過去の痛みを成仏させるため、自分の育った家庭を改めて客観視する作業をしています。(関連記事一覧はこちら>>>【もくじ】いかにして私はアダルトチルドレンになっていったのか【体験談】)。
本記事は、両親の考えが違いすぎため、ダブルバインド(二重拘束)がつらかった、という話です。
父に従えば母が機嫌を悪くし、母に従えば父を裏切ることになる。
私はただ一生懸命生きているだけで、「誰かの気分を害してしまう」ことになってしまうのが苦しかった。
幼児教室に通わせたい母と反対派の父
劣等感をこじらせていた母からすれば「子どもにはこんな思いをさせたくない」ということだったのでしょう、私は幼稚園に入る前から、いわゆる「幼児教室」に通わされていました。
まあ、幼児教室自体は、あまり苦痛ではなかったのです。
幸い、幼児教室で習うようなことは、わりと得意でしたから。
そして、私が他の子よりも「できる」ことがわかると、母の機嫌が良かったからです。
また、同年代の子と会えるのが楽しかったということもあります(外遊びをほぼ禁じられており、近所の子ともなかなか遊べなかったので)。
では幼児教室の何が辛かったかというと、父や同居している祖父母に幼児教室に通っていることがバレたらいけないこと。
両親の考え方が違いすぎる
劣等感から教育ママとなった母に対し、父は「勉強なんてしたければ本人がするんだから、こんな幼いうちから無理にやらせる必要なし」という考えでした。
つまり、幼児教室に通わせていることが父にバレたら夫婦喧嘩になるわけなんですね。
もちろん、同居していた祖父母や、近所の親戚にバレるのもNG。
だから母は「(幼児教室に通っていることを)絶対に言っちゃダメ!!!」と鬼のような形相で強要してきました。
幼児教室でもらった通学バッグも使わせてもらえませんでしたし、幼児教室の名前も、別のあだ名で呼ぶように言われていました。
また、外出したことが祖父母にバレないように、と玄関からの出入りは禁じられ、窓から出入りしていました(狭い平屋だったので、玄関を使わなくたってバレていたと思うが……)。
とはいえ、どんなに隠そうにも、週1回同じ時間に出かけるわけですから、ふとした日常会話のなかでも、どうしても話題に上りそうになることはありますよね。
そういったときに、事実を正直に話せないことが私にはとてもストレスでした。
子どもなので、器用にごまかすこともできず、苦虫を嚙み潰したような顔で押し黙るしかありませんでした。
私が押し黙るので、父も「何かおかしい」と思うわけですよ。
それで、母に疑いの目を向ける。
そこから夫婦喧嘩に発展したりするわけです。
すると母は私に「あんたがうまく隠せないのが悪い!」と怒るんですね。
でも、べつに悪いことしているわけでもないのに隠さねばならないなんて、と、当時の私は納得がいきませんでした。
だって私はただ、「母の言うことを聞いて幼児教室に通っている」だけなんですよ。
子どもとして、「親の言うことを聞く」のは「良いこと」のはずですよね。
なのに、隠さねばならないということはつまり、「悪いこと」でもある。
今思えば、夫婦間で意志の統一ができていないことが問題なのに、母は「あんたがうまくやらないのが悪い」と夫婦間の問題を私になすりつけていたんですね。
とにかく母は父と意見が合わなかったのですけど、それでも父に嫌われたくなかったのでしょう。
母の深刻な劣等感はここにも表れていたのですね。
母に従うことは、同時に父を裏切ることでもあった
両親の考え方が全く異なり、それを夫婦間で統一できないということは、子からすると
「母に従う=父を裏切る」
「父に従う=母を裏切る」
になります。
いわゆるダブルバインド(二重拘束)ですね。
親のどちらかに従うことは、同時にもう一方の親を裏切ることでもあるんです。
私は何を選んでも、怒られることが決定していたんです。
難しい親とうまくやろうとすればするほど、その労力と同じ大きさの罪悪感にもさいなまれるのです。
子ども時代の私は、「一生懸命生きながら、同時に死んでいる」ようなものでした。
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【親を反面教師に】何をしても否定されると行動力が落ちる
両親の価値感があまりにも違いすぎること、そしてお互いが歩み寄る気が一切ないこと。
その結果私は、「両親のもとに生きているだけで怒られることがすでに決定している」という絶望的な状況でした。
どんなに頑張っても、父と母、両方から同時に認められることはない。
子どもだった私は、「だったらわたしの意志を大事にしたらいいじゃん」とはとても思えませんでした。
現実問題として、自分の意志を大事になどしたら、ひどい目に遭いますのでね。
生存自体が危うくなるので。
そこで私は、「理想の自分」になろうとしました。
父も母も、どちらも認めてくれるような、スーパーマンになろう、と。
この世の誰一人として、文句が言えないような人になろう、と。
自分の実力からは程遠い目標ばかり立てるようになりました。
そのせいで、のちの青年期に心を壊すことになるんですが。
ともあれ、「何を選んでも怒られることが決定している」というのは、大人になってからも私の人生に暗い影を落としました。
なぜかというと、「何らかの行動=負の面も必ずある」だからです。
何事にも完璧はありませんから、完璧でない部分を誰かに責められると思い込んでいたのですね。
どうせ責められるのだったら、行動するだけ労力がムダ、何もしないでおこう、という思考になっていくのです。
そして、動かないことで、じわじわと失敗しているのです。
何年かかけて、「動かなかったことによる明らかな失敗」にたどり着いてしまうのです。
(記事作成日:2021年4月7日)
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