AC回復のきろく

親の呪いを解いて自分の人生を生きる

毒親を抱えていると介護はますますカオスになるという具体例|『親の介護、はじまりました』『親の介護、10年め日記。』

電子書籍端末(+iPad)を購入して以来、Kindle本に大変お世話になっています。

先日『きらいな母を看取れますか?』という本(電子書籍版)を購入したせいか、ここのところ、介護関係の本が「おすすめ」として表示されるようになりました。

はじめはさほど興味はなかったのですが、何度も「おすすめ」として目にしていると、「読んでみようかな」と思い始めるもので(心理学でいうところの「単純接触効果」ってやつか)。

この三冊を一気読みしました(マンガです)。

堀田あきお&かよ
『親の介護、はじまりました。(上・下)』
『親の介護、10年目日記』

 

 

 

 

 

どんな本?

漫画家・イラストレーター夫婦の著書。
奥さんのほうの親の介護について、実体験を描かれているようです。

大腿骨骨折から始まったお母さんの介護。
東京~群馬間の遠距離介護でなんとか奮闘しますが、骨折(二度目)やら、痴呆の症状、拒食がでたり……。
常にギリギリの状態ながらも、夫や弟の力もあり、介護をつづけること10年。
現在お母さんは特養に入所されているそうです。

ここだけにフォーカスすると、(むちゃくちゃ大変だけれども)わりとよくある話、だと思うのですが。

むしろこの本のメイン(?)テーマは、著者のお父さんのヤバさなのではないかと。

何か言うとすぐ怒鳴り散らす、暴力、モノに当たるなど、「会話が成立しない」タイプの人というか。
とにかく自分のことしか考えられない人。

いわゆる毒親にも該当するとは思うのですが、それ以前に何かしらの障害(?)があるのだろうと思われる方。

自分の思惑通りに進めようとする力が尋常でない。

まだ体調の良くなっていない母の退院日を勝手に決めるなんてのはザラ。
車いす生活が必要なお母さんのための、リフォームの必要性が理解できない。
医師経由で説明し、納得したかと思ったら、手すりがわりのドアノブを四個自分で設置しただけ(リフォーム代ケチる)、とか(結局ほとんど歩けないのに、車いす使えず)。
もちろん、お母さんが歩けなくても手助けしない。

お父さんご自身が脳出血で倒れたときも、入院生活に耐えられず、勝手に脱走。

お母さんが働き続けて貯めていたお金を、お父さんが毎日タクシーを乗り回して使い込んでしまう(2000万くらい。結果、母を施設に預けられず)。

この、「ヤバいお父さん」を抱えての遠距離介護、壮絶です。

著者の夫と弟、近くに住む親戚が協力的だったからこそ、ギリギリ成立した(成立と言っていいのか?)ようにも見えます。


感想

マンガに登場する著者のお父さんと、私の母が少々かぶるところがあり、辛い気持ちになりました。


著者が「我慢ばかりだったお母さんの人生って、なんだったのだろう」と思うシーンがあるのですが、これも非常によくわかる(私の場合は、母が困り者で、父のほうに対する申し訳なさですが)。

自分の両親を見ていても思いますが、配偶者選びを間違えると、一生を棒に振るのだな、と強く思います。
最近はひと昔前より離婚はしやすくなっていますから、そうとも限らないのかもしれませんが。

「配偶者選びを間違えると一生を棒に振る」これに強く囚われている私もまた、一生を棒に振っているのかもしれません。


(追記)

アマゾンのレビューを見ていたら、「お父さんのせいにするばかりでほとんど何もしない娘」的な感想もありました。

「お父さんがヤバい」「お父さんが邪魔してくる」と文句を言うだけで、娘は必要な行動をしていない。と。
離婚させて、お母さんを引き取り、自分が仕事の間はヘルパーさんなどでどうにかなるのでは? と。


その意見を読んで、「なるほど」とも思いました。
そんな風に考えることもできるのだな、と。

著者と同じで、「(困り者の母と同居してくれている父に申し訳ないと思いつつも)何もしない娘」の私としては、ちょっとハッとなりました。


なぜ何もしないのかと考えてみると、原因は三つくらい思い浮かびました。

①子供時代のうちに気力をすでに使い果たしてしまった
②無意識のうちに「恨み」がある
③解決を先延ばしにすることがクセになっている

①、もう、気力というか、精神的な余裕がない、ということ。
大人になる前に「がんばる力」というものを使い果たしてしまった感じなのです。

要するに、本心としては「もうできるだけ親と関わりたくない」のです。
(私からすると、著者はかなり尽力していると思うので、私の状況とはまた少し違うかもしれませんが)

②は、(毒親でないほうの親に対しても)思うところがある、ということ。
たとえば著者の例では「横暴なお父さんの暴力を受けているときにお母さんは何もしてくれなかった」的な記述があるんですが、そういった抑圧した「恨み」も関係しているのではないかと思います。


③の理由は、「解決を先延ばしにする」が無意識のうちにクセになっているということ。

そもそも、「解決のための行動をとれない」というのは、毒親育ちの特徴の一つかな、とも思います。
なあなあにしないと、日常を生きていくことができなかったので、そういう思考のクセがついてしまっているのではないかと。

私自身も、「この家から逃げたい」といつも思っていましたが、逃げたいと思ったところで、子どもは逃げることができません(逃げたとしても、命に危険があるほどの虐待などでない限り、連れ戻されるでしょう)。
最近でこそ「毒親」は認知されるようになった概念ですが、私が子供の頃は広まっていませんでしたし、だれに相談したとしても、事態が悪化するとしか思えませんでした。

だから、親のヤバさとか、親に対する嫌悪感とか、自分の気持ちとか、見て見ぬフリをしないと、生きていけなかったのです。
解決できないことは、先延ばしにする以外、解決方法がなかったのです。

その結果、いつのまにか「解決を先延ばしにする」クセがついてしまっていたわけなんですが。

今後は気をつけようと思いつつも……先手を打ったら、また次の問題が生じるだろう、次どころか、無限に生じるだろう、と思うと、だったら何もするまい、と思ってしまうんですよね……。



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おわりに

著者のお母さんのケースでは、大腿骨骨折から10年で施設に入所。
リーズナブルな施設に入所するには、本当に時間がかかるといいますか、よほどの状態にならないと入れないという現実。

昔は家族が看るのが当たり前でしたから、その状態から介護保険制度ができたりして、ずいぶんと進んだとは思いますが……それでもまだ全然不十分というか……制度的にどうにかならないものだろうか、と思わざるを得ませんでした。
(じゃあ何ができるかと問われると無力なのですが……現場は人手不足でものすごく大変でしょうし。)


絵のタッチや見せ方の工夫で、マイルドに表現されていると思いますが、現実の厳しさに「ううう」となりました。

「毒親を抱えていると介護がどうなるか」という一つの例、といえるかと思います。


本書のケースでは、毒親といえども関係を維持していますが、絶縁した毒親の場合、介護はどうしたらいいのかということも悩ましい。

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