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不満だからこそ「欠けているもの」に目がいってしまう|感想⑥『「大人になりきれない人」の心理』

私の人生を変えるきっかけになった本、加藤諦三氏の「大人になりきれない人」の心理 (PHP文庫)を読み返していて、改めて衝撃を受けました。

欠けているところに注目するから不満になるのではなくて、不満だからこそ「ないもの」に目がいってしまう、という話。

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「あるものに目を向けよ」とよく言われるけれど…

「すでに持っているものに目を向けよ」とか
「できなかったことじゃなくてできたことを数えよ」とか
「人の欠点ではなくて長所を見よう」とか。

いろんな本を読んでいると、とにかく「よいものに目を向けよう」が出てきますよね。

これ自体に関しては、たしかに「そうだよな」とは思うんです。

たとえば、道端に転がっている犬の糞を凝視して、マナーのなっていない飼い主に立腹し続けるよりも、ボランティアの人が植えてくれた道端のコスモスに「ああ、きれいだな、暑い日も寒い日もお世話してくれたんだろうな」と思ったほうが気分がいいのは間違いない。
(余談ですが、近所にほんとうに両者↑が混在する道があるのです)

造花 コスモス ブッシュ 45cm


犬の糞とコスモスは目視で圧倒的な差があるので切り替えやすいのですが……
しかし、自分にまつわるアレコレとなると、途端に難しくなりません??

私は「ダメ出し王」な両親のもとで生きてきたので、自分自身のダメなところに目がいくのはもちろん、周囲(他者にしろ、何かのシステムにしろ、あるいは天候でさえ)の「悪いほう」にどうしても着目してしまう生き方をしてきました。

とにかく若い頃はひどかった。
どれほど「良い方に考えよう」と思っても、「いやいやいやいや、ないものを、”ある”って考えるとか無理でしょ笑 現実見て、現実」とまで思っていました。

「良いところを見よう」と思うことが、マッチに灯したくらいの火だとすると、一気にネガティブの大波に全身飲み込まれて、一瞬で跡形もなく消されてしまうような。

私にとっては、それほどまでに難しいことでした。

不満だからこそ「ない」に目がいく

そんな若かりし頃の私に読ませたすぎる文章がこれ↓。

 欠けていることに注意がいくから不満になるのではない。不満だから欠けているところに注意がいってしまうのである。人は不満だと、どうしても欠けているところに注意がいってしまうのである。

「大人になりきれない人」の心理 (PHP文庫) p.218

それなのよ。

もう、ほんと、頭もげるかと思うくらい、そうなのよ。

「ないほうにばかり注意を向けるから不満なのだ」と言われる度、「おまえが悪い」「自己責任」と言われているようで、これがまたさらに辛かった……。
うまく言い返せなくてもどかしかった。

逆なのよ。
不満で破裂しそうだから、ネガティブなほうにばかり目がいってしまうのよ。

著者自身も、若い頃の本には「あるものを見よ」的なことを書いたそうで、ご自身に言い聞かせていた面もあるそうです。

しかし、よく考えてみると、満足していれば自然と自分が今持っているもののほうに注意がいく。たとえわずかでも自分にあるものを考えて感謝する。

「大人になりきれない人」の心理 (PHP文庫) p.218

(何回も言うてすまんけど)そうなのよ。

とても聞き上手で人格者で信頼している友人からもよく、「あるに目を向けようよ」的なことを言われてきまして。

「たしかにそうなんだけど……どうにもこのもどかしさ、うまく伝わらないんだよなー」と思ってきました。
相手もこちらを励まそうと本心の親切で言ってくれているのはわかっていたので、なんとも言われぬ断絶があるなあ、と。

ようやく、今、わかりました、その友人は「そもそも満足している人」だったんですよ(実際、とても達観している)。だからそういう発想になるんですよね。

不満を解消していけば自然といいほうに目がいくようになる

発見した!

 

私がどうしてここまで実感を伴って「そうなのよ」と言えるかというと、不満を一つずつ解消していったら、ほんとうに「よい面」にも目がいくようになったから。

とくに顕著に感じるのは、店員さんの親切や心遣いによく気づくようになったこと。

若い頃はどんなに親切にしてもらっても「仕事なんだから当たり前でしょ」みたいに思ってほとんどスルーしていたんですよね。私自身も接客のアルバイトをしていて、その大変さはわかっていたのにも関わらず。

また、過去に友人がしてくれたことなども「あのときも感謝していたつもりだったけど……改めて思い出してみると、とても労力のかかることをしてくれていたんだな」としみじみ思い出したり。

でも当時は、「だれもわたしのことわかってくれない」「優しくしてくれない」「みんな冷たい」と本気の本気で思っていました。

冷静に思い返せば、中年の現在よりも若さをもっていたぶん、親切にしてもらったり気遣ってもらったことの総量は多かったと思うんですよね。
なのに、「ある」に気づくようになった中年の現在のほうが、よっぽど満たされていて幸せな気分なんですよ。
(まあ、若さゆえに下に見られたり、変に注目されたり干渉されたり、不快な思いをしたことももちろん今より多かったのでそれに相殺されている面はあるかもしれないけど)

無理やり良い面を見ようとするよりも、不満をなくしていくことのススメ

バンダイ(BANDAI) ∞プチプチAIR 【日本おもちゃ大賞2021 ハイ・ターゲットトイ部門 優秀賞】

「あるを見よ」と言われて、素直に実践できる方はそれでOK。

その一方で、「そんなこと言われても……」と抵抗がある方は、見方のほうをいきなり変えようとするのではなくて、「小さな不満を一つひとつ潰していく」ほうが有効なのではないかと、私は思います。

無理やり良い面に注目すると、同時に「いやでも、ここはイマイチだった」と欠けているものが結構な圧力で浮き上がってしまいますものね。

そしてまた「あー、いいところに目を向けようとしたのに、悪いことが見えてしまった!」と自分を責めることになる。
せっかく幸せになろうとしているのに、自分を批判して辛くなったら意味がありませんよね。

小さな不満をつぶす(※)ことは、たとえ小さくても、爽快感や達成感や納得感があるので、やり続けるうちに快適な生き方に近づいていくと私は思っています。

(※)ただし、「●●さんに行動を改めてほしい」など、他人を動かす系のことはできませんので、あくまで自分ができることに関して、です。

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おわりに

「若い頃の私にこの文章を読ませたかった!」と思いましたが、実際のところは「読んだけどスルーしていた」んですよね(汗)本書を最初に読んだのは20代でしたから。

まあ、情報量が多すぎて、読みこなせていなかったというか……その前段階でつまずいていたという感じでしょうか。機能不全家族であること自体気づいていませんでしたから。

本って、読むときの心境や年齢などによって、感じ方が変わるので、本当におもしろいなと思いました。

 

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