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親の呪いを解いて自分の人生を生きる

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人間は死に臨む存在だからこそ不安 |感想『不安が消えるたったひとつの方法』

不安は、いつも私の人生に横たわっていました。
不安に押しつぶされそうになって、人生を休んでいたこともあります。

だからこそ、不安とうまくつきあうことは、私の人生の課題でもある。
関連書籍を読みながら考えています。

今回読んだのは、

長南瑞生『不安が消えるたったひとつの方法』KADOKAWA(2018)

不安が消えるたったひとつの方法

不安が消えるたったひとつの方法

 

 

 

 

どんな本?

不安にまつわる本は、お医者さんや心理学の専門家が書いていることが多く、どちらかといえば対症療法的、といった傾向があるでしょうか。

本書では、不安の根本に対して仏教からアプローチしています。


不安には2種類あって
①生活の不安(目先の不安、日常生活にまつわる不安)
②人生の不安(未来への不安、人生の意味がわからない等)

「人生の不安」が大元にあるので、これを断ち切らない限り「生活の不安」も次から次へと湧いてくる。

では、「人生の不安」を断ち切るにはどうしたらいいか、ということが書かれた本です。

 


不安の要因は「諸行無常」と「有無同然」

不安はどこからやってくるのかというと
①変化すること(諸行無常)
②満足できないこと(有無同然)

諸行無常

「諸行無常」は、「すべてのもは移り変わる」という意味の仏教用語。
けっこう耳にする機会がありますよね。

私が一番覚えているのは「祇園精舎の鐘の声、諸行無常の響きあり」で始まる「平家物語」。
中学生のとき、国語の授業で冒頭部を暗唱したので、いまだ覚えています。
(学校の授業って侮れない、教養という点でやはり役立つなあと、この歳になると思います)


人は、基本的に「幸福になること」を目指して行動します。
幸せになるために頑張るのですが、「諸行無常」なので、幸せは続かないわけです。

自分が生きる希望としているものを追い求めている時は無我夢中なのですが、手に入れた瞬間から心は急速に冷めていくのです。

長南瑞生『不安が消えるたったひとつの方法』KADOKAWA(2018)Kindle版 位置No.418


「これを手に入れたら安泰だ」と思って、手に入れたとしても、そのときにはまた新たな悩みが生じたりするものですよね。

たとえば、希望の高校に入っても、今度は大学受験が立ちはだかりますし、大学に進学したらしたで、次は就職などの悩みが出てきます。
就職したらクビにならないよう頑張らねばならないとか出世がどうとか、転職しようかと悩むこともあるし、家族を持てばなおさら働かねばならないし……といったように、刻々と変わっていきます。

自分に対してにせよ、他者に対してにせよ、人生は「これで安心と信じる→裏切られる」の繰り返し、という見方もできます。

このように、人生は「諸行無常」だから不安なのだ、と仏教では考えます。

 


有無同然

もう一つの不安要因は「有無同然」。
漢字からわかるように「あってもなくても同じ」といった意味です。

無い人は無いことに縛られ、有る人は有ることに縛られて思うままにならない。有っても無くても、結局は同じ。結局は不安。

長南瑞生『不安が消えるたったひとつの方法』KADOKAWA(2018)Kindle版 位置No.593


本当にその通りだな、と思います。

私は、育った家庭環境がよくなかった(毒母、両親不仲、嫁姑問題、親戚関係、常にどこかで戦争状態)ので、家庭を持つことにネガティブなイメージを持ってしまっています。

「あんなふうに(親たちみたいに)なるくらいだったら独身のほうがはるかにマシ」
「誰かと争いながら生きるなんてもうコリゴリ。それなら一人でいい」
「とにかくもう、誰にも干渉されたくない」
と、心底思っています。

友達にしろ、おつきあいする人にしろ、ちょっとでも「争いの気配」(具体的にいえば、「この人、なれ合いになったら私のことないがしろにしそう」という予感)や「干渉の気配」があると、「これ以上関係を深めるのはやめよう」と気が引けてしまうのです。

完璧に自分と合う人なんていませんから、人間関係はどんどん縮小されていくわけで。
人間関係に関しては「かなり無い」側の私。
しかも、明らかにそれを自分で選んでいるんです。
その結果に後悔してるわけでもないんです。

それなのに!
無ければ無いで、「さみしい」「つまらない」「むなしい」が湧いてくることがあるのです。

けれども、比較的拘束力を伴う人間関係があったらあったで「あー、この人がいなければ私はもっと自由なのになー」と思ってしまうのです。

まさに「有無同然」、あってもなくても悩む、ですね。

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栃木旅行で行った佐野厄除け大師の境内で撮影(2017)



この「有無同然」を考えていると、しだいに次のような考えが頭をもたげるようになると著者はいいます。

「もし頑張って何かを手に入れても、有無同然だとすれば、なんのために頑張って生きているのか?」「頑張って生きても、有無同然で、人生を振り返った時に、自分の人生が無意味だったと感じるのではないか」

長南瑞生『不安が消えるたったひとつの方法』KADOKAWA(2018)Kindle版 位置No.222

 

あー、すごいわかります。

そして気づかされるのが「人生の不安」。

『人生の不安』とは、一言でいうと、「なんのために生きているのかがわからない不安」です。なんのためとは、目の前にある目標や生き甲斐のこととではありません。自分が生まれてから死ぬまでの人生全体の目的のことです。自分が生まれてきたことになんの意味があるのかわからない不安です。

長南瑞生『不安が消えるたったひとつの方法』KADOKAWA(2018)Kindle版 位置No.563 

 

私も10代後半で「なんのために生きているんだろう」とひどく思い悩んだことがありました。

当時、何人かの人に聞いてみましたが、答えは人によって様々でした。
「人それぞれの目標のために生きている」
「子孫を残す」
「生きていることの意味なんてない」
なぜかすごく嫌そうな顔をした人もいました。

当時は「答えはひとつ」と思いこんでいるふしがあったので、ますます混乱して、それ以上考えるのをやめてしまいましたが……。

最近また考えるようになりました。
が、やっぱり「これだ!」というまではいかず、モヤモヤしていますが。

「人生の不安」の正体

本書では、人生の不安を理解するために、生きることを「屋形船に乗って急流を下る(行く先は滝壺になっている)」にたとえています。

私たちの人生は、そんな滝壺に向かう屋形船の中でパーティーを開いているようなものです。
 料理を食べたり、歌を歌ったりして騒いでいます。
 好きな人を口説いたり、愛をささやいたりもします。
 仕事をして役職を競い合い、勝った、負けた、儲かった、損した、好きだ、嫌いだと一喜一憂しています。
 でも、滝壺に向かって流されていく屋形船の中で、心から安心してパーティーを楽しめるでしょうか?
 最後は滝壺になっていると聞いているので、そのことがふっと頭をよぎると、底知れない不安が起きてくるのです。

長南瑞生『不安が消えるたったひとつの方法』KADOKAWA(2018)Kindle版 位置No.618

 

念のため補足しておくと「滝壺=死」です。
すごくわかりやすいたとえですよね。

滝壺に落ちたらどうなるかわからない(死んだらどうなるかわからない)から不安なんですね。

ただでさえ、歳を重ねていくと、辛いことが増えそう(とくに身体的に)だというのに、死んでしまったら本当にどうなるんだろう、という感覚、わからなくもないです。

ふつうに考えたら、死んでもただ「無」になるだけだろうと思うのですが、そう考えると「どうせ無になるのに、今頑張る必要ある?」的なむなしさも覚えます。

この、死んだらどうなるかわからないゆえの不安、「心の闇」をどうにかしないといけない、というわけです。

では具体的にどうしたらよいのか。

……ということまで記したいのですが、せめてヒントくらいは書きたいのですが、大変恐縮ではありますが、続きは本書をご覧ください。

ここを書いてしまうと、本書の良さを剥奪してしまいそうなので。
「なんだよ(怒)」と思われた方、すみません。

 

おわりに

(他のどんな本でもそうですが)本を読めば即時に不安や悩みから解放される、というわけではありません。

そこでヒントを得たら、あとは自分がどう動くか、なのだと思います。

最初の一歩さえ踏み出せば、あとは流れに乗っていける、というケースはわりとありますよね。

ただし、この一歩は自分で踏み出す以外ないのですよね。


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