ししもとの読書ノート

生きづらさの軽減をめざして

うつの人にも、うつ予防にも  |感想『イヤな気分をパッと手放す「自分思考」のすすめ』玉川真里

 はじめに

嫌な気分をこねくり回していた過去の私

一旦嫌な気分になると、なかなか抜け出せずにいました。

嫌な気分から脱したほうが楽なのに、つい不快な状況に留まってしまうというか。

今思えば「かわいそうな私」をだれかが助けてくれるのを待っている、心の奥底にはそんな気持ちが潜んでいたような気がします。

「だれか」とは、もとを辿れば親だったのだと思いますが…。

愛情に飢えていました。


当時は本を読む習慣もなく、友達に長々と話すわけにもいかず、嫌な気分は消化されることなく、ずっと私のなかに留まっていました。

解決はほど遠く、ただどろどろした感情に浸かる。

そんな毎日を続けて、十代後半でうつ状態になりました。

死ぬことばかり考える日々でした。


長い時間をかけて自力(と友達のおかげ)で回復しましたが、当時こんな本を読んでいれば、少しは救われたのかもしれません。

玉川真理『イヤな気分をパッと手放す「自分思考」のすすめ』(誠文堂新光社・2017)

 

イヤな気分をパッと手放す「自分思考」のすすめ: 他人にも感情にも振り回されない方法

イヤな気分をパッと手放す「自分思考」のすすめ: 他人にも感情にも振り回されない方法

 

 

 

本の概要

「イヤな気分=イライラ、憂鬱」とし、このイライラ、憂鬱は、他者の存在によって生じるもの、としています。

解決するには、自分思考(※)で生きることが大事なのだ、ということが書かれています。

※なお、自分思考とは

他者からの評価を基準に思考・行動するのではなく、自分がどうしたいかを基準に考えて、選択・行動するということです。

引用元:玉川真理『イヤな気分をパッと手放す「自分思考」のすすめ』誠文社新光堂(2017)p.6


「自分思考」と聞くと、いわゆる「自己中」な感じがして、抵抗のある方も多いかもしれません。

かつての私もそうでした。

世間から後ろ指を指されないように、親の機嫌を損ねないように生きてきたので、自分の気持ちを優先してもよいだなんて!

しかし、他者基準の生き方をし続けると、人生がどこかでどうしようもなく行き詰まることを体感しました(一度では気づけず、二度ほど底を見ました)。

それ以来、心理学などの本を読み漁った結果、「自分はどう感じるのか、どうしたいのか」を基準に選択するのが大事だという結論に達しました。

が、最初はもう、「なんて私は自分勝手なんだ…」と罪悪感が湧いて苦しいこと苦しいこと。

いまだに他者の基準にとらわれることもしょっちゅう。

それでも、ほんの少しずつ、「自分の気持ち」を大事にできるようになってくると、「なーんだ、人生ってそんなに悪くないじゃん」とすら思える日もあるのです。


周りの人の気持ちも確かに大事だけれど、自分の気持ちも大事です!

自分の本当の気持ちは、自分にしかわからないのですから。

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よかったところとその感想

本書では、イヤな気分を手放す具体的な方法が紹介されています。

その中で、特にいいなと思ったところを引用します。

ムダなことを追求せよ

イヤな気分が解消できない人への私のおすすめは、今できる「ムダなこと」を追求してみることです。

引用元:玉川真理『イヤな気分をパッと手放す「自分思考」のすすめ』誠文社新光堂(2017)p.21


えっ? イヤな気分なのに、ムダなことを追及?
余計悪化しない? ムダなことやって意味あるの?

とつい思ってしまいますよね(かつての私もそうでした)。

ですが、ムダなことは有意味化してしまうのだそうです、どうしても。

人間は役に立たないことをずっと続けていると、その時間がもったいなくなります。それを意味のあることにしたくなります。なぜなら、人間には「無意味なことを有意味化して自分のプラスにしたい」という発想が必ずあるからです。ですから、無意味なことをやり続けていると、今までとは違った発想が生まれたり、才能が開花することも十分ありえます。

引用元:玉川真理『イヤな気分をパッと手放す「自分思考」のすすめ』誠文社新光堂(2017)p.21
 

 
私はここ数年、読書ノートをつけてきたのですが、「ムダかな」と心のどこかで思っていました。

内容を忘れないため、より深く理解するため、たまに見返すため、といった目的はあるので、ムダじゃないといえばないのですけど、「それにしてもここまできっちりメモする必要はあるんだろうか…」と自問自答を繰り返してきました。

でもやめずにいたら、次第にブログを書きたくなってきて(まさに有意味化しようとしていますね)、やっぱり続けてきてよかった、と今は思っているところです。

無駄なことだから、と適当にやるのではなく、とことん追求すれば、何かしらの形になる、というのはその通りなのだろうな、と思います。


「なぜ」をとことん考える

・なぜこんなにイヤな気分になるのか
・なぜこんなに落ち込んでいるのか
・これは何が原因なのか
・誰との関係でこういうふうになっているのか

引用元:玉川真理『イヤな気分をパッと手放す「自分思考」のすすめ』誠文社新光堂(2017)p.139



頭だけ動かしていると、同じところをループしたりするので、私はノートに書き出しています。

「なぜ」とそれに対する考えを頭の中から取り出して、紙面上で冷静に見返すと(あれ、他にこういう考えもあるよな…)と冷静になれます。

自問自答を繰り返しているうちに(ああ、また同じこと考えてる)となったりもしますが、それも必要なプロセスだと思っています。自分がどこでひっかかっているのか、ということがそのうちわかってきますので。

とはいえ、私自身、「なぜこう思うのか」をとことん考えられるようになったのは三十歳を過ぎてからでした。
若かった頃、とりわけ十代の頃のことを思い返すと、常識とか親の価値観が強固にこびりついていて、そこまで冷静にものを考えることはできなかったです。


だからうつになるのも、ある意味において、仕方のないことなのかもしれません。
人生の底にお腹を打つほどの辛さを味わって初めて、囚われから放たれることもあると思うので。
(いろんなケースがあるので一概には言えませんが。)

私の場合は、「現状でこんなに苦しいのだから、ここで何を選んでもこれ以上苦しいことはあるまい。最低でも現状と同レベルだろう」と思うと、怖いものがなくなり、思い切った決断ができた、という面もありました。

弱さは優しさかもしれない

自分の弱さに気づけたら、他者の痛みに対しても配慮できますよね。

引用元:玉川真理『イヤな気分をパッと手放す「自分思考」のすすめ』誠文社新光堂(2017)p.156

 


かつての私は「ちゃんとしなきゃ」という思いが強くて、自分の弱いところを隠したくて仕方がありませんでした。

でも、弱みを隠すことは、とても労力を使うし、常にダメなところを意識せざるを得ないので、ますます「ちゃんとしなきゃ」が増大していく。

努力である程度克服できることもあるとは思いますが、弱いところ、ダメなところというのはなぜか次々と出てくる。イタチごっこ。

それは人によって感じ方が違うからなのでしょう。


たとえば、「几帳面」という性質があるとして、それはある人にとっては「細かいところはいいからもっとスピード上げてよ」と思うかもしれないし、別の人にとっては「丁寧だし正確でいいな」と思うかもしれない。ある場面では注意され、ある場面では支持される。

だから、弱点だと思っているところ、というのは弱点かもしれないし、弱点ではないかもしれない。

周囲の人や環境、その場で何が求められているか、に依存するのでしょう。

こういった観点の話も本書の「2章 生きづらい人は魅力的な人」で取り上げられていますので本書をご覧ください。


さて、「ちゃんとしなきゃ」派だった私ですが、年齢を重ねて、自分の「至らなさ」を認められるようになってきて、他者にも寛容になりつつあります。

「ちゃんとしなきゃ」オーラ全開のときは、他者の失敗などが許せなかったものです。

「私は失敗しないようにこんなに努力しているのに! この人は努力もせずにぼんやりして!」とか思っていた気がします(反省)。

弱さを認められると、自分にも他人にも寛容になり、イライラしないので、全体的にとても気分が落ち着きます。


長所と短所は表裏一体ですね。

強さには強さのよさがあるし、弱さには弱さの良い面があるのだと思います。


おわりに

タイトルからは「うつ」よりもライトな感じを受けますが、今現在うつ状態にある人にもとても役立つのではないかと思いました。

また、最後の章は、身近にうつの人がいる方向けに書かれていますので、うつの人の気持ちを理解したり、もらいうつを予防するのに助けになるかもしれません。

著者さんは自衛隊に入り、そこでうつも経験して、のちにカウンセラーになったそうです。発達の凸凹があったりで(わかったのは大人になってからだそうですが)、悩んでこられたようなので、対人関係などが苦手な方にも本書は参考になるかもしれません。

イヤな気分がずいぶん長い間続いているという方、解決方法は本の中にあるかもしれません。