AC回復のきろく

親の呪いを解いて自分の人生を生きる

ブログ整備中につき、一時的に非表示にしている記事がございます。少しずつ再更新してまいりますので、またご訪問いただけますと幸いです

もらいうつを防ぐ考え方➁ - 相手に「何かしてあげる」のは「本当に自分がやりたいこと」なのかを明確に

もらいうつを防ぐために大事なポイント
適切な距離をとること
・相手にしていることは、自分がやりたいことなのか?

本記事では、二つ目のポイントについて、自分の体験をふまえつつ、考えていきます。

 

イヤだと思いながら何かをするのは相手の首をしめる

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身近に悩んでいる人や、落ち込んでいる人がいると、心配ですよね。

その人と一緒にいない時間でも「まだ落ち込んでるかもな」「大丈夫かな」と思って、連絡してみたり、ということはよくあると思います。

このとき、「自分が連絡したいから連絡する」というのなら全然OK。
相手からしても、「気にかけてくれている人がいるのだ」と勇気づけられるかもしません。

しかし、「あー、あの人まだ落ち込んでるんだろうな……めんどくさいな……でも、自分しか助けてあげられる人いないから、連絡すべきだよな」というような気持ちがある場合は、何もしないほうがいいです。

「あの人のために」と思いながら、(でも、あの人、嫌い)と思っていると思っているときは、相手の首を絞めているときがあります。成長しないように足かせをしているようなところがあるのです。ですから、物理的に距離を取ることが必要なのです。

玉川真理『イヤな気分をパッと手放す「自分思考」のすすめ』誠文堂信光社(2017)P.187 

 

思いのほか、こちらの気持ちって、相手に伝わるんですよね。

特に、心のどこかで「イヤだ」とか「めんどう」と思っていると、それ自体がストレスなわけですから、気をつけているつもりでも、ふとした瞬間に言動に表れてしまいます。
うっかり、攻撃的な口調になってしまったり、無意識のうちに表情がゆがんでしまったり。

しかも、うつの人は、普段以上にネガティブな言葉や態度に反応するように脳が変わってしまっていますから、なおさら伝わるんです。

かくいう私自身も、かつてうつ状態になったことがあるのですが、(うわー、明らかにこの人、私のこと面倒くさがっているな)というのはビシビシ伝わってきましたし、今でも辛い記憶として残っていますものね。

もちろん、不機嫌をまき散らしてしまっていた当時の私に問題があったのですが、うつのときって冷静に考えられませんので、当時はただただ「嫌がられてるんだ……」とそこだけを過大に捉え、傷ついてしまっていましたね。

うつの人に対して「面倒くさい」とか「抱えきれない」と思うこと自体は、まあある意味、仕方ないと思うのですよ。
それぞれの性格もありますし、「こちらにも余裕がない」ということだって多々ありますものね(こういう記事を書いている私こそ、いつも自分のことで精一杯な人間です……ごめんなさい)。

悩んでいる人に対して「自分には対応しきれない」「めんどくさい」「イヤだ」などと思うのだったら、冷たいようでも、何もしないほうが相手の傷を深くしなくて済む、ということなのだろうと思います。

あるいは、「ここまでは手を貸してあげられる、でもこの先までは自分がいっぱいになるのでできない」と線引きをしておく。

まあ、線引きするのも、冷たいような気がして、気が引けてしまうのですけどね。

でも、「冷たいような気がする」から、と自分の本心を無視して「何かをしてあげて」いると、双方にとって最悪の結果になる、という実体験をご紹介します。


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イヤだと思いつつ、「何かをしてあげる」を繰り返した結果(体験談)

「うつ」とはちょっと違うのですが、私の母は、とにかく依存体質で、「〇〇してくれ」系の要求が過剰な人でした。

・〇〇がない、探してくれ
・やり方がわからないからやってくれ
・明日(母が)どの服を着たらいいか決めてくれ

などと、とにかくすべて私を使って解決しようとするんですよ。

健全な人なら「いやいや、いい大人が何言ってんの」と一蹴できることなのだと思うんですが……私の場合は、子供のころに「お母さんの言うこと聞かないなら捨てる」と脅されていたために、自動的に迎合してしまうクセがついていたんですね。

自動的に従ってしまうとはいえ、すごく面倒&嫌だったんです。
でも、言う通りにしないと、「満たされるまで騒ぎ続ける」ので、うるさくて、現実的に日常がまわらなかったんです。
「(口には出せないけれど)この人ちょっと能力的に足りないところがあるな……」という実感もあり(中1くらいで母の精神年齢を完全に上回ってしまったことに気づいた)、同情心もあったかもしれません。

だから「あー面倒くさい!」とか「イヤだなあ」と思いつつ、「そうは言っても、親なのだから」とか「能力的に足りない人なのだからフォローしてあげなければ」と母の要望にこたえてしまっていたわけです。

しかし、「イヤだと思いつつも、何かしてあげる」という行為が何十年も積もりに積もった結果。

「あいつ、まじ無理!!!!!」
「もう二度と、会いたくない!!!!!」


と思うほど母のことが嫌いになってしまいました(他にも様々な事情があってのことですが、「イヤだ」と思いつつも物理的距離をとれなかったのが一因であることは間違いないです)。

私のケースは極端かもしれませんが、「嫌だな」と思いながら相手のために何かをする、というのは至極危険なことだと、改めて思い直しました。

おわりに

困っている相手のために「何かしてあげたい」と思うことは素晴らしいことだと思います。

ただし、あくまで「自分がしたくてしているのかどうか」には気をつけてください。

もし「イヤだけどでも〇〇だからすべき」など、「べき」と思ったのなら、それは危険な領域に片足を突っ込んでいるかもしれません。

「イヤだけど」でやり続けると、いつか自分が爆発してしまいます。
それは相手にとっても、決して良い結果ではありません。

参考文献

イヤな気分をパッと手放す「自分思考」のすすめ: 他人にも感情にも振り回されない方法


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