足かせは外すことにした

親の呪いを解いて自分の人生を生きる

「他人にOKを出す」とは? - その人と戦わないということ

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自分の困りごとをひもといていくと、最終的に必ず行きついてしまうのが「自己肯定感の心もとなさ」。
というわけで、自己肯定感に関する本を読んでいます。

以前の記事(>>>自分を否定することは、自分自身も「敵」になってしまう|『「会社行きたくない」と泣いていた僕が無敵になった理由』 )からポイントを抜粋すると、

・自己肯定感がなくなっていくのは、(きっかけは親などの外的要因があるにせよ)自分が自分にダメ出しするのがクセになっているのが大きな原因。
・自分にOKを出すには、ネガティブなことも含め、感じていること自体を認める

ということでした。

では、自分へのダメ出しのクセがある程度おさまったとしましょう(実際はそう簡単なものではないですが)。
自分にOKを出せるようになると、他人にもOKを出せるようになると聞きます。

すると浮上してくるのが、「他人もOK」って具体的にどういうこと? 何でも許す、迎合する、などとはどう違うの? ということ。

この点についても『「会社行きたくない」と泣いていた僕が無敵になった理由~人間関係のカギは、自己肯定感にあった~』という本に「はっ!」となる文章がありましたので、引用しつつ、考えていきます。

 

 

「他人にOKを出す」を勘違いしていた

親(特に母)が、なんでもかんでも否定したり反対してくるタイプだったので、私には「否定アレルギー」のようなところがあったのかもしれません。

お肌に例えるなら、超敏感肌といったところでしょうか。
ちょっとした刺激(=否定のニュアンス)を感じ取ったら、お肌(=心)がピリピリして辛くてたまらない、というような。

だからこそ、「頭ごなしに否定されるのは身を切られるようにつらいこと。だから私はそういうつらい思いを人にさせたくない」と強く思うようになりました。
この、人を慮る気持ち自体は悪くないと思うのです。

しかし、私のミスは「他人にOKを出す=一切否定してはいけない→その人の言うことをできるだけ聞く」と勘違いをしていたこと。

それって、もはや、「他人にOKを出す」とかじゃなくて「迎合」、いやむしろ「家来」「侍者」ですよね。
本来なら対等な関係であるはずなのに、わざわざ自分から家来役をかってでていたようなもの。

かといって、自分と意見が異なる度に「それは違う!」「そっちが間違ってる!」などとやっていたら、それこそ喧嘩ですよね(うちの親はこのタイプですが)。

じゃあ、「他人にOKを出す」って具体的にどういうことなんでしょう。

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他人にOKを出すとは、その人と戦わないこと

 他人にOKを出すとは、「慈悲深く、なんでも許し肯定する」なんていう、非現実的なことではありません。
 他人にOKを出すとは、その人と戦わないことです。
「会社行きたくない」と泣いていた僕が無敵になった理由~人間関係のカギは、自己肯定感にあった~』Kindle 版 位置No.1227

 

戦わないこと!
なるほど、それはたしかにわかる気がします。
人間関係が上手い人を見ていると、必要な場面では温和に主張しますが、「戦う」からは程遠いと思いますので。

でも、人によっては「戦わない=負け」のように感じてしまうかもしれません。

私自身も、決して言い返したりはしないものの(しかし正面から言えないからこそ)、心の中で「えー、なにこの人」と思ったりしたことはたくさんあります。

自分の価値観や正義を押しつけ、相手を裁いているうちは相手と同じレベルです。
「会社行きたくない」と泣いていた僕が無敵になった理由~人間関係のカギは、自己肯定感にあった~』Kindle 版 位置No.1227


グサッ。

実はこの引用文と似たようなことを学生時代に先輩から言われたことがありました。
気の合わない人がいて、うっかりぼやいてしまったところ、「それは相手と同じ土俵に乗っているよ」と。

そのときは(いやまあ、それはわかっているんですけどね……現実的に……困ってるんですよ、私も。明らかに相手が非常識なのだからちょっとくらい味方してくれてもいいのに)と苦々しいような気持ちでしたが。

しかしですね。
以前の記事(>>>上から目線が気になるのは、こちらにも「自分を認めさせようという欲」があるからだと気づいた )でも書いたように、相手のことを裁きたい気分のときって、ほぼ同じレベルだったりするんですよね……。
相手が自分的ルールを破ったから気に入らないわけで、押し付けているんですよ……。

そこに実感を持って気づかないと、口だけ塞いで心で相手を裁く、みたいな状況になるので、これが自分自身もけっこう辛いのですよね。

とはいえ、頭で考えてもどうにもならないことは多々ありますから、相手を裁くことがやめられない自分もまた「まだやってしまうな~、いつかやめられるといいな~」くらいでいいのだろうと思います。

いずれにせよ、自分のことも、他人のことも「そのまま認識する」ということがポイントなのかなと思います。

「あの人にはあの人の立場や考えがあるんだな」「自分とは相いれないけどな」と、自分は戦わない道を選ぶことが、相手を肯定することにつながります。

「会社行きたくない」と泣いていた僕が無敵になった理由~人間関係のカギは、自己肯定感にあった~』Kindle 版 位置No.1227


自分の過去と向き合っていると、どうしても私を傷つけてきた相手の環境や心境を考えざるを得ないのですが、「相手にも相手の事情があったんだな」というところに収束していくようになってきました(※「許す」とはまた別の感覚で、「認識」に近いかな)。

傷つけにくる人って、だいたいその人もどこかでやられているんですよね(だからといって、人を傷つけていいということにはなりませんが)。

自分からしたら摩訶不思議な考えの人も、そうならざるを得ない理由があるんだろうと思います。

とはいえ、私自身もまだまだそこまでは割り切れないですけどね 汗

おわりに

・他人にOKを出すとは、すべて許すことではない
・その人と戦わないということ

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