母への嫌悪感に気づいてから絶縁に至るまでの出来事を見つめなおしています。>>>記事一覧)。
就職した職場で、「新人さん」として扱われることを「未熟者」と責められているように感じていました。
同時にわいてくるのが、「誰にも負けないくらい努力してきたのに!」という謎の反抗心。
思春期に反抗できないと、それが未消化の課題となって、大人になってやってしまいます。
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何もできない新人であることは自分でも明らかなのに、「新人さん」扱いがつらく感じてしまう
嫌々ながらも就職し、研修も受け、職場に配属され。
いち社会人として働きだしました。
嫌々とはいえ、お金をいただくのですから、私とて真面目に仕事に取り組もうとはしていました。
基本的には親切な方が多く、恵まれていたほうだろうと思います。
でもたまに、「新人さん」として下に見られていると感じることがあり、なんだか妙にイラっとしてしまうのです。
「あーあ。若いからって下に見ないでほしい……実年齢は確かに若いかもしれないけれど、誰にも恥じないくらい頑張ってきたのだから」と。
でも、自分だって頭でわかってはいるんです、教えてもらわないとほぼ何もできない「新人」であることを。
なのに私にとっては、「おまえが未熟だから世話を焼いてあげよう」と言われているように感じてしまい、「未熟者として扱われた」と被害妄想的になってしまったのでした。
自己肯定感が育っておらず、「私、ダメなやつなのでは?」と自分が自分のことを一番疑っていたのだと思います。
「誰にも恥じないくらい頑張ってきた」ことを、自分こそが認められていなかったのです。
未消化の反抗期でもあったのだと思う
要するに、「もう、誰の言うことも聞きたくない」状態だったのです。
そう、反抗期ですよね。
一般的には思春期に済ませるものですが、私は反抗自体を封じられていた(具体例>>>親戚中に「娘がおかしくなった」と電話をかけまくる”公開処刑”がつらい)ので、社会人になってもなお、積み残しの課題があったのだろうと思います。
「反抗期なんてないに越したことない」とおっしゃる親御さんもいるようですが、そうとは限らないと私は思います。
子どものほうが親に気を遣って抑え込んでいる場合もあるからです。
抑え込んだ子は、ほかの場所で無意識のうちに発散しようとするのですよね。
加藤諦三氏の本にも、各成長段階で課題があり、それに向き合わないと次の段階で挫折する、といったことが書かれていました(深刻な生きづらさは愛情不足のせいかもしれない |感想①『「大人になりきれない人」の心理』)。
この体験から学ぶこと
”困った行動”は、課題の積み残しによるものかもしれない
この何年か後に、「ちょっと困った挙動をとる新人さん」が入ってきて、ギクッとなる気持ちにさせられました。
本来の性格は素直でとても好感の持てる子だったのですが、どうにも指示に対してのみ、やけに反抗的になることがあったのです。
彼を見て、「何か満たされないものがあるんだろうな」とか「親御さんが変に厳しかったのかな」と思ったのを覚えています。
私自身の姿を、彼を通して見ていたのだろうと思うので、真偽のほどはわかりませんが。
この体験から、(かつての私自身も含めて)困った行動をとってしまう人って、「その年齢ならば本来乗り越えているはずの課題のやり残し」があるんだろうなと思います。
本人も自分に問題があることは、頭のどこかで分かってはいるので、あからさまに「誰の言うことも聞きたくないです」とは言えず、抑圧のかかった変な態度になるのですよね。
表面的には従順なのだけど、絶妙に反抗要素混ぜてくる、みたいな。
厳しいようだけど自分でなんとかするしかない
ではあの時の私はどうすればよかったのか、と考えてみると、「誰の言うことも聞きたくない」のですから、誰かに答えを教えてもらったとしてもムダだったでしょう。
自分で気づいて分析して、折り合いをつけるしかなかったのです。
一旦立ち止まって、
「どうして私はこんな、なんでもかんでも反抗したい気持ちなのだろう?」
と問うべきだったな、と。
でも、毎日を送ることで精一杯でしたし、そちらに気をとられてなかなか答えは見つからなかったですね。
実際、こうして何年も後になって「反抗期やってないからだ」と気づいたわけですから。
焦ったときほど立ち止まる
理想論ではありますが、「就職するのが嫌でたまらない」と思ったとき、
いや、もっと手前の「成績が悪くて恥ずかしい」と思った浪人時代に、
いやさらに手前の「もう勉強したくない」と思った高校時代に、
自分としっかり向き合うという作業が必要だったのだなと思います。
でも、その時々は必死で、いつも成果を上げたくて焦っていて、「立ち止まったらもっと状況は悪化する」と思っていました。
でもそれが間違っていました。
焦っているときほど立ち止まって、「どうしてこんなに焦っているの?」と自分に問うことが必要だったのだなと思います。
たとえるなら、旅先で迷子になって、「とりあえずこっち行ってみよう」「違った!あっち!」とさまよって、次第に体力や思考力がなくなって同じところをぐるぐるループしているようなものだったのですね。
迷子になった時点で立ち止まって、「ええと、あっちの方角に山が見えるので……」と現在地と行き先を確認する必要があったのだなと思います。
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