30歳くらいまでのことを振り返ってみると、「離れたくても離れられない人」に随分と悩まされてきた気がします。
まずは身内。
「嫌だな」「合わないな」と思っても「いやいや、一応は育ててもらったのだから感謝しなくちゃ」とか「血がつながっているのだから」とか考えてしまって、距離をとるのはなかなか難しかったです。
それ以外だと、どうにも苦手なクラスメイトとか。
気が合わないならとっとと距離を置けばいいのですけど、出席番号が近いと実験などで同じグループになってしまうんですよね。
「気まずいまま何時間も実験するなんてきつい」と思ってしまった私は、我慢しつつ相手に合わせ、しかし次第に我慢しきれなくなり「もうこの人と関わるの無理!!」となってしまったことがあります。
相手にしてみれば、それまで仲良くしていたつもりだったのだから、ショックだったでしょう、壮絶な嫌がらせを仕掛けてくるようになりました。
また、会社など、組織に所属していれば、上司や同僚も選べませんよね。
ものすごく苦手な同僚でも、入社年度が同じだと「同期」と一括りにされ、「円満な関係を築かねばならない」的雰囲気が漂ったりします。
こういった「苦手な人ともそれなりにうまく付き合わねばならない」問題。
対処しきれず、いつも悩んでいました。
私の場合は、最初は相手に合わせるのだけど、最終的には抱えきれなくなって、「徹底的に距離を取る」みたいな、強硬手段に出てしまうのが悩みでした。
ゼロか百か、になってしまっていたんですよね。
適切な距離の取り方を知っておけば「徹底的に距離をとる」までいかずに済みますし、お互いにダメージが少ないですはず。
というわけで、本書を読んでみました。
石原加受子『離れたくても離れられない人との距離の取り方』すばる舎(2012)Kindle版
どんな本?
著者は「自分中心心理学(※)」でおなじみの石原加受子さん。
(※)やりたい放題の自己チュー、という意味ではなくて、「自分の感情を基準に選択・決断する」という考え方。
人間関係における、さまざまな場面・状況での問題は
「距離感覚(間隔)」が不適切
としています。
なお、距離感覚とは、
「自分と相手」との距離の間隔を〈感覚〉として感じる、そんなセンサーを、私は「距離感覚」と呼んでいます。
石原加受子『離れたくても離れられない人との距離の取り方』すばる舎(2012)Kindle版位置No.57
初対面の人であっても、「なんか合わないな」とか「息苦しい」「ぎくしゃくする」と感じること、ありますよね。
仮に、第一印象が良くても、少し話してみると「あれ?? なんか調子狂う……」ということもけっこうあります。
そのようにして、自分が感じた「感覚」は、結構的確なものなのだそうです。
しかしながら、つい、感覚や感情を信じられず、「みんな仲良く」「円満にしなきゃ」などの思考が前面に出てきてしまいます。
頭で考えるタイプの人ほどそうですよね。
違和感を感じているのに、相手に近づいていく。
それこそが、トラブルに発展するもと、なのだそうです。
自分で感じた「距離感覚」を信じてOK、ということを伝えてくれる本です。
心理的な距離が近いから、つらい
好きでも嫌いでも、「相手のことで頭がいっぱい」という状態は、「心理的に近づきすぎている」のだそう。
心理的に距離が近い、とはどういうことかというと。
たとえば相手が親である場合、
「親から目線」で自分のことを見て、「親が心配するから。親が可哀想だから。親に迷惑かけたくないから。親が怒るから。親が喜ぶから」
もしもあなたが、知らず知らずのうちに、こんな「親から目線」で思考しているとしたら、あなたは「距離間隔」を飛び越えて、相手と境界線もないほどに〈合体〉しています。
石原加受子『離れたくても離れられない人との距離の取り方』すばる舎(2012)Kindle版位置No.575
まさしく私がやっていたのはコレ。
親の目線で「どう思うか」を基準に何事も選択・決定していました。
ぐいぐい近づいてくる親から逃れられず、取り込まれてしまっていたんですね。
友人知人の場合であっても、
「誘いを断ったら相手が傷つくかな」
「相手に合わせないと、気分を害するかな」
が先走ってしまい、相手目線で「どう思うか」を優先していました。
一見、思いやりがあるとか、気遣いができるように捉えられるかもしれません。
ですが、そのうち我慢の限界がきて、「もう無理!!」となってしまうので、決して良い判断とは言えなさそうです。
(本心から相手に合わせたいのであれば問題なし)
そもそも、相手が「無理して合わせてくれ」と望んでいるとは限りらないんですよね。
まあ、支配的なタイプの人も結構いますけれども。
では、心理的に相手と距離をとるにはどうしたらいいのでしょうか。
相手を変えようとするのは無理がありますので、
あなたから、あなたがラクでいられる距離まで、動くのが正解です。
石原加受子『離れたくても離れられない人との距離の取り方』すばる舎(2012)Kindle版位置No.245
距離感覚を磨くには
~ねばならないを外す
そうはいっても、感覚がマヒして、「自分の感情自体がよくわからない」「ラクでいられる距離がわからない」というケースもあると思います。
距離をとることで孤独に陥るのではないか、などの恐怖心もありますしね。
私自身も、そういう時期がありました。
当時を思い出してみると「~しなければならない」に支配されていました。
感じることを完全に無視し、思考(~しなければならない)を圧倒的に優先していたんですよね。
この「~しなければならない」に従っていれば、理論的には正しいような気がしていたんです。
でも実は、「~しなければならない」で動いたとしても、感情レベルでは納得していない、と著者は言います。
納得していないと、徐々にやりたくなくなってくるそうです。
あるいは、相手にに対し、どこかで仕返しをしたくなったりします。
たとえば、相手の愚痴を聞いている場面。
最初はふむふむと聞けていても、次第にしんどくなってくること、ありますよね。
「でも、相手も大変なのだし、聞いてあげねばならない」
と聞き続けていると、げっそりしてきます。
そういう機会がさらに何度か続くと、「相手からの着信があるだけでうんざりする」ようになる。
それでもまだ我慢して付き合っていると、
「でもさ、あなたのやり方も問題あったんじゃない!?」
などと批判的なことを言ってしまったりしますよね(無意識のうちに仕返ししている)。
結果、何時間も話を聞いたにも関わらず、相手からしてみれば「批判された」が残ってしまい、感謝すらされないという悲劇。
本来ならば、しんどくなってきた時点で、終わらせられればよかったんです。
直接「もうやめて」とまで言うのは難しくても、「興味が薄れたなら薄れたままで反応する」「疲れたなら疲れたままで反応する」で良いそうです(それも結構難しいですが)。
でもそれ以前に、「聞いてあげなければ」が邪魔してできなかったんですよね。
つまり、「~ねばならない」からまずは解放されることが大事。
思考(しなければ)でなく、感情(したいかどうか)で判断する。
「私がしたいかどうか」がすべての基準
石原加受子『離れたくても離れられない人との距離の取り方』すばる舎(2012)Kindle版位置No.447
なお、断ることは決して相手にとって悪いことでもなく、断ることで「相手を見捨てずに育てる」という面もあるそうです(愚痴を断ることで、相手は「自分がなんとなせねばならない問題なのだ」と認識するから)。
私もまさに「断れない→鬱憤がたまって→相手を見捨ててしまう」のパターンに陥ってきました。
今後は
「私、我慢すると後で爆発するタイプだから、本心を伝えさせてもらうね」
くらいのことが言えるようになるといいなあ、と思いました。
勇気がいりますが……。
その他よかったところ
一旦、安全地帯に避難
本書では、いろんなケースに対する、具体的な対処法が記載されていますが、特に私にとって使えそうなのが「いったん中断(争わない)方式」。
相手に自分の気持ちを表現する、とはいえ、聞く耳が皆無の人もいますよね。
こちらが話を始めれば腹を立てて怒鳴るとか叫ぶとか(私の母がそうでした)。
怒鳴られたり叫ばれるともう、「伝えよう」という気持ちなんて消え去ってしまいますし、気分は悪いし、絶望感で一杯になります。
でも、「どうせ言ってもムダ、事態が悪化するだけ」とあきらめると、ますます相手のいいように扱われ、負のループに入るんですよね。
だからこそ、「あきらめる」のではなく、継続的にはたらきかける。
「うるさいんだよ、君は。その話は、もう、この前終わったことじゃないか」
「そうか。わかった。君と言い争いをするつもりはないから、また、後日に話し合いたいと思う」
石原加受子『離れたくても離れられない人との距離の取り方』すばる舎(2012)Kindle版位置No.944
自分が「そろそろ潮時だ」と思ったら、一旦避難して良い、ということ。
このやり方が、すべての人に通じるかはわかりませんが、怒鳴る系の人のうち何人かには効くかもしれないなあ、と思いました。
おわりに
いろんな場面でどう対処するか、が具体的に書かれているところがよかったです。
相手に合わせるって、一見良いことのように感じたりもしますが、心から納得していないと、結局破綻するんですよね。
「合わせろ」というメッセージを(言葉でなく態度で)発してくる人って、「それが人として正しいから」みたいなことを堂々と言ってきますが、要するに「(その人にとって)都合がいいから」に過ぎないんですよね。
気をつけよう。
相手の思惑に左右されないためにも、「自分はこう思う」という感情を常に意識しておきたい、と思いました。