
親の顔色を必死に見ながら生きてきたので、「ああ、この人はたぶんこうしてほしいのだろうなあ」系のセンサーが異常に鍛えられてしまったように思います。
でも、そうやって「こうしてほしいんだろうなあ」ばかりで動いていると、いつも自分の本心は置き去りになり、だんだん苦しくなってくる。
そして最終的に、「どうしてわたしばっかり!」と爆発してしまったり。
母という病を抱えた人は、自分と他人の境目がもろい。母親の意志を自分の意志のようにいつも感じ、支配されてきたため、自分の気持ちと人の気持ちをうまく区別することができない。
自分が望むことを相手も望み、自分が恐れることを相手も恐れると勘違いしやすい。自分と同じように相手も感じていると思い込んでしまう。岡田尊司『母という病』ポプラ社(2012)P.273
わかりまくる。
しかも、その「こうしてほしいんだろうなあ」って、親の価値観に特化したもの。
だから、周囲の人全員にあてはまるものでもなくて。
むしろ、的外れな場合も実はけっこうあるんですよね。
だったらなおさら「こうしてほしいんだろうなあ」で動くのは損ですよね。
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押し付けてしまうこともある
相手の顔色ばかりみるのも苦しいですが、逆の立場になってしまうこともあるのが「母という病」のおそろしいところ。
「この人は何言っても大丈夫」みたいな甘えが出ると、支配者の側になってしまうことも。
「私こう思ってるから、あなたもそうだよね?」と。
あれほど嫌だったのに、親と同じことを無意識のうちにやってしまうパターンですね。
これを書いている今は「んなわけあるまい」と思ってしまうのですけど、学生のころとか、実際にやってしまったこともあるんです(反省)。
しかもそのときはあんまり気づいていなかった……。
そうやって無意識に周囲を支配しようとしているのに、常にイライラもしているという。
誰も得しない状況でした。
抵抗や何かひっかかるものを感じたら、大切なことを見落としていないかを、振り返ってみる。無理して進まないことだ。そこで無理をすると傷が生まれる。
岡田尊司『母という病』ポプラ社(2012)P.276
いずれにしても破綻する
顔色をうかがう側であれ、支配してしまう側であれ、だれかが我慢している状態なので、のちのちうまくいかなくなります。
押し付けもごまかしも、いずれ化けの皮が剥がれ、裏切りや怒りとなって復讐する。その道を行くことは、わざわざ崖に向かって進むようなものだ。
岡田尊司『母という病』ポプラ社(2012)P.274
どっちの立場も経験したからこそ思いますけど、その場をしのいでも、かならず後で揉めるんですよね。
後になればなるほど、ひどくこじれている。
本心を偽ることほど、人生に大きなロスを生じるものはない。それが十年、二十年と積み重なると、取り返しがつかないほど、大きなズレを生んでしまう。
それを防ぐためには、自分と他人の気持ちを区別し、それは本当に自分が望むことか、相手が望むことかを、はっきりさせることだ。
岡田尊司『母という病』ポプラ社(2012)P.274
ほんとそう。
私自身も、もっと普段から「本当は私はこうしたいんだ」というのを表明しておけば(そして、親に聞く意志があれば)、母や伯母とも絶縁なんてしなくて済んだのだろうなと思います(いや、まあ、「聞く耳」を持たないひとたちだからこうなったのですが)。
その一方で、常に他者の考えが流れ込んできてしまっていて、「ほんとうはこうしたい」があいまいな時期もかなり長かったような気もします。
では、どうすればよかったのか。
本心をごまかさないために
本心をごまかさないためには、常々自分の気持ちを言葉にして語ることだ。自分はこうしたい、こうなりたいと、言い続けることだ。文字にして書いてもいい。
岡田尊司『母という病』ポプラ社(2012)P.275
たしかに私も、このブログや、手書きのノートなどを「書く」ようになってから、自分の軸のようなものが徐々にでき始めました。
書くことで、「ああ、私、こんなふうに思っていたんだ」と客観視できるんですよね。
そして、一旦「私はこう思っている」というのを自分でしっかり把握しておくと、いざというときに、行動しやすい。
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おわりに
・母に支配されてきた人は、「自分の思い=他人の思い」と捉えがち
・「きっとこうしてほしいんだろうなあ」で動いていると本心がおきざりに
(逆に無意識のうちに自分の考えを相手に押し付けてしまっているケースもある)
・いずれにせよ本心を偽ると人生をロスする
・本心をごまかさないために常に気持ちを言語化しておく
参考文献
