足かせは外すことにした

親の呪いを解いて自分の人生を生きる

悩みから解放されるには「いい・悪い」の「判断」から足を洗う|感想②『反応しない練習』

草薙龍瞬『反応しない練習』の感想②です。

 
怒りや不安などの「ムダな反応」こそが人生のトラブルを招く。
反応してしまう前に、自分の心の状態を見、目的がかなう考え方をしよう。
そのためにはどうしたらいいか、という本です。

(前回の記事)

www.shishimoto-yuima.work

 

 

本記事では、「正しい・間違っているの判断」を中心に感想を書いていきます。


「正しい・間違っている」はヒマつぶし!?

本書では、ムダな心の反応をしないために「いい・悪い」「好き・嫌い」といった判断をやめよう、と書かれています。

「○○は良きもの」とすると、それに該当しなかったときに「悪い、ダメだ」等の判断になり、自分や周囲を苦しめるからですね。


私が「正しい・間違っている」で特に悩んできたのは親のこと。

最近はだいぶ多様な考えが認められるようになりましたが、「親を大事にする=良いこと」という価値観はまだ強固ですよね。

どんなにひどい親であっても「そうは言っても、あなたを生んで育てたんだから(孝行すべき)」なんて言われたりします。

確かに、「親は大事にすべきもの」という考えも、(考えとしては)理解できないわけじゃないんです。

しかし、そのような意見を踏まえてもなお、「自分の人生を生きるには、親と関係を断つ以外の選択肢がない」と思うことだってありますよね。


世間一般にとっての「正しさ」と自分にとっての「正しさ」のはざまで、私自身、揺れ動くことが多かったです。

自分の「正しさ」を選択していいのか?
人に迷惑をかけなければいいのか?
自分が自分の「正しさ」を選択することで、別の誰かに負担がかかるのはいいのか?
それは果たして「正しい」と言えるのか?

だからといって、世間一般の言う「正しさ」を選択することもできない。
自分の心が死んでしまうから。

考えているうちに何がベターなのか、よくわからなくなるのでした。

本書を読んでいると、こんな文章が出てきました。

 人はみな、「自分が考えることは正しい」と、心のどこかで思っています。
 しかし、その判断が正しいのか、間違っているのは、一体どのように「判断」するのでしょうか。
位置No.652


 そうなんです、「正しい」の判断って、どの立場に立つか、どの法則に基づくか、など、条件によって変わってきますよね。

結局どうしたらいいのか、というと、ブッダの判断基準は

「真実であり、有益である(役に立つ)」こと
位置No.661

なのだそうです。

「真実かどうか」はまた難しい面がありますが、「有益かどうか(役に立つかどうか)」はわかりやすいですね。

たとえば仕事なら、「利益が上がる」「働きやすい環境につながる」「業務が円滑に進む」ような判断が、正しいことになります。大事なのは「役に立つか」という視点です。

位置No.661


ふむふむ、なるほど。
わかりやすいです。

最初にこの文章を読んだときは、私が「自分の人生を生きる」と決めたことは、私にとっては「有益(役に立つ)」ので「(私にとっては)正しい」ことなのかな、と思いました。

でも、(毒)親の立場からすると、使えるリソース(子)が減ったのだから、子の自立は「無益」となりますよね……。

立場によって違う、という事柄からやっぱり抜け出せないんです。
ある方向からは正しいけれど、別の方向からは正しくない。
それって、ほんとうに「正しい」のか??

同じところをループしているぞ……と思って読み進めると、

 まず、アタマの中で繰り広げる判断は、それだけなら「ただの妄想」ですから、「真実」とはいえません。現実に役に立っていないなら、有益でもありません。
 ということは、人間が考える多くの判断は、実は真実でもないし、有益でもありません。いわば”ヒマつぶし”です。

位置No.661


ぎょー!
私はヒマつぶしのためにずっと悩んできたのか!

なぜこんな「ヒマつぶし」をするかというと、本書によれば

・判断すること自体が気持ちいい(わかった気になるから)
・自分は正しいと判断すれば承認欲求が満たされる


確かに、私は「自分は正しい」と思いたかったんですよね、ずっと。

結局、いつもの承認欲求の問題か!


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「自分は正しい」には限界がある

ブッダによれば、自分の頭でしか考えられない以上、「自分が正しい」ということにはならない、そうです。

自分で考えれば、自分の考えだけが出てくるのは、当たり前の話です。しかし、だからといって、その考えが正しいということにはなりません。だって、考えている前提――立場も体験も脳も――が違うからです。

位置No.690

 

そうなんですよ……。

もし私が、母と同じような条件(時代背景、能力、環境etc)でこの世に生まれていたら、母のようにならなかったかというと、自信がありません。

たまたま私は、本を読んだり、自分の頭で何かを考えるのが好きだったので、生き方を修正できましたが……母のように「(生まれつきの気質として)すべてが面倒くさい」人だったら、本を読む気力すらなかったでしょう。

「自分でどうにかしよう」という発想や気力がないので、「人(特に娘)を使ってどうにかしよう」となるんですよね。

母にとっては、最大の生存戦略なわけです。
本能的な生存戦略なので、「娘がどう思うか」まで思考が至らないのでしょうし。


ちょっと話が逸れましたが。
結局、正しさは判断できない、ということなんですね。


なお、「そもそも人それぞれ前提が違うのだからわかり合えなくて当然」ということはこの本にも書いてありました。

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おわりに

 本記事では「正しい・間違っている」の判断にフォーカスしましたが、ほかにも「自己否定」などの余計な「判断」もありますよね。

こういった「判断」類すべてから足を洗う。

それこそが、悩みから解放される方法だと著者は言います。

といっても、実際のところは超難しいですよね。

具体的にどう「判断を捨てる練習」をしていったらよいのか、というところはぜひ本書をご覧いただければ、と思います。