ししもとの読書ノート

生きづらさの軽減をめざして

誰かに出逢うことは、生きることの意味の一つかもしれない |感想『きみは赤ちゃん』川上未映子

異なる立場の人が書いた本も読んでみた

前の記事で『子どもをもたない理由』という本を紹介&私自身も子供をもたないであろう人間であることも書きました。

 

 
自分の考えを整理してクリアになったところで、「そういえば、子どもを持たなかった人が書いた本は結構読んできたけれど、産んだ人の本は読んでこなかったな」と思いました(まあ、産む気がないので当然かもしれませんが)。


自分の考えと同じものだけ読んでいる、というのも、何かを考えるということにおいては、フェアじゃないのかもしれない、と思ったのと、単純な興味として、妊娠出産がどういうものか知っておいてもいいかということもあり、こちらの本を手にとりました。

 
川上未映子『きみは赤ちゃん』文藝春秋(2014)

 

きみは赤ちゃん

きみは赤ちゃん

 

 

 

小説家、川上未映子さんのエッセイ。
(ちょっと話逸れますが、メディアなどで川上さんのお姿を拝見すると、ずっと変わらず若くてきれいでびっくりします)

子を持つ気がない自分には、特に響くところもなかろうと思って気軽に流し読みしていましたし、「子どもほしい」に気持ちが変わるなんてこともなかったのですが……。

それでも、妊娠出産の壮絶さには驚かされましたし、それ以外にもハッとなったところがあったりして、記事にして残しておくことにしました。

生きることの意味

小説家の性でしょうか、川上さんは人一倍繊細な感性をお持ちのようで、人生の意味とか、そういうことを子供の頃から考えてこられたようです。

人生は悲しくてつらいことのほうが多いのだもの。だったら。生まれてこなければいいのじゃないだろうか。生まれなければ、なにもかもが、そもそも生まれようもないのだもの。そんなふうに子どもの頃から思ってきた。

引用元:
川上未映子『きみは赤ちゃん』文芸春秋(2014)p.155

 

しかし、息子さんを産んだ後、息子さんを抱き、見つめながらこう思ったのだそう。

きみに会うことができて、本当にうれしい。自分が生まれてきたことに意味なんてないし、いらないけれど、でもわたしはきみに会うために生まれてきたんじゃないかと思うくらいに、きみに会えて本当にうれしい。

引用元:
川上未映子『きみは赤ちゃん』文芸春秋(2014)p.155

 

こうしてたった一部を引用すると細かいニュアンスなどは伝わらないかもしれませんが、なんかもうこのページは素晴らしかった(文章がうまいというのもあって)。


私もずっと生きることの意味を問うてきて、意味なんてないと思ったり、楽しむことだと思ってみたり、いろんな考えを行ったり来たりしてきたもので、この川上さんのいう「きみに会うために生まれてきたんじゃないかと思うくらい…」は「なぜ生きるのか」に対する一つの答えなのかもしれない。


だからといって、私が子をもつ気になるわけもないのですが、ずっと疑問だったことの答えの一つがわかった(かもしれない)ことはうれしいような気がします。


自分の子とか、血のつながった人とかでなくても、「この人に会うために生まれてきた」と思える人(性別年齢問わず)と逢うことができたら、人生に対する無意味感みたいなものが和らぐのかもしれないな、と思ったのでした。


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なぜ母親は子を自分のもの、と思ってしまいやすいのか

もう一つ、勝手に納得したことがあって。
なぜ母親は、子を自分のものと思ってしまいやすいのか、についてです。

私自身、母からの干渉やコントロールにものすごく悩んできましたし、世の中的にも「毒親」など、そういう話をよく聞くようになりました。

干渉された側としては「それがいかに辛いか、どうしてわからないのだろう」と何度も思ったものです。


しかし、川上さんの観察力と文章力によって、「とりわけ産前産後は子どもの成長と母体の変化が連動しまくっている」ということがものすごくリアルに伝わってきました。

子どもの成長によって自分の身体と心が変化する、それも自動的に、否が応でも。
産前産後は常に連動している母と子。

感覚的に、子は自分の一部だと思ってしまう人がいるのも無理はないのだろうな、と思いました(お腹にいる間は、わかりやすく「一部」ですしね)。

(※ 本を読む限り、川上さんは決して子を自分のものと思うタイプではなく、自分の都合と自分の決心だけで生んだ、と冷静に線引きされています。将来子どもに「なんで産んだの?」と聞かれたら「私が会いたかったから」と言って謝る、とのこと。清々しい。
「産んでやったのよ」と言われると「頼んでない」と言い返したくなりますが、「お母さんがあなたに会いたかったから」と言われたら、子どもからすればこんなに嬉しいことはないですよね。)


子は自分の一部という感覚は、一時的には仕方のないものなのかもしれない。

ただし、どこかの段階で、自分と子は別の人間である、ということを冷静に考え直す必要があるのでしょう。

子が小さいうちでは無理だったなら、思春期とか反抗期とか、子が自立しようとしている機会などに。

私の母は、とにかく考えることが苦手な人だったので、いつまで経っても「母=子」モードを解除できず、結果関係がこじれ、こちら側から無理にでも離れざるを得ない状況になってしまいました。

私のことを所有物だと思っていた母のことを、なんと愚かなのだろうと思ってきましたし、今も思っていますが、仕方ない部分もあるのだろう、と少しだけ思うようになりました。


おわりに

自分には全く関係のなさそうな本、であっても、いや、だからこそ、新しい考え方があったりして、新鮮でした。

それにしても川上さん、読ませるなー(プロ中のプロなので当然ですが)。
文庫版もあります。

 

文春文庫『きみは赤ちゃん』川上未映子 | 文庫 - 文藝春秋BOOKS