気持ちの切り替えが遅いことに悩んでいます。
たとえば、親戚から愚痴やお小言の電話がかかってきたときとか。
2~3時間くらい聞かされて疲労困憊(マシンガン系・高圧系の人だと切るタイミングが難しい)。
ここまでは仕方ないとして。
このあと、「さ、元の作業(仕事なり家事なり趣味なり)に戻ろう」と思っても、モヤモヤイライラしてしまって、全然切り替えられないのです。
「私の貴重な時間を、〇時間も奪われてしまった!」
「〇時間あれば、あれもこれもできたのに!」
「貴重な精神的エネルギーまで奪われた! もうやる気しない!」
などなど。
イライラモヤモヤは過去のことにまで飛び火していくことも。
「そもそもあの人、昔から私のこと見下してるよね(怒)」
「私と趣味が違うだけなのに、私のことを「ダサい奴」認定してきたし!」
「勤務先をたいしたことないみたいに言われたし!」
さらに調子が悪いときは、どうにもならないことにまでイライラするように。
「あーあ、なんであんな家に生まれてしまったんだろう」とか(汗)
こんな状態では、ミスの許されない仕事などはとてもできません。
無理にとりかかっても、いつの間にか「さっき、あんなことも言ってた、腹立つわー(怒)」と思い出して、しなくてもいいミスをしてしまいます。
そして「批判的な電話をしてくるのが悪い!!」とますますイライラ。
さらに悪いことには「次はいつ電話してくるんだろう……やだなー」と未来に対して憂鬱になってしまいます。
最近は「お金がもったいないので電話の契約をやめて、すべてメール対応にした」ということにして、電話はこっそり着信拒否にしたのですが、そうすると今度はメールが憂鬱に。
メールだと、電話よりも拘束力がないので、負担は減りましたが……。
それでも、メールはメールで破壊力がある場合があります(こちらの罪悪感を刺激するような写真を添付してくるとか)。
そして、メールを返信せずにいたら、どこからか辿ってきたのか、突如やってくるLINE(ある意味すごい追跡能力)。
たかがLINEでも、メッセージが来ると「ううう……」と気持ちが落ち込んでしまい、夜眠れなかったり、そのせいで翌日にまで影響してしまいます。
しかしながら、他人は変えられないんですよね。
「電話やメールは最低限にしてください」と伝えて、「ああそうか」と理解してくれる相手ばかりではないですし。
結局のところ、変えられるのは自分だけ。
ということで、自分の気持ちの切り替えをうまくやりたい、とここのところずっと思ってきました。
kindleで関連の本を探してみたところ
樺沢紫苑『人生うまくいく人の感情リセット術』三笠書房(2018)Kindle版
があったので、読んでみました。
どんな本?
著者は精神科のお医者さん。
精神医学や心理学で根拠のとれているストレス解消法がたくさん紹介されている本です。
悩みの原因自体を取り除くことは難しいので、ネガティブ感情(後悔・焦り・イライラ)のほうを取り除いたり小さくしよう、というスタンス。
ネガティブ感情、というとぼんやりしていますが、その正体をつきつめると、脳内物質やホルモンの変化なので、そこを調整してやればいい、ということだそうです。
本書の内容に照らすと、「感情リセット術」というタイトルも決して間違いではないのですが、リセットというよりは「ストレスをいかにためない(低減させる)暮らしをするか」というのが全体的な印象でした。
根拠がある手法ということは、つまり広く知られている内容が多いので、全般的に「なんとなく知っている・聞いたことがある」ような印象ではありました。
(私が本を読みすぎているせいもあると思う)
「なんとなく知っている・聞いたことがある」場合でも、実践していないこともたくさんあるので、何か一つでもできそうなことを実践したり、考えてみることには意味があるかなと思います。
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読んで考えたこと
本を読んで「これは知らなった!」とか「こういう考えもあるのか!」とか「これは心がけていきたい!」ということを書き留めるようにしているのですが、本書に関しては「なんとなく知っている・聞いたことがある」内容が多かったので、どのように記事にまとめようかと悩みました。
紹介されている方法でも「過去にさんざんやったけれど、自分には合わなかった」というものもありましたし……。
と思いつつ、こうして記事を書いていると、何かしらの発見はあるものです。
(以下は、私の考えたことがメインとなりますので、本書の内容成分は少ないです。)
いまだに「変えられないものを変えようとしている」ことに気づいた
本記事の冒頭で「親戚からのネガティブな電話・メール」について書いていて、私は相手に「電話してきてほしくない、メールしてほしくない」という要求を持っている、ということを再認識しました。
「他人は変えられない(変えるのは難しい)」と理解している(つもり)にも関わらず、
相手に変わってほしいと思っている、わけです。
解決できない問題や悩みについて、クヨクヨと考えることは、1トンの石を手で動かそうとするようなもの。どれだけ頑張って押しても、絶対に動くことはありません。押せば押すほど、体力と精神力を消耗するだけ。結果として1ミリたりとも動かないのに、心も身体もヘロヘロな状態になります。
樺沢紫苑『人生うまくいく人の感情リセット術』三笠書房(2018)Kindle版 位置No.742
これにつきますね。
私の人生、たぶんずっと、「変えられないものを変えようとしてきた」んだと思います。
でも、変えられないものは変えられないわけですから、「頑張りまくったのに、結果に結びつかずにヘトヘト」になってしまったんだと思います。
具体的に言えば、母との関係もそうです。
母は、「自分のことで精一杯で、そもそも他者を愛する能力がない人」なのに、私は「私が頑張ればお母さんも変わる」と思い込んでしまったんですね。
で、「頑張ったのに愛されなくて絶望」というのを、幼少のうちから幾度となく繰り返して、私はヘトヘトになってしまったんです。
小さな子供に「あなたのお母さんは愛する能力がないから愛されることは諦めなさい」と告げるのは大変酷ではありますし、あるいは、後々自分で気づくのもまた酷ではありますけれども……。
それでも、気づくか気づかないかでいえば、気づいたほうがよさそうな気はします。
間違った方向の努力をしなくて済み、その分のエネルギーを他に使えますからね。
逆に、母は母で「自分(母)の教育によって、娘が(都合のよいように)変わってくれる」と思っていたんでしょうね。
親戚も、そういうスタンスの人が多いので、「そっちが変われ!」と押し付け合って、いつもゴタゴタとしているのだろうと思います。
母や親戚から「(我々の都合の良いように)修正しろ!」と求め続けられてきたために、私自身の生き方も、無意識のうちに「他者に期待する」ようになってしまったのだろうと思います。
もう本当に無意識のうちに、「あの人はこういうところが嫌なんだよなー(できれば修正してほしい)」と思ってしまっていること、多々ありますものね。
自分だって、ダメ出しされたり、ましてや「修正しろ」なんて言われたら超絶イラっとするくせに、他人には(口に出さずとも)やってしまっていたんですね。
自分にゾッとしますし、大反省です。
「合わないな」「嫌だな」と思うこと自体は良いと思うんです。
お互い人間ですから、合う合わないはあります。
「そんなこと思っちゃダメ」と抑圧すると、別の形で噴き出しますし。
「合わない」「苦手」と思った時に「だからそっちが変わってくれ」と一方的に思わないようにしよう、ということ。
(自戒を込めております)
コントロールできるのは自分だけ。
「そういうふうにされると、私は嫌だと感じる」と伝えることはOK。
相手と距離をとるのもOK。
これは自分の采配ですからね。
しかし、「変われ」「修正しろ」とまでいくと、相手に干渉しているわけですから、できるだけやらないようにしたいと思います(法律に触れないことであれば)。
(以下、いったん逸れます)
この点、「しつけ」という行いは、匙加減がとても難しいものだろうな、と思います。
ある意味、「修正しろ」の連続ですものね。
子供時代の私は従順にふるまいつつも、「とにかく言うことを聞け!」「従え!」みたいなのが納得できなかったので、きちんとルールの背景や理屈を説明してほしかった、と今になって思います。
ただ、それは理想かもしれないけど、「とにかく現在なんとかせねば」という場合もあるでしょうし(車道に飛び出す子とか……あれは本当に危ないので、強く言わざるを得ないですしね)。
基本としては、相手の性質を理解・尊重したうえで伝え方を考える、ということに尽きるのだろうと思いますが。
でも、それが超絶難しいのでしょうけど。
できたら虐待などないですよね。
自分の親を見ていても、能力的にどうしようもなかったな、とも思いますしね。
救いなのは、世の中(の人権意識的なもの)は少しずつ良くなっているのではないか、ということです。
私が子供の頃は、体罰とかわりと普通でしたしね。
当時「しつけ」だったことも、今の世なら「虐待」とみなされることも多々ありますし、そういう面では「良くなっている」と思うのです。
無理に結婚・出産しなくてもよい風潮になっていますから、「私はたぶん虐待してしまう」という人は生まない、という選択肢もありますしね。
自分ができることしか、できない
さて、冒頭の件に戻りまして。
「親戚の電話・メールが憂鬱」の件、答えとしては、
「自分がとれる策をとったら、あとはモヤモヤしない」
というところに落ち着きそうです。
まあ、もうLINEをブロックするくらいしか、私に残された手段はないのですが……。
完全に連絡を絶つと、自宅に突撃してきそうで(住所教えていませんが、役所で調べられるので)、それは避けたいので、のらりくらりかわしていけるうちはかわしたいと思います。
でも怖いなー。憂鬱だなー。
ちなみに、この「怖い・憂鬱」は予期不安ですね。
まだ起こってないことを心配する、というアレ。
予期不安についても、本書では触れられていました。
予期不安は、それだけでもかなりのストレスになるらしいので、「無(まだ起こっていない)」からストレスを作り出してしまっているんだそうです。
私は予期不安がとても強いので、気をつけたいな、とは思っているのですが。
でも、子供時代が壮絶だと、予期不安の塊になってしまうのも仕方ないんじゃないか、と自分では思うんですよね。
だって、実際にひどい目に遭ってきたんだもの。
悲劇がリアルに想像できてしまうんだもの。
ただ、当時と大きく違うのは、今は大人である、ということ。
幼児の頃に比べれば、身体も強いし、知恵もついている。
だから、あのころの恐怖をむやみにひきずる必要はないんですよね。
当時は生命にかかわるようなことだったので、とても大きい恐怖として自分の中に残っていますが。
その実体は、今見たら本当は小さいのかもしれないです。
「サーカスの象」的な。
おわりに
本の感想というよりは、私の考えたことがメインの記事になってしまいました。
まあ、これも、読書の形態の1つですよね。
本書を読んで、記事にしなかったら、ここまで考えなかったと思うので。
本書の内容についてはごくごく一部にしか触れていませんが、効果の証明されているストレス解消法が網羅的に載っていますので、一つや二つは試せることがあるのではないでしょうか。
また、実践できなかったとしても「知っている」ことにより「いざというとき、対処できる」と思うとストレス軽減できるそうです。
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