ししもとのAC回復ノート

親の呪いを解いて自分の人生を生きる

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(11/21更新)私は私をどのくらい貶めているのか&自分にかける言葉を変える練習をしてみる【しばらく観察中】

クセになっている「自虐・自分下げ」をやめようと思っている で書いたように、私には、自虐することによって自分を守ろうとするクセがあります。

年齢を重ね、自分よりも若い人と接する機会が多くなった今、過剰な自虐はかえって気を遣わせてしまうということに気づきました。

ほぼ無意識のうちに自分を下げているようなので、おそらく一人でいるときも、脳内で自分を罰しているふしがあるのだろうと思います。

また、いまいち力を発揮できない理由の一つが判明した - 『セルフトーク・マネジメント入門』で書いたように、自分にかける言葉が不適切だったことにも気づきました。

というわけで、

・普段、自分にどんな言葉をかけているのか(観察)
・ネガティブな声掛けは、どう変えたらよいのか(試行)
・それによって行動も変わるのか?

に注目してみることにしました。
(できれば毎日更新したいですが、時間やネタがない日もあるので、とびとびの更新になってしまいそうです)

なお、ネガティブなセルフトークを良い問いかけに変えるポイントは
・今できることはあるか?
・相手の役に立てることはあるか?
という視点で考えてみようと思います。
(参照>>>いまいち力を発揮できない理由の一つが判明した - 『セルフトーク・マネジメント入門』

 

【観察】私は私をどのくらい貶めているのか

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1日目 ちょっとした老化のサインで人生悲観モードに入りがち

メイクをしていて、ふと目を細めると、目の下に細かいシワが大量発生。思わずギョッとしました。
「うわっ、シワ、すごっ」
(→これは事実なので仕方ない)

次の瞬間に思ったのが、
「こりゃひどい、本格的なババアだわ」と。
さらに続けて感じたのが
「あーあ、もう、人生で楽しいこともないんだろうな」ということ。

分析
「シワがあるな」は事実確認・現状把握なので、ある意味大事なことだと思います。
現在地がわからないと、解決もできないので。

ですが、「本格的なババア」はどうでしょうか?

人様にはまず言いません(というか、そもそもシワをそんなにジロジロ見ないですよね)。
ということは、自分を大切にしたいのならば、不適切な声がけに相当するのだろうと思いました。

さらに、「もう楽しいことはないのだろう」と将来の悲観までしています。
我ながら、若さを重んじがちな日本的価値観に完全に毒されております……。

若い頃に感じる「楽しさ」とはまた違った形になるかもしれませんが、工夫次第でその年代なりの楽しさがあるのだろうと、頭ではわかっているのです(実際、私自身は10代・20代が辛すぎたので、若いからといってうまくいくわけでもないと知っています)。

年齢を重ねるうち、失うものもあるけれど、前向きでいれば「別の種類の幸せを増やす」ことはできるのかもしれません(若い頃にわからなかった趣味が理解できるようになったり、人にやさしくできるようになったり)。

自分にかける言葉を変えてみる
「うわっ、シワがひどい」のなら、「本格的なババア」と貶めるのではなくて(貶めてもシワは改善しませんからね)、
・「美容液を変えてみようかな(お高いけど)」
・「それでもダメならエステなども検討してみよう(お高いけど)」
あるいは
・「これもまた、頑張って生きてきた証だよね(と受け入れる)」

という感じになるのでしょうかね(ちょっとまだ自信ない)。

行動は変わる?
まずは美容液を買ってみようと思います。
(ちょっと今月は出費がかさんだので、すぐにとはいきませんが、本当はすぐに行動したほうがいいんだろうな、と思います)

2日目 なかなか人を大切にできないことに悩む

これまで、基本的に自分のことで精一杯だったので、「人からしてもらったこと」を忘れがちだったように思います。

人生が辛ければ辛いほど、周囲の人からの親切を認識できなかったのです。
無意識のうちに「これだけしんどいのだから少しくらいやってもらったっていいよね」みたいな驕りがあったのかもしれません。

気づいたこと自体が進歩ではあるのですが、気づいたら気づいたで、「あー、優しい人を大切にできない私、まじでクソだな」と思ってしまいます。

自分にかける言葉を変えてみる
「あー、優しい人を大切にできない私、ダメな奴だな」が出てきたところで、「じゃあ、今からでも、相手にできること、ある?」と問いかけてみました。

たとえば、昔、死にたいとグズグズしていた私を助けようとしてくれた同級生に対しては……。
よくよく思い出してみると、私は彼ら・彼女らにロクに御礼も言っていませんでした(むしろ、「みんな、微妙に迷惑そうな顔してる……もうちょっと優しくしてくれたっていいのに」とすら思っていた、、、自分の思う理想のやり方でないと気が済まなかったのですよね。本当に反省)。
なので、いつか会う機会があったら改めて謝罪&御礼を伝えようと思いました。

また、(さすがに多少はマシな人間になったと思いますが)、いまだについ「足りないもの」ばかりに目が行って、心を許している人の前でうっかり現状をプチ嘆きしてしまうことが多々あります。

親切に励ましたり、応援してくれている人からすると、げんなりするだろうな、と想像がつきます。

行動はどう変わる?
とはいえ、「ポジティブな面にフォーカスする」だと、私にはちょっとハードルが高い&偽善っぽい感じがしてしまうので、「してもらったことノート」をつくろうかなと思います。

わざわざポジティブに書く必要はなくて、「〇月〇日 プレゼントをいただいた」などと事実を淡々と書けばよいのかな、と。
そして、折に触れて見返す。

事実が蓄積していけば、ねじ曲がっていた認識が変わって、「してもらったことへの感謝>現状の不満」になっていくのかな、と。
そんな気がしています。

3日目 ほぼ常に「仕事がイマイチ進まなかった」と思っている

床について目を閉じるとき、ほぼ毎日浮かんできてしまうのが「あー、今日も仕事の進み具合がイマイチだった」ということ。

これは今に始まったことではなく、会社員をしていたころからそうでした。

納期に遅れたとか、実害は一切ないのです。
なのに「(自分が思い描いている理想の進み具合と比べると)進まなかった」と思ってしまうんですね。

まあ、理想が高すぎるというか、等身大の自分のレベルを正確に認識できていないのですが。
「がんばればもっとできるのに」と思いすぎているのですね。

自分にかける言葉を変える
まず、「今できることはあるか?」という視点で見てみます。
だいたいいつも寝る前に思うので、「さっさと寝て明日に備えよ」という感じですよね。

行動は変わる?
実はこの問題、以前にも分析していまして……。
>>>「やればできる」と思うことによって余計にできなくなることがある - ししもとの読書ノート2.0(サブブログに飛びます)

結局、似たようなフェーズに戻ったりしております(恥)

「ここまではできる」と到達点を明確にせよ、と過去の自分が書いていました(汗)

現在の状況としては、優先順位1位と2位までは確実にこなせている(到達点)のですが、それ以降がけっこうグダグダになっていました。
これはもしや、優先順位3位以降があやふやだからではないか??

ちょっと明日から優先順位を気にしてみたいと思います。

4日目 昼寝に対する罪悪感がすごい

昔から体力がなくて疲れやすく、よく昼寝をしていました。
30分程度の昼寝なら身体によいと言われますが、私は一旦寝ると2時間くらいは起きられません。
(横になるのがいけないらしいのですが、座ったままだと寝られない……)

そして必ず昼寝のあとに「2時間も寝てしまった……そんなに長く寝てしまうなんて……私は管理のできない奴だ……」と罪悪感のようなものに襲われます。

「本当はこの2時間で、あの仕事とこの仕事を終わらせるつもりだったのに、その機会を失ってしまった」というなんだか損したような気持ちです。

しかし、よく考えてみると、昼寝によって体力気力が回復しているのだから、別に損はしていないんですよね。

結局は「もっと体力があったらなあ。もしくは、ショートスリーパーだったらなぁ(使える時間が増えるのに、結果が出せるのに)」的な、「理想の自分」とのギャップを嘆いているのだろうと思います。

自分にかける言葉を変えてみる
「昼寝してしまった……後悔……だけど時間は戻らないので、今からできることはあるか?」という問いをかけてみます。

「英気も養ったことだし、今からバリバリ頑張ろう」に尽きますね。

行動はどう変わる?
ということで、この記事をこうして更新しています。
「昼寝=がんばる言い訳」にする、という感じですかね。

5日目 ほめ言葉を受け取ることができない

若い頃は、褒めてもらっても、「おだてることで私を操作しようとしているのではないか」とすぐに疑ってしまっていました。

母が口先だけの誉め言葉をくり出すときは、私を都合よく動かしたいときだったからです。

ですが、年齢を重ね、「母みたいな人ばっかりじゃないよな、本心で言ってくれる人も(たまには)いるはずだよな」と思うようになり、最近はわりと「ありがとうございます~」的に返せるようになってきました。

と思っていたのですが、まだまだ受け取れていないことを自覚しました。

先日も、習い事の先生が褒めてくれたとき、「いやいやたまたまですよーハハハハハ」と答えてしまったり、「いやいや全然ダメですよー〇〇ができてないし」などと口走ってしまいました。

一回や二回ならいいですが、何回も繰り返していることに気づきまして……。
あんまり謙遜しすぎても、相手に失礼だなと反省しました。

自分にかける言葉を変えてみる
人からのほめ言葉を受け取れないということは、自分が自分にかけるほめ言葉も受け取れていないということ。

というか、むしろ、自分で自分をほめる習慣がないんでしょうね……。

ほめ言葉自体に慣れていないから、居心地が悪いような気がして、慌てて謙遜してしまうのかもしれません。

無理やりに自分をほめなくてもいいとは思いますが、「ここまではできた」「自分なりにはよく努力したよね」くらいの声かけはしてもいいのかな、と思いました(3日目にも似たようなことを書いている……)。



つづく