上から目線に過敏になっている人」にあてはまっているわけですが。
いくら「上から目線」を発動されても、「この人はそういうふうに考えているのねー」「実は劣等感つよいのねー」と流すくらいの余裕ができるといいですよね。
今の私は「上から目線」への拒否反応が強くてまだ余裕がないので、距離を取ることにしています。
いつか、気にならなくなるといいなあ、と思います。
そのためにはまず、自分の劣等感に向き合わないといけないですね。
間柄によってふるまいが決まるからこそ、目線が気になる
こういった「目線」が気になるのは、日本人に特有のことらしいです。
欧米人の場合、「自分が~、自分は~」とアピールしていくスタイルですが、日本ではそれはあまり好まれませんよね。
「下品」とか「あさましい」とか言わがちですし、「出る杭は打たれる」的な面も大いにあると思いますし。
つまり、日本では自分をアピールしようとすると「あからさまな主張はせずに、相手に評価されるようにもっていく」というスタイルになるわけです。
相手の評価ありき、「相手にどう思われるか」ということが何よりも大事になってくるので、「相手の視線」を気にせざるを得ないのだそうです。
また、相手との間柄によってこちらの出方を調整しなければならないという面もありますよね。
敬語とか、ビジネスマナーなどは最たるものだと思いますが。
だからこそ、「空気を読む」とか「周囲の視線を気にする」とか、に過敏になるのだそうです。
この解説、すごく納得しました。
日本で暮らす以上、「周囲の視線」や「空気」に敏感になるのは文化上、ある程度は仕方のないことなんですね。
もちろん、「目線を気にする」ことが良い方向に出ていることもあると思います。
さりげなく気を遣うとか。
マナーを守るとか。
ただ、「視線が気になる」があまりに過剰になってしまうと、生きづらくて仕方がないですよね。
そのあたりの調整が、人によっては難しいのかなと思います。
結局「過剰に視線が気になる」の根底には「自分が評価されたい」「評価されなければならない」があるので、そこに向き合っていくのが第一歩なのでしょうね。
おわりに
「上から目線」を発動してしまう人も、「上から目線」の餌食になってしまう人も、劣等感が絡んでいる、というのは定説のようです。
同じテーマを扱った本でも、(本質は同じですが)それぞれに学ぶところがあり、何冊か読むのはやっぱり勉強になるな、と思いました。
こちらの過去記事もごらんください。
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