「親に気に入られること」が最大目標であった私。
どう頑張ってもその望みはかなうことはない、と悟って以来、自分の人生を生きると決意しました。
親が喜ぶから、と選んでいたことをすべてやめ、自分の意志で選択する。
確実に生きることが楽になってきました。
とはいえ、ところどころで「やはり自己肯定感が危うい」という問題に直面するのです。
KindleUnlimited(定額読み放題サービス)にて、「自己肯定感」で検索したところ、こちらの本が候補として出てきました。
水島広子『「自分の居場所がない」と感じたときに読む本』かんき出版(2016)Kindle版
どんな本?
本書が扱うのは、精神的な意味での「居場所がない」ということ。
たとえば、家庭や学校、職場など、物理的に存在できる場所はあるけれど、「自分はここにいてよいのか?」というような気持ちです。
その正体を明らかにし、居場所をつくるにはどうしたらよいか、ということが書かれた本です。
なぜ「ここにいていいの?」と思うのか
著者によれば、このように思ってしまう人は、トラウマ(虐待、いじめなどの経験)を持っていることが多いのだそうです。
「自分は世の中にいてはいけないのか」という感じ方自体が、虐待被害の「症状」なのだということを理解してください。
水島広子『「自分の居場所がない」と感じたときに読む本』かんき出版(2016)Kindle版 位置No.301
虐待をしてくる親や、いじめをしてくる相手は「おまえが未熟だからいけないのだ」というようなことを言いますよね。
何度も言われているうちに、ある種の洗脳のような状態になって、「私が悪かったのかな」と思ってしまいますよね。
でも、そんなことはありません!
相手の事情によるものなのです!
人を傷つけるような人は、かなり不幸な人です。「どうして私の人生は、こんなになってしまったのだろう」「どうして自分は能力があるのに認めてもらいないのだろう」「どうして私だけが、理不尽に苦労しなければならないのだろう」などと、人生がうまくいっていないので、八つ当たりをするのです。
そういう人たちはたいてい不機嫌です。イライラしていて、責任を他人に押しつけてきたりします。
水島広子『「自分の居場所がない」と感じたときに読む本』かんき出版(2016)Kindle版 位置No.522
私自身も、「私よりもむしろ、親に問題があったのだ」と客観的に見られるようになったのは最近のことで、それまでは「親の期待にすら応えられないなんて、私はなんとふがいない存在なのだろう」と真剣に悩んでいました。
いまだに、「生きていること自体に罪悪感を覚える」のは抜けきっていません(これといって悪いことしていないのに)。
この、「自己受容」ができていない状態が、「居場所のない感じ」を生じさせている、と著者はいいます。
「居場所がない感」をなくすには
とはいえ、自己受容って、すごく難しいことですよね。
本書では、自己受容のイロハが詳しく解説されているので、「居場所がない」と感じるならば、ひと通り読まれることをおすすめします。
本記事では、すべてを書くわけにいかないので、私にとって改めて気づきの大きかったことを書こうと思います。
居場所のなさを感じるときは、相手をジャッジメントしている
実は、「居場所のなさ」を解消するために一番大切なことは、自分のジャッジメントを手放すことです(そもそもが「居場所がない」という感覚そのものがジャッジメントですから)。そのために重要なのは、人の話を「聴くこと」です。
水島広子『「自分の居場所がない」と感じたときに読む本』かんき出版(2016)Kindle版 位置No.622
ジャッジメントは、相手の状況や自分に対する評価づけのこと。
たとえば、相手の話を聴いているとき、(口には出さないとしても)「え、それ、あなたも非常識でしょ、、、」とか「そんなに言うんだったら、こうすればいいのに、、、」などと、つい思ってしまうことありますよね
(さらに、「こんな冷たいことを思ってしまう私自身もなんかやだ」とさらなるジャッジメントをしてしまうことも)。
ジャッジメント自体は、危険を避けるために必要な能力ですが、あくまで「今の自分にとって」であり、真実とは限らないもの。
こういう「自分の思考」は一旦置いて、相手の話を聴くことが大事だと著者はいいます。
相手の話を聴くといっても、すべてに賛同しろということではなく、「あなたはそう考えているんだね」と相手のありのままを認める、ということ。
この考え方、心理学系の本を読んでいると、何度も目にするのですが、、、。
頭で理解はできても、実践するのが本当に難しくて、、、。
私は人の話を聴くのが好きなほうだし、少しはできたつもりになっていたんですが。
ここ二、三年を振り返ってみたら、状況によっては全くできていなかったな、と気づいてしまいました。
ジャッジメントをやめたつもりでジャッジメントしまくっていた(私の実体験)
わりと付き合いの長い友人に、批判っぽい言い方をする人や、上から目線の人がいまして。
私自身も、かつてはつい批判めいたことを言ってしまうほうだったので、そういう面で昔は(一見)気が合っていたのです。
でも、自分の人生が行き詰まるようになって、自分と向き合わざるを得なくなり。
「私は親に否定されたり、悪く言われてとても嫌だったし、今もものすごい大きな傷として残っている。こんなに苦しむ人を増やすのは気がひける。だから、他人に対して軽々しく評価(とりわけ悪い評価)などしないように気をつけよう」
と思うようになったんですよね。
それからしばらくして、旧友に会う機会がありまして。
すると、旧友は相変わらずほかのだれかのことを批判していたり、下に見たりしているわけです。
それをを目撃すると、なんだかモヤっとするわけです。
「モヤっと」を言語化すると、「私は人のこと悪く言わないように気をつけてるのに、この人は相変わらずバリバリ陰口言うてる、、、」みたいな。
とっさにちょっと引いてしまったというか。
たぶん、旧友を通して、かつての自分自身を見ているような気がして、いたたまれなかったんですよね。
それで、「せっかく「むやみに人を悪く思うまい、否定するまい」と生き方を修正しているのに、あの人たちといたら、元に戻ってしまいそうで嫌だな、、、」なんて思うようになって。
次第に、あんまり会わなくなってしまいました(先方としても、気持ちよくしゃべっているときにこちらが「うわー↓ひくわー」みたいな表情をしてしまったので、違和感を感じたのではないかと思います)。
しかしですね!!!
読んでいてお気づきの方もいらっしゃると思いますが、私こそ、旧友をジャッジメントしているんですよね、、、。
「誰かをむやみに否定するのはよくない」に囚われて、「誰かを悪く言う旧友を否定している」のですよ、、、。
無意識のうちに自分の考えを相手に押し付けているわけですよ。
「良かれ」とさえ思っていないほど、ナチュラルに、ですよ。
もう、タチが悪いですよね、、、。
(反省)
でも、よくわかりました。
人を悪く思わないようにしているはずなのに、異常にモヤモヤしていたのは、結局ジャッジメントしていたからなのだ、と。
人に対してジャッジメントすればするほど、心のどこかで「私もこうしてジャッジされているのではないか」と不安になりますからね。
いやー、難しい!!!
(そして旧友たちよ、すまない。
あなたたちにはあなたたちの事情があってのことだというのに)
他人のジャッジメントが気になるときほど、自分のジャッジメントを手放そう
水島広子『「自分の居場所がない」と感じたときに読む本』かんき出版(2016)Kindle版 No.773
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おわりに
これだけ気をつけているつもりでも、人に対してジャッジしてしまう癖が抜けないとは……。
ということは、自分に対してもジャッジしているということ。
親という重しから解き放たれたようでいて、いまだに「こんなんじゃだめだ!」とプレッシャーをかけているんだな、と気づきました。
「人に優しくするにはまずは自分に優しく」とよく聞きますが、簡単なようで、本当に難しいものですね。。。
まあ、学校教育では何らかの形で「評価」されるわけですし、社会に出たら出たで資本主義ですからそれこそ「評価」とは無縁ではいられないので、ある程度は仕方がないことなのかな。
著者によれば、自己受容できない自分に対しても「今は、これでよし」と考えればよいとのこと。
「あー、どうして私はこんななんだ!」と自分責めしても悪化するだけですものね。
「今は、これでよし」。
なお、本書では、居場所づくりに有効な考え方として以下のようなことも紹介されていました。
・見えない相手に与える(寄付、募金など)
・居場所がないと感じるときこそ目的を意識
(例:大学で居場所がない→「大学には勉強しに来ているのだった。だったら、知識をつけるのが目的なのだから、そこはきっちりやって、あとは考えすぎずにいこう」など)
目的を意識することで、変な疎外感から抜け出せた経験が私にもあるので、「たしかに!」となりました。
漫然と過ごしていると「居場所がない感じする、、、」になってしまう人間なので、今後はそうなったら「目的は?」と自分に問うことにしよう、と改めて思ったのでした。
この記事に興味があった方は
とても似たタイトルの本がありますので、そちらの感想記事もどうぞ。
加藤諦三さんの『自分の居場所をつくる心理学』です。
タイトルからわかるように、この本の主張も、「自分の居場所は自分でつくる」ということです。
また、自己肯定感に関連した記事はこちら。
この本でも、「感じたことをそのままよしとする」ことの大切さが書かれていました。
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