ししもとの読書ノート

生きづらさの軽減をめざして

自分の存在価値に不安を覚えるときは多角的に捉え直してみる |感想『人はなぜ存在するのか』

「生産性が高い人=よきもの」という価値観を感じること、ありますよね。

生産性が高いということは、それ相応の結果も出しているわけですし、礼賛されるのも理解できます。
資本主義社会である以上、ある程度は仕方ないのかもしれません。

私も若い頃、生産性の高い人間を目指していた時期があります。
しかしながら、がむしゃらに働く(あるいは、がむしゃらに働かなくて住むよう、工夫し続ける)という生き方は自分には合わず、ただひたすら消耗するだけだと思い知ったのでした。

いろんな人の助けや幸運もあり、自分に合った生き方、働き方に近づきつつあるな、と思っている今日このごろ。

なのですが、ここ一ヶ月くらい、やけに「こんなにも生産性の低い私は生きていていいのだろうか」といった類の「存在意義」とか「存在価値」についてよく考えるようになりました。

冷静に考えれば、生産性が低いからといって、人としての価値がないかというと、決してそんなことはないですよね。

現在の仕事で人の役に立っていることも、多少はあるはずだし。

なのに、「人や世の中に貢献する量よりも、迷惑をかけている量のほうが圧倒的に多いのではないか。私は存在していていいのだろうか」といったような考えが頭をもたげるのです。

まあ要するに、自己肯定感が一時的に下がっているのだろうと思いますが。
他者からのネガティブな評価を、無意識のうち自己評価に取り込んでしまっているのが原因だろうとは思うのですが。

そんな感じで悶々としていたとき、この本が目に留まりました。

齋藤孝『人はなぜ存在するのか』実業之日本社(2012)

人はなぜ存在するのか

人はなぜ存在するのか

 

 

 


どんな本?

「おわりに」で本書の内容が端的に示されていたので、引用します。

本書では「存在」について多角的に考え、「存在意義」を確かにするための方法をいくつか提案しました。

齋藤孝『人はなぜ存在するのか』実業之日本社(2012)P.207

 

 

もう少し詳しくいうと

・「存在」というものを、広い視野から捉え直してみる
(生命の連鎖や、宇宙の成り立ちなど、そういった大きな流れがあった上で「今の自分」がいる、ということ)
・哲学や宗教では「存在」をどう捉えているか

上記二つの観点から存在ついて考えたあと、自分の存在を確立するための具体的な方法を提案する、といった内容になっています。

 


読んで考えたこと

広い視野で捉えてみる

(本の紹介というよりは、自分の考えたことがメインです)

生命の連鎖など、広い視野で「今の自分」を捉え直すと、自分が存在すること、それ自体が、「特別なこと」であることに気づきます。
そのように考えると、存在不安もやわらぐのではないか、というようなことが記されていました。

広い視野で捉える路線の一つに「生物は遺伝子の乗り物である」という考え方があります。
(元の本はリチャード・ドーキンスの『利己的な遺伝子』
読んだことはなくても、この説を耳にしたことのある人は多いのでは) 

利己的な遺伝子 40周年記念版

利己的な遺伝子 40周年記念版

 

 

個人的には、この「遺伝子の乗り物」説自体は、あながち間違っていないような気がしています。
全方位的に網羅できなくとも、ある程度本質をついているのでは、という印象(専門家でもないので、あくまで個人の感想です)。

著者によれば

自分はそんなに大した人間ではないと納得する。そのうえで、「でも、遺伝子という大切なものを運んでいるのだ」と思って、生命としてはそれでよしとする。

齋藤孝『人はなぜ存在するのか』実業之日本社(2012)P.034


なるほど、そう考えれば、割り切ることもできる。
シンプルだし、納得いきますよね。

しかし、あくまで私の場合ですが、ますます「自分の存在価値のなさ」が際だつような気がしてしまいました。

というのも、私は子どもを持つつもりのない人間だからです。

(過去記事)

www.shishimoto-yuima.work

www.shishimoto-yuima.work

 


遺伝子の乗り物だとすると、私は遺伝子を後生に伝えるという最大のミッションを完全に放棄しているわけで、ますます「存在価値」が危うくなるような……。

と、ここで思考停止せず、あえて「遺伝子の乗り物である」として考えを進めてみると。

長いスパンで見たときに生存に有利でない遺伝子(たとえば、私の場合は毒親気質の遺伝子、あたりでしょうか)を排除する役目、と捉えることもできるかもしれません。

進化論に基づいて考えるのであれば、環境に合うように進化していくらしいので、大きな流れとしては良くなる方向のはず。
ちっぽけだけど、良い方向へ向かう流れには貢献している、と考えることもできますかね(賛否両論ありそうですし、偏っている気もしますが)。

とはいえ、仮に「毒親気質の遺伝子をストップさせている役」を担っているとしたら、人類の進化という観点からは大事な役かもしれないですけれど、個人の観点からしたらむなしいような気もしてきますね……。

少なくとも、「存在不安」を支えることに対して有効かというと、どうだろう。

結論はないのですが、そんなことを考えました、という話でした。


なお、本記事では「遺伝子の乗り物」について触れましたが、本書では宇宙、人類史、民話、神話など、かなり多角的に考えられていました(たぶん理解しきれていない)。

存在不安について考えるときの、良いヒントになるのではと思います。

 

結局のところ、足元から大事にする

少しは存在不安が落ち着くかな、と思ったのは本書に掲げられている「自分の「存在」を確立する具体的方法20」のうちの「納税の義務を果たす」。

働いて納税しているだけですでに存在意義があるのです。

齋藤孝『人はなぜ存在するのか』実業之日本社(2012)P.172
 

 

ありきたりな感じになってしまいましたが……。

ちっぽけに感じることかもしれませんが、自分の生み出したお金で社会が(ほんのちょっとでも)良くなっているのであれば、それはそれでいいのかな、と思ったのでした。

ただ、これに頼ると、納税額が少ないとか、働いていない時期はそれこそ「存在不安」が高まりますので、もう一つくらい柱が欲しいですよね。

そう思って読み進めていたところ、「賞賛力をつける」という方法が。

 私は最近、自分が賞賛している物事を人に語るだけでも人生は短すぎるとさえ思っています。

齋藤孝『人はなぜ存在するのか』実業之日本社(2012)P.202

 

これは素直にいいな、と思いました。
「ほめる」とか「認める」とか「おすすめする」とかではなくて「賞賛」というのがポイントだと思いました。
「ほめる」や「認める」だと、「お世辞」「おべっか」などとの境界が曖昧になりそうな気がするからです。

「賞賛」というと、「手放しで、素直に良いと思ったから」というニュアンスを感じます(私だけかな)。

自分が良いと思ったことを賞賛することで、新たにその物事の魅力に目覚める人もいるでしょうし。

賞賛される側が同時代に生きている人であれば、その人たちを勇気づけることもできるし。

まぁ、賞賛できるほどの物事に出会えること、それ自体も年齢を重ねてくるとなかなか難しかったりするのかもしれませんが。


おわりに

「存在不安」に関して、本書を読み、現時点で考えたことをまとめました。
本を読んで考えたからといって、すぐに「これだ」とすっきりするわけではない類の話題なので、自分もまだモヤモヤしていますが……。

今後も折に触れて、考えていきたい、というか、考えてしまうのだろうな、と思います。



広告