子どもの頃、「どうしてお母さんはこんなにも私のことを否定してくるのだろう」と不思議でなりませんでした。
たとえば私が「~をやりたい」と主張しても、とにかく「全部ダメ」のスタンス。
危険が伴うようなことなら納得がいきますが、今思い返してみても、とりあえず「ダメ」としか言わないシステム。
どんなに私が反論しようとも、それ以上の圧力で超絶否定してくる。
あれは本当に悲しかった。
その度にこう思っていました。
「(最終的に許されないのだとしても)なるほど、あなたはそう思っているんだね」と、ワンクッションはさんでくれたらいいのに、と。
一文字たりとも私のことを受け止める気がないんだな、この人は、と。
母自身の性格・性質以外にも、時代、社会的原因があったのだな、と「苦しい親子関係」から抜け出す方法―――もう我慢も罪悪感もいらない!を読んで学ぶこともあったので、記事にしていきます。
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家族のなかでも「世代間ギャップ」はあって当然だが、それを親は理解できない
私の母は、戦時中の生まれでした。
しかも高齢出産だったので、私とは40年近くの世代ギャップがありました。
私自身がこれまで生きてきた40年ちょっとを振り返ってみても、「世の中はずいぶんと様変わりしたなあ」と思います。とくにここ10年くらいで一気に変わった感じがします。
つまり、親子って、そもそも育ってきた環境と、それにともなう価値観が全く異なるものなんですよね。
にもかかわらず親は、こうした世代間のギャップを考慮せず、自分の視点から「自分は正しい」と思い込んでいます。自分が育った社会環境と家庭環境を基準にすれば、自分が正しいでしょう。確かに自分が身につけ体験したことが基準ですから、親の目には、子どもが間違っているように映ります。
その最も悪しきパターンが「子は親に従うべき」という意識構造ではないでしょうか。
石原加受子『「苦しい親子関係」から抜け出す方法』
これですよね。
母や親戚に対し、「なんでそんなに古い価値観に従って生きているんだろう?」と思っていましたが、狭い世界にいると、なかなかバージョンアップできないものなんですよね。
一方で、子どものほうにも同じことが言える。
子の育った環境からすれば「自分が正しい」わけで。
結果、お互いに「そっちが間違っている」と思うので、平行線になってしまうわけです。
そう、問題の本質としてはお互いに「そっちが間違っている」と思ってしまうこと(=他責思考自体が問題)。
とはいえ、子どものうちは、親のほうが知恵や経験、権力もあるのだから、「なるほど、あなたはそう思っているのね」と言ってくれればそれで済む話だとは思うのですけれどもね。
なぜ「そっちが間違ってる!」の他責思考になるのか

私の親の世代(現在70~80代)は、まだまだ社会に未熟なところがありました。
わかりやすい例でいえば男尊女卑などでしょうか。
権力主義のようなところもありましたよね。
「会社の命令は絶対」のようなところがあり、男性は社会で我慢していました。
そのストレスを、家で奧さんに当たることも多かった(家庭内暴力とか、ふつうにありましたもんね、昭和は)。
そして女性は家庭内で我慢を強いられていました(お姑さんも、自分がやられてきたことを繰り返してお嫁さんをいじめるとかもありましたよね)。
「他人様」という言葉があるように、かつては他者を優先して、自分に我慢を強いることでうまくやろうとしたり、優位な立場の人に黙って従って恩恵に与かる「他者中心」の生き方が主流でした。
石原加受子『「苦しい親子関係」から抜け出す方法』
まあつまり、社会構造が未熟で、みんなが「我慢」していたんですよね。
で、その不平不満が最終的にいきつくのは、家庭内でいちばん弱い「子ども」。
母親が我慢しているからこそ
「お母さんばっかり犠牲になってこんなにあんたにしてやっているのに」
といった、恩着せがましい言い方になってしまうわけですね。
「そうなんだ」と言ったら最後、と思っている
社会の上下関係に慣れてしまっている親は、意識そのものが、他者に依存しています。そのために、物事について「自分の意志」を持って決めることができません。
特に母親は、相手の同意や許可なしに行動することができません。反対に、自分が「はい、そうですね」と同意の言葉を言ったが最後、相手に従わねばならないと思ってしまいます。
石原加受子『「苦しい親子関係」から抜け出す方法』
なるほど。
「そうですね」「そうなんだね」と相槌を打ったら、それはもう従わねばならない、だからこそまず否定から入るんですね……。
たしかに父もこのタイプで、まずは一旦否定してきますね…。
でも父はまだ、聞いてくれる余地があるというか、何度も言い続ければ一応は理解してくれる部分があったので、まだマシだったのですが。
母は「とにかくダメといったらダメ」の一点張りで、なぜダメなのか理由さえも教えてもらえない。それが悲しいし、納得できませんでしたが……。
母自身も「ダメといったらダメ」で育ってきたのでしょうから、そのままやってしまったのでしょう。
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まとめ
親が育ってきた社会、教育、家族環境は、その根本が、自分のことよりも、他者に”合わせなければならない。従わなければならない”という意識に縛られています。
「そうなんだ」と相槌一つすら満足に打てないのは、うっかり「同意してしまう」と、自分の意に反して相手に従わなければならないと思っているからです。
それを恐れて、「そうなのね。そうなんだ」などという同意の言葉を頑なに言おうとしないのです。
すべての親が多かれ少なかれ、そのような環境の中で育っているので、子どもを受け入れることができないでいるのです。
石原加受子『「苦しい親子関係」から抜け出す方法』
こう言ってしまうと悲しいですが、親は、親自身を守っているのですよね。
子どもよりも、親自身が大事だったんですよね。
それだけ社会に弱肉強食的な面があり、大変だったのでしょうけど。
かつては、「そんなにも私のことを否定したいのか」と傷ついてきましたが、親にしてみれば悪気なくナチュラルにやってしまっていた部分もあったかのかもしれません。
だからといって、私の心の傷がなくなるわけではないけれど、ほんの少しだけ「まあ、しかたない面もあるのか…時代が大変だったんだな」と思えるような、思えないような。
すぐに否定から入るという、”親のクセ”を、私も知らないうちに身につけてしまっていたと思う(とくに若い頃)ので、そこは発露させないように、とにかく気をつけようと思っています。
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