過去の痛みを成仏させるため、自分の育った家庭を改めて客観視する作業をしています。(関連記事一覧はこちら>>>【もくじ】いかにして私はアダルトチルドレンになっていったのか【体験談】)。
本記事では、母とたもとを分かつことになった原因の一つ、母との意思疎通の困難さについて書いています。
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思い込みが激しすぎて他の考えを受け付けることができない
私の母は、「自分の頭でものごとを考える」という習慣が一切ない人でした。
なので、「自分(母)が教えられてきたこと=唯一にして絶対の正解」というルールで動いていました。
別の言い方をすると、「母の意見と違うもの=一切拒絶すべきもの」という感じ。
(関連>>>母にとって都合のいい人以外「全員敵」)
だから、たとえば私が「私はこうしたい」と主張したところで、驚くほど受けつけられないのです。
母の反応パターンは次の2つ。
①「この親不孝者!」と怒りだす
母にとっては、娘が意志を主張することはつまり「母に対する反抗・否定」になるんですね。
あるいは「ただのワガママ」。
よって、「悪いのは娘」であることが確定しているわけです。
私が説明しようと言葉を尽くせば尽くすほど、論点をすりかえるというのでしょうか、揚げ足をとってくることもあります。
勝手に曲解して「あんたっ! 今お母さんのこと〇〇って言ったねっ!」などと微妙に論点を変えながら怒り狂うのです。
そして一旦怒り出すと、一日中怒っているので、手がつけられないのです。
➁理解できないときは勝手に決めつけ
母はすでに知っていること以外は理解できないので、顔に「???」と書いてあることもありました。
わからないのは仕方がないので、「もう少し詳しく聞かせて」などと言ってくれると助かるのですが、母にとって「もう少し詳しく聞こう」という選択肢は皆無なんですね。
正常バイアスみたいなものが働くのでしょうか、はたと「自分(母)は正しいはず」と思考停止するようで。
「そうは言っても、あんただって本心では〇〇(←母の意見)でしょ」と勝手に決めつけてくるのです。
私が「違う」と言っても、「口ではそう言ってるけどもあんたは〇〇よ、お母さんあんたのことは一番よくわかってるんだから」の繰り返しです。
そんなとき、目の前の母は、宇宙人のように見えました。
他のたとえでいうと、セクハラをする人が「口ではイヤだと言ってるけど、本当は望んでるんだろ」とか「イヤよイヤよも好きのうち」と謎に思い込んでいるあの現象に良く似ています。
理解されないだけならまだしも、勝手に決めつけられるのは本当に絶望でしたね。
父との違い
父は父で「自分は正しい」と思いがちな人ですが、母よりはずっと「聞く耳」を持っていました。
私が「学校で〇〇に困っている」とか「〇〇はもう行きたくない」などと主張しても、最初はピンとこないようなのですが、根気強く伝えていると、「そこまで言うのだから何らかの事情はあるようだ」と理解はしてくれました。
母のほうには絶望的に伝わらなかったので、この点に関しては、父に随分助けられたと思います(だから父とは連絡をとっている)。
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母が悪いというよりは単純に能力的な問題かもしれない
長年母に対し、「どうしてこんなにも人の気持ちがわからないのだろう」「明らかな事実すら理解する力がないのだろう」と思ってきました。
前提として、母は母自身の劣等感を娘を使って埋めることが優先順位一位でしたので、極端に言ってしまえば「娘の気持ちにまで思考が及ばない」だったのでしょう。
まあ、端的にいえば、子を育てる前に自分を育てる必要のあった人なんですよね。
とはいえ、自省する力のある人や、自分の頭でものごとを考えられる人だったら、「子を使って満足しようとしていないか?」とか「子に八つ当たりしてるかも」と気づくと思うのですよね。
母の場合は、「気づいていてもやってしまう、抑えられない」のではなく、「まるで気づいてさえいない」のです。
もうほんと、びっくりするくらいに。
客観性が絶望的に欠如しているわけなんですが。
それってもしかすると、能力的な(先天的な)問題なのではないか、と最近は思うようになりました(発達障害とか)。
そのことにもっと早く気づいていれば、私の若い頃の人生ももうちょっとマシだったのでは、と思うので、悔しい気持ちですが……
とはいえ、親を疑うなんて、罪悪感が強くて難しかったのですけど。
【親を反面教師に】相手のことを冷静に正確に把握しないと巻き込まれる
子どもの頃は、母の機嫌を損ねることは、命の危機に直結していました。
だから、母の言いなりになってしまっていました。
子ども時代は仕方なかったにせよ、せめて高校生くらいで「自分の頭でものごとを考えることのできない母に私の人生の手綱を握らせてしまっている」ことに気づけたらよかったのに、とは思います。
まあ、長い年月かけて心に枷をつけられていますので、親を疑うこと自体がなかなか難しかったです。
当時の私はどうすればよかったのだろう、と今改めて考えると、いろんな価値観の人と知り合うことが必要だったのではないか、と思います。
いろんな価値観を知ることで「うちのお母さんはやっぱりおかしい」と確信が持てたかもしれないからです。
ただ、「娘がいろんな価値観を知る」ということを感覚的に「(母にとっては)危険」と知っていたのでしょう。
人間関係もかなり制限されてきましたから。
また、私自身も、人に対してわりと「閉じて」しまっていました。
親から日常的に否定されているので、他の人にも否定されるのが怖くてたまらなかったのです。
となるとやはり、毒の起源からなるべく早めに離れるしかありません。
家庭が不穏な人ほど、高校卒業くらいで無理をしてでも実家を出たほうがいいのかもしれませんね(まあ、経済力とか、引き留めとか、親に似た人にカモられやすいとか、いろいろ問題はあるのですが)。
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