幸せのつくりかた研究所 ~親に愛されなかった人のために~

親の呪いを解いて自分の人生を生きる

弱さは優しさかもしれない

 弱点も環境によっては強みとなる

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かつての私は「ちゃんとしなきゃ(=人の期待に応えなくちゃ)」という思いが強くて、自分の弱いところを隠したくて仕方がありませんでした。

たとえば私は「几帳面ゆえ仕事が遅い」タイプ。
人によっては「丁寧でいいね」と言ってもらえるのですが、速さや効率性を重視する人からは「細かいところはいいからもっとスピード上げてよ」と言われてきました。

アルバイト先ではレジ打ちが遅いことを気にしていましたし、学校での実験などもいつも終わるのが最後であることを気にしていました(実際に、そこをあげつらってくる人もいました)。

だからいつも「几帳面を抑えて、速くしなきゃ!!」と焦っていましたね。
でも、「几帳面を抑える」と意識する時点で、そこにある程度のエネルギーを割いているわけなので、逆に時間がかかるんですよね。

そんなふうに、自分の几帳面さを嫌悪していたのですが、仕事を変えたら「なんだ、私は几帳面でいいんだ」と思えるようになりました

というのも、ミスの許されない仕事だと、「几帳面」というのはものすごく重宝されるんですよね。

むしろ、どれだけ几帳面を発揮しても、許される(というか感謝される)のです。

これはけっこうびっくりしました。

自分の弱点だと思っていた「几帳面」は、場所を変えれば「強み」なんですよ。
単に、環境の選び方を間違えていただけ。

速さや臨機応変力や体力を求められる性質の仕事じゃなくて、几帳面さ・細やかさを求められる仕事・環境を選べばよかっただけなんです。

あるいは、速さや効率化が最善という価値観をもっている人と親しくするのではなくて、丁寧であることを「いいね」と言ってくれる人と仲良くなればよかっただけのこと。


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弱さは優しさに変わる

心の(精神的な)弱さも同じことがいえますよね。

 

自分の弱さに気づけたら、他者の痛みに対しても配慮できますよね。「おれにもこんなところがあるんだから、しょうがないよな」と思えますよね。

引用元:玉川真理『イヤな気分をパッと手放す「自分思考」のすすめ』誠文社新光堂(2017)p.156


私はけっこうクヨクヨしてしまう、気にしいなタイプなので、理論派の人からは疎ましがられるのですが、自分と同じように悩んでいる人の気持ちを「わかる」までいかずとも少なくとも「想像はできる」んです。

だから、悩んでいる人に対して「そんなのこうすればいいじゃん、何悩んでんの!?」と正論でぶった切るのではなく、「ああ、こういう気持ちなのかなー」と配慮できる余地があるのかなと思っています。

それって、けっこう意味のあることだと思うのです。

私自身も、悩んでいるときに正論でぶった切られるのはとてもつらかったから。

共感してもらおうとするのは期待過剰だとしても、「悩むこともあるよね」と認めてもらうだけで、ものすごく楽になった記憶がありますから。

自分の弱さを認められると他人にも寛容になれる

「ちゃんとしなきゃ」派だった私も、年齢を重ねて、自分の「至らなさ」を認められるようになってきて、他者にも寛容になりつつあります。

「ちゃんとしなきゃ」オーラ全開のときは、他者の失敗などが許せなかったものです。

「私は失敗しないようにこんなに努力しているのに! この人は努力もせずにぼんやりして!」とか思っていた気がします(反省)。

弱さを認められると、自分にも他人にも寛容になり、イライラしないので、全体的にとても気分が落ち着きます。

おわりに

長所と短所は表裏一体。
強さには強さのよさがあるし、弱さには弱さの良い面があるのだと思います。

自分の性質が、「よきもの」と評価されるような環境に身を置くことが大事ですね。
そこだけは頑張る必要があるのだろうと思います。

参考文献

 
全体的な感想は>>>イヤな気分から解放されるには「自分がどうしたいか」を基準にする |感想『イヤな気分をパッと手放す「自分思考」のすすめ』


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