「サイコパス」ということば、ここ数年でよく耳にするようになりましたよね。
一部の凶悪犯罪者など、明らかに「サイコパス」とわかるケースもあれば、一般人として社会で普通に暮らしている場合もあるのだとか。
むしろ、経営者などとして功績を上げている場合も。
そのように聞くと、「結局サイコパスってなんぞや??」「発達障害とのちがいは?」と、よくわからなくなってきました。
サイコパス関係の本はほとんど読んだことがない、ということもあって、読んでみました。
名越康文監修『まんがでわかる隣のサイコパス』カンゼン(2019)kindle版
どんな本?
サイコパスに関する基本事項(精神医学的なこと)を解説するページと、身近にいるサイコパスの具体的な例を示すマンガから成っています。
具体的な例をマンガで表現しつつ、その前後で文章にて解説、という感じで、かなり理解しやすいと思います。
すでに関連の本を何冊も読んでいる人には退屈かもしれませんが、「サイコパスって何ぞや?」という人にはぴったりの一冊かと。
理解したことと感想
自分の利益のために他人を使うのがサイコパス
サイコパスとは、サイコパシー(精神病質)を有する人のこと。
本書では、サイコパシーの傾向が強い人のことを「サイコパス」としています。
なお、精神医学的には「サイコパス」という診断名はなく、「反社会的パーソナリティ障害」という診断になるそうです。
・衝動的で、他者に共感できない。
・自分の利益のために他者を都合よく使う。
といったあたりが主な特徴だそうです。
脳の偏桃体の活動が低く、喜怒哀楽が生じにくいので、残酷なことも平然とできてしまう、という説があるようです。
サイコパスの特徴をむき出しにしている人はわかりやすいのですが、欠点をカバーして社会に溶け込んでいるタイプも。
他者を操るため、自らを魅力的に演じることもできるのだとか。
専門家でも、一年以上見ないと診断できないとのことですから、一般の人だと「あれ??」と違和感を覚えることくらいはあっても、なかなか気づきにくいのでしょうね。
これまで遭遇してきた人のなかにいるかな、と過去を振り返ってみたんですが、「ちょっと怪しいかなー」くらいの人はいても、「あの人!」と確信を持って顔が浮かぶ人はいませんでした。
強いて挙げるなら「傷ついたことがないから、心が傷つくという概念がわからない」とケロリと言い放った同級生くらいかな。
日本人だと、サイコパスの割合は1~2%らしいので、100人に1人か2人はいるはず。
ということは、私が認識できていないだけなのでしょうね、
発達障害や自己愛性パーソナリティ障害との違い
サイコパスの特徴である「共感性に欠ける」「衝動性」などは、発達障害の特徴としても挙げられますよね。
両者は一緒じゃないの?と一瞬思ってしまいますが、違うそうです。
サイコパス:自覚的に人を支配しようとする
発達障害:人を操作することは考えにくい
のだそうです。
簡単に言ってしまうと、発達障害の場合は「悪気なく(そうなってしまう)」で、サイコパスの場合は「悪気あり、あえて、意識的」、といったところでしょうか。
また、「自分が自分が」と尊大になりがちな自己愛性パーソナリティ障害とも混同されがち。
両者の違いは、「他者からの評価に傷つくかどうか」だそうです。
サイコパスの場合は、「人気は気にするけど評判は気にしない」のだそうで。
人気があるほうが他者を操りやすくなるのでそこは気にしても、「他者はモノ」と捉えているふしがあるので、批判されようが悪く言われようが、気にならないのだとか。
だからこそ、何事も躊躇なく遂行できてしまうんですね。
一方で、自己愛性パーソナリティ障害の場合は、大元に強い劣等感がありますから、他者からの評判をものすごく気にします。
私の母も、共感性はないし、娘を操作するし、サイコパスっぽいかなという面もあるんですが、他者からの評判はむちゃくちゃ気にするので、どうも違いそうです。
もしも診断が出るとしたら「自己愛性パーソナリティ障害」か「発達障害」、あるいは両方、なのだろうな、と思いました(もちろん、医師に診てもらわないとわかりませんが)。
ともあれ、サイコパスの「罪悪感ゼロ、他者の評価気にならない」という性質って、ある意味、特殊能力ですよね。
「うまれてすみません」的罪悪感と戦ってきた私からすると、うらやましいような気さえします。
「うまれてすみません」的罪悪感は、事あるごとに、私の行動の邪魔をしてきたと思うので。
そういうストッパーがないからこそ、特殊な場面で才能を発揮し、功績を得るケースがある、というのは納得できます。
戦争や、何かしらの危機など、普通の人が怖気づくような場面でも、恐怖心が少なくて力を発揮できるので、人類にとっては必要だから存在するんですね。
ちなみに、サイコパスと並んで「ソシオパス」というのもありますが、先天的か後天的か、の違いだけだそうです
(サイコパス:先天的 ソシオパス:後天的(虐待や育成環境が影響))。
虚無感を抱えているらしい
犯罪者になるのは困りますが、経営や政治などの分野で能力をうまく使えるのならば、うらやましい面もあるような気もしてきます。
実際、功績を残している人も多々いるみたいですし。
ただ、本人たちは虚無感を抱えているのだそうです。
喜怒哀楽が起こりづらいからでしょうか、心がカラッポで何をやっても埋まらないのだとか。
それを埋めるために、役割や立場を演じたり、宗教にのめりこんだりするわけで。
それらの功績は、その人が探し当てた自分の特殊な心込みでこの世界に適応する方法だった、ということなんですよね。
名越康文監修『まんがでわかる隣のサイコパス』カンゼン(2019)kindle版
心がカラッポって、それはそれで、しんどそうですね。
楽しいことも感じづらいわけですからね。
むなしさから刺激を求めて、他者を支配しようとしたりするのかもしれませんね。
だからといって、下手な同情は不要。
ターゲットになると、モノとして見なされる可能性が高いわけですからね。
本書のマンガで表現されているサイコパス具体例を知ると、「あー、(ここまでひどくなくても)こういう人、いるわな」と思いつつ、ゾッとしました。
著者によればサイコパスからは「逃げるが勝ち」だそうです。
見た目や肩書きに惑わされることなく、つき合うほどに違和感やストレスを覚える人に対しては、自分の感覚を信じてできるだけ距離を置くこと、あるいは第三者に客観的な意見を仰ぐことが大切です。
名越康文監修『まんがでわかる隣のサイコパス』カンゼン(2019)kindle版
おわりに
教育や社会の建前を真に受け、「全員と仲良くしなければならない」「苦手な人からも逃げてはいけない」と思い込んでいた私。
「よく話してみたら実は良い人だった説」を信じて、苦手な人にもわざわざ近づいていました。
「いつか分かり合えるかもしれない」という期待さえ持っていました。
まあ、分かり合うことはほぼなかったですね。
「よく話してみたらいい人」の場合もたまにはあるかもしれないけれど、「やっぱり苦手」という場合が多いのが現実。
サイコパスだろうが何だろうが、違和感やストレスを感じる相手とは、さっさと距離をとっていこう、と改めて思いました。
広告