「すぐ感情的になる人」というか、「すぐ怒り狂う人」「理不尽にキレる人」が苦手でたまりません(まあ、得意な人はいないか……)。
怒りを向けられると、脳が壊されそうな危機感みたいなものを感じるんです。
自分に向けられた怒りでなくても、理不尽なクレームを言っている人を見かけると「うわあ……」と引いてしまいます。
その後何時間も嫌な気分を引きずってしまう。
感情的になる人にも、何か事情があるんだろう、というのは理解しているつもりだけれど。
でも、いざ感情的になる人に遭遇すると、かなり動揺してしまう。
少しでも心を平穏に保ちたい、と思い、こちらの本を読みました。
長住哲雄『すぐ感情的になる人から傷つけられない本――身に迫る「困った感情」の毒から自分を守る』こう書房(2016)Kindle版
どんな本?
感情をうまくコントロールできない人というのは確かに存在しますよね。
そういう人たちの感情にどう向き合うか、傷つけられないようにするにはどうしたらいいか、ということが書かれた本です。
「感情をコントロールできない人」をどうにかしようというのではなく、こちらの「防御態勢」を整えよう、といったスタンスかなと思います。
読書メモ
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感想
怒りの「素」は恐怖
生理的な反応である「情動」(汗が出る、心臓がどきどきするなど)がまず生じるのですが、それが形を変えて表に出てきたものが「怒り」となるそうです。
普通は怒りを理性で抑えるものですが、脳のネットワーク不足(シナプス結合が不足)だと、ダイレクトに表出してしまう。
この「怒り」、一見ストレートなものに見えて、実は「ほんとうのところ」は隠蔽されていることが多いそうです。
何が隠されているかというと……「恐怖」。
「怒り」はたいていの場合、「恐怖」に対する「防御反応」です。
位置No.1200
恐怖を感じると、防衛反応をとるので、それが「怒り」となって表出するわけですね。
ここでいう「恐怖」は具体的にいうと、例えば
・肉体的な危害を加えられるんじゃないか
・何か(財産や好きな人)を奪われるんじゃないか
・何か(地位や名誉)を失うんじゃないか
など。
「人の○○に手出しやがって!」とかは、正しさを主張しているようで、実のところは「〇〇を奪われるのが怖い」んですよね。
あるいは先輩などが、後輩にやたらきつく当たったり、「立場をわきまえろ」とか言うのは、「地位を脅かされるのでは」と怖がっているんですよね。
私の母はいつも怒っていたのですけど、たぶん「見捨てられることの恐怖」が強かったんだろうな、と思います。
母自身の身内からちょっとバカにされていたようなふしがあり、劣等感が異常に強かったですし。
だからといって、夫婦喧嘩のたびに怒り狂いながら「あんたっ! お父さんとお母さん、どっちについていくのっ!?」と脅されるのは子供にはずいぶん堪えましたが。
母ほど強烈ではないですが、私自身も多少は身に覚えがありますね……(反省)。
私の場合は「おまえなんか価値ない」と「場(グループ)」から外され「無き者とされる」ことが恐怖でした(自分の存在価値を失うのが怖い)。
だから、グループに新しく入ってきた人がちやほやされていたりすると、「私はもう用なしなのでは」と怖くなって、無意識のうちにその新しく来た人に冷たく当たってしまっていたり(反省)。
新しく入ってきた人は何も悪くないので、本当に申し訳なかったな、と今は思えますが。
このように、自分自身を振り返ってみても、理不尽な行動をとってしまうときって、恐怖が根底にあるんですよね。
だから今後は、怒り狂っている人を見かけて、動揺したとしても(動揺自体は仕方ないとして)、「この人の怒りには何の恐怖が隠れているんだろう」という視点を持ちたいと思います。
強い怒りに触れると思考停止してしまいますが、意識的に考えるようにしたいところです。
で、怒り(恐怖)の正体に見当がついた場合はどうしたらいいのかというと。
もしこちらに非があるのなら、それは謝るしかない。
一方で、その怒っている人の事情によるもの(私憤)であれば、「理解」は示す(「それは大変だったね」等)けれども「同調」はしない、とのこと。
同調すると、変な形で巻き込まれたりしますからね。
詳しく知りたい方、続きは本書をご覧ください。
ねたみへの対策
本書では、「怒り」以外にも「ねたみ」について詳しく書かれています。
妬みにも種類があって、他人に対して、低評価で留まるように働きかける「スポイリング」なる行為が非常に恐ろしい、と感じました。
次の記事で詳しく述べていきます。
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