幸せのつくりかた研究所 ~親に愛されなかった人のために~

親の呪いを解いて自分の人生を生きる

自己評価が低い人は他人の悪い面ばかり見てしまうので人間関係に心配がつきまとう |感想『心配ぐせの9割は人生に必要な知恵である』

やっぱり心配しがち

私の場合(誰しもそうなのかもしれませんが)、ストレスがかかると、心配・不安が悪化する傾向があります。

それに気づいて以来、ストレスを排除することに注力し、それなりに功を奏しています。

が、それでもやはり、たまに心配癖が顔をのぞかせることもある。
そんなときに手に取りたい本。

渋谷昌三『心配ぐせの9割は人生に必要な知恵である―悩む人ほど強くなる、人生がうまくいく46のヒント』海竜社(2014)

 

 

 


どんな本?

心配や不安って、つい排除しようとしがちですよね。

自分でも「ああまた心配ばかりしている!やめなくちゃ!」と思ったりしますし、周りの人からもまた「心配しすぎだよ」とか「なんでそんなこと気にしてんの?」と言われる。


しかしこの本は、心配することのプラス面に目を向けようというスタンスで書かれています。

「心配している自分」それ自体を肯定してくれるような雰囲気。

もちろん過度な心配は問題ですが、うまくつき合えば、「転ばぬ先の杖」にできるのではないか、ということです。

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前半でまず「心配」のとらえ方をポジティブなものに変え、後半で心配を解消するコツなどを紹介する構成となっています。

とくによかったところの感想

自己評価が低いと人間関係に心配がつきまとう

心配に関する本は結構読んできたので、サラッと読んでいたのですが、「はっ」とさせられた箇所がありました。

人間関係の心配ごとには自己評価(自尊感情)の低さが関わっている、ということです。

 自己評価の低い人は、他人を欠点から見る、つまり悪い面を見ようとします。なぜなら、自己評価の低い人は自分だけでなく、他者に対する評価も低く見積もるので、他人というのは自分に損失を与える存在であると考えてしまうのです。
 そのため、「損をしないように」とか、「自分に不利を被らないように」と考えて、まず相手の短所を見つけ、危ない人には近づかないようにしてしまいます。


引用元:渋谷昌三『心配ぐせの9割は人生に必要な知恵である―悩む人ほど強くなる、人生がうまくいく46のヒント』海竜社(2014)p.61,62


自分のことも、他人のことも、欠点から見てしまう。

これ、まさにやっていました。

しかも、欠点に注目しているうちに、いつの間にか欠点を見つけるのが大得意になっているのです(自分に対しても、他人に対しても)。

「あの人はああいう(微妙な)ところがあるからなぁ」とか。
「自分はこんなにダメな人間だから、あの人は私に幻滅しているに違いない」とか。
モヤモヤしているうちに、つき合うのが面倒になってきて、疎遠になってしまったり。

実害を及ぼしてくる人なら疎遠でかまわないのですが、完璧な人間なんていないので、ちょっとした欠点で引いているとどんどん人間関係が狭まってきます。

狭まってくるというより、自分で狭めてしまっているのですよね。


解決するには自己評価を上げればよい……となるわけですが、そう簡単なことでもない、というのが実感です。

自己評価が低いって、仕方ない部分もあると思うのです。
特に、子供のうちについてしまった自己評価は、自分ではどうにもできない部分があります。

というのも、私の親も欠点ばかり見つけるタイプの人でした(親はれっきとした教育のつもりだったのでしょうし、親もまた、そのような教育(と思われるもの)を受けてきたのでしょう)。

いくら教育のつもりとはいえ、批判否定ばかりされるのはとても傷つき、「実の親ですら私をこんなに痛めつけるのだから、他人なんてますます信用できない」と思うようになっていました。

人を信用していないので、心の底では常にビクビク。

それはきっと態度に出て相手に伝わったりするのでしょう、相手としても信用されていなかったら不快なはず。

その結果、相手もこちらに対して良い気持ちにはなりませんよね。
そして、疎遠になってしまったり、もめごとに発展してしまったり。

悲しい出来事が積み重なっていれば、自己評価なんて上がるわけがない。


それでも、それでも結局、自分で上げるしかないのが、自己評価。
誰かが上げてくれるのを待っていたら一生上がらないかもしれない。

運良く、人格者とかメンターと出会えて、ということもあるでしょうが、そんなのは一生に一度あるかないか、なのでしょう。


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自己評価を上げるには「いいところ探し」(せめて否定はしない)

では自己評価を上げるために、具体的にどうしたらいいかというと、「いいところ探し」

自分は「いつも人の悪い点ばかり気になっている」と気づいたなら、まず自分の中の「いいところ探し」をしてみるといいでしょう。
それが少しできるようになり、自己評価が以前よりは少し高くなってきたなと思うことができたら、今度は相手の「いいところ探し」をしてみましょう。

引用元:渋谷昌三『心配ぐせの9割は人生に必要な知恵である―悩む人ほど強くなる、人生がうまくいく46のヒント』海竜社(2014)p.63


いいところ探し、したいのはやまやまなんですが、個人的経験から言うと、「いいところ」を探そうとするのは慣れていない人間からするとけっこうハードルが高い。

私は「自分のことをとにかく否定しない」ほうがやりやすかったです。


そもそも、長所と短所は表裏一体で、時と場合によっていくらでもひっくり返りますよね。

例えば「丁寧」という性質があったとして、それは書類を正確に作るような仕事では長所とみなされますが、質は二の次でとにかく急ぐような仕事では遅いと批判されるわけです。

なので、「否定しない」が有効だと私は思いました。


自分はこんなダメなところがあるなあ……と思ったとして、それが客観的にも事実だったとしても、「ダメだとわかっているけど、それはそれで今はよし」と思う。
ここでの目的は自己評価を上げることなので、客観的な評価は一旦脇に置いておく。

「ダメかもしれないけど、それはそれで今はよしとする」

そうやって自分を認めているうちに自己評価が上がる、というよりは、変に低すぎることがなくなる、という感じでしょうか。


私の場合、「最低の自己評価」から「比較的フラットな自己評価」になるまで何年もかかっています(しかもまだ途中)。

けれど、「最悪の自己評価」から抜け出しただけでも、すごく楽になりました。

他者に振り回されすぎていたのが、振り回されそうになっても一瞬立ち止まって「この人の言うことも確かに正しいのかもしれないけど、私には私の考えがある」と思えるようにもなってきました(毎回ではないですが)。


自分の本心を大事にできるようになると、余裕が出て来て、他者の「いいところ」にも目を向けられるようになってくるんですよね。


良いところを見られると何が良いかというと、自分の心が平穏だということです。
人の欠点を見ているときって、そんな自分自体を嫌だなあと思ったりしますので。

とはいえまだまだ修行中。

この先時間をかけて、自分に関しても、人に関しても、欠点が気にならなくなったらいいなぁ、と思っているところです。


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