足かせは外すことにした

親の呪いを解いて自分の人生を生きる

子どもがほしくない理由を改めて考えてみた➁

以前の記事で、下重氏の『わたしが子どもを持たない理由』を読み、私自身の事情を改めて見つめ直しました。
>>>子どもがほしくない理由を改めて考えてみた① |感想『わたしが子どもをもたない理由』


本を読むうち、自分自身でも考えることが別途あったので、本記事ではそれについて書いていきます。


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子どもがほしくない理由 つづき

切れない縁をわざわざ作りたくない(個人的意見)

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子どもの頃から、「親とは縁を切れない」ということに絶望していました。
特に未成年のうちは、経済力もないですし、できることといったら「家出」くらいでしょうか。

私は「良い子」として生きていたので「家出」をする勇気もなく、また家出しても母に力技で引きずり戻され、親戚を巻き込んださらし刑にかけられることがわかっていたので、ただひたすら悶々としていました。

成人した今でさえ、法的にいえば、親と縁を切ることはできないのです(物理的な距離を置けば実質的に疎遠にすることは可能ですが)。

「縁を切れない」という状態に苦しみすぎたためか、今となっては「切れない縁をわざわざ作りたくない」という考えになってしまいました。

相手が親ならまだ、実質的に疎遠にすることは可能ですが、自分の子となるとどうでしょう。

育てる義務がありますから、万が一、縁を切りたくなっても、まず切ることはできません。

離れられるとしたら、それこそ虐待をしたときなどに限るわけです。


誰かと「縁を切りたい」と思いながら生き続けるなんて、苦しみ以外の何ものでもないですし、相手(子)にも失礼だと思うのです。

他者から寄せられる指摘に対して思うこと(個人的意見)

産んでみたら変わる?

「産んでみたら自分の子はかわいいよ」という意見もあるかとは思います。

よく耳にしますから、そういう面もきっとあるのでしょう。

ですが、それはあくまでその方の感想であって、私がそう思うかどうかは不明だなあ、とも思います。


私の場合、もし我が子に母の面影を見い出してしまったら(目鼻口などのパーツ、体型、声、気質……あらゆるところで)、と想像すると、ゾッとしてしまうのです。

母の面影を自分の子から見つける度に、母のことを思い出して「うわっ」となるでしょう(少なくとも母のことを許せない間は)。

「うわっ」となったことを隠すのに必死になるでしょうし、子どもが憎らしく見えて冷たくあたってしまう可能性も高い。

だから「やっぱり子供は持てないな…」と思います。

全ては現時点における想像ですから、的を射ているとも言い切れませんが…。

老後問題(個人的意見)

「子供いなかったら老後どうするの? さみしいよ」とおっしゃる方もいます。
そういう意見があるのもよくわかります。孤独な人の方が寿命が短いなんてこともよく聞きますしね。

ただ、母と距離を置いた身としては、子どもがいたからって何かしてもらえるとは限らない、孤独でないとは限らない、ということを私自身がよく知っているのですよね。

それに、「こんだけしてやったんだから、将来面倒見てよね」という圧力は本当に本当に苦痛でした。

どこまで私の人生を邪魔する気なのだ(母を邪魔してくる存在だと思ってしまっている時点で健全な関係が築けていないわけですが)と。

だから、誰かにそんな思いをさせたくないです。

よって、なるべく他人様に迷惑をかけないように生きるのみです。
そのために体調管理や貯金はきちんとしておかねば、とは思います。

また、信頼できる友人に、頃合いを見計らって、「実は私、子どもが欲しいと思えなくて……」と打ち明けるようにしています(※)。

(※)ただし、誰に打ち明けるかは、大変慎重になる必要があります。お互いの育った環境をなんとなく知っているような、付き合いの長い独身の友人か、「(不妊というわけでなく)子を持たない選択をしたっぽいな」という友人夫婦に打ち明けています。

同じ考えの人がいるとわかると、気分がグッと楽になりますよね。
「将来、どうする~?」「うちらが老人になる頃には介護ロボットが発達していることを期待しよう」などと話すことができて、「やみくもに悩むのではなくて、備えるところは備えて、あとは健康を心がけよう!」と少し前向きになれます。

いい関係をこの先も保てれば、老後も茶飲み友達として孤独を分かち合える可能性も高いですしね。


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おわりに

「子どもを持ちたいと思えない」と表明すると、他者からかけられるこの言葉たち

・「産んでみたら自分の子はかわいいはず」
・「老後どうするの?」
・「親にされてイヤだったことがわかってるならそうしなければいいだけ」
・「配偶者次第では?」

どれも、きっと「真実」な部分もあるのだろうと思います。
また、悪気なく言っている、むしろこちらを励ますつもりで言ってくれていることもあるでしょう。

かつてはいちいち傷ついてしまっていました。
それはきっと「こども云々」というよりは、「私の気持ち、わかってもらえないんだな」という小さな絶望だったのでしょう(親に「わかってもらえなかった」ことによる傷が刺激されている)。

今となっては、「そりゃ、人それぞれ立場が違うんだもの、わかることもわからないこともあるよねー」と思えるようになってきました。

そのように思えると、「子供がほしくないなんておかしい」「女として失格」などと言われても「ま、そう思う人もいるよねー」と本心から思えます。
「そりゃー私だって、子供ほしいと思える人間になりたかったんだけどねー」と本心から言えます。

そうしてケロっとしていると、言うほうも「こりゃ言うてもダメだ」という感じで言ってこなくなりますね。

「自分を受け止める」ということができるようになってきたのだと思います
まあでも、ここまでくるのに時間はかかりましたね……。
年齢的に「産むこと」を期待されなくなってきた、というのも大きいかもしれませんね。

「子を持ちたいと思えない自分」を受け入れると、外で見かける子連れのお母さんなどに「大変な仕事をしてくれているんだな」と感謝の念すら湧いてくるようになりました。

何事も「自分で自分を受け入れられるかどうか」で苦しさが変わってくるんでしょうね。
まあその、「自分で自分を受け入れる」のが、育った環境によってはとても難しかったりするのですけど。

いま、「子どもが欲しくない自分はおかしいのではないか」と悩んでいる方、「自分だけは自分の味方でいていい」のですよ。


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